縄で縛られた身体が、冷たい板敷きの床に転がされ、頭を覆う黒い布を剥ぎ取られる。目線を上げる。上座に若い男が顎を上げて座していた。右目に眼帯した男は、ニヤリと実に愉しげに笑う。鋭い犬歯が猛獣のようだ。

「綺麗な顔だな」
「………」

右横に一人。青い男の隣に一人。後ろに三人。思い切り床に肩をぶつけて脱臼させる。そのまま手首の骨を外し、縄から抜けた。太腿についていた忍刀を逆手に持つ。右腕に嵌めた筒を切り落とされた。仕込んでいた火薬が散らばる。走る。

ぼろきれのような躯だと、思う。あの毒薬の後遺症か、わたしは術がほとんど使えなくなっていた。身体能力もがた落ちした。戦忍としても、諜報としても、役に立たない。だから、これは体のいい処理だ。里長が決めた。

行く手に男が立ちはだかる。智の片倉。鬼の小十郎。剣の達人。情報の断片が頭に浮かぶ。まともにやって勝てる相手ではない。間合いから逃げ出し、その広い肩を足場に跳躍した。誰かが叫ぶ。

「――軒猿が!」

そうだわたしはヒトではない。忍びだ。軒猿だ草だ乱波だ。道具だ。でも。
煌めく刀に肩をえぐられ、背中が少し切れた。痛みは感じない。
目は二つ。耳は二つ。口は一つ。手の指は十本。それは同じなのに。
上座の男が鯉口を切るのが見えた。
流れる血は赤色。
濃紺の小袖。黒い袴。逃げる気配はない。好戦的な笑み。
おまえとわたしに、なんの違いがあるっていうの?


竜の爪が右の脇腹を裂く。床に叩き付けられた。額が割れたようで、こめかみを生暖かいものが伝っていく。血がじわじわと床に広がった。赤い。あか。死の色。果実の色。落日の色。花の色。

『椿』

あなたの色。


「……………」

左手はまだ動く。忍刀も掴んでいた。がくがくと震える腕を叱咤して上体を起こす。肋骨が何本か折れたようだ。脇腹から血が吹き出した。

「……は…っ…、…」

こんな赤色じゃあ、わたしは死ねない。あの真っ赤で清らかな業火だけを、望んでいる。こんなところで死んでしまったら、あなたを思い出すこともできなくなる。それは嫌だ。あなたは、わたしのたったひとつの。

「ぐ、う、ぅ…」

足は動かない。突っ張った手を軽く男の爪先が撫でた、呆気なく床に身体が落ちる。腹を蹴られて、仰向けになった。爪が眼前で蒼く光る。青が視界に飛び込む。赤とは正反対の。やっぱり、虫が良すぎたのだろうか。あなたに終わらせてほしいなんて。隻眼の、青い竜が口を開く。

「名前は?」
「………」
「左手も切り落とされたいのか?」
「……椿…」
「Ha,いい名前じゃねぇか」

あなたはわたしにたくさんのものをくれた。『椿』は最初にくれたものだ。わたしは笑った。笑えた。最期に。

「…ええ……わたしの、ひとつだけの…誇り…なんです…」
「………変な女」

白刃がひるがえった。





(110401)

 
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