まことにお恥ずかしい。
某の本性は鬼でした。
ヒトではござらん。
血が、騒ぎましてな。

……ひとりで、生きていかねばならないようです。

身の内に鬼を飼いながら、修羅の道を歩いてゆく次第にてございます。



引き止めることは出来ない。天啓にも似た確信があった。ああこのひとは死ぬつもりなのだ。爛々と輝く二つの眼には赤いくすぶりが見える。まだ消えていなかったの。私では消せなかったの。くちびるをきつく噛む。

照りつける夏の落日のせいで、幸村の姿は影のように真っ黒だ。いや、黒いのだ。陣羽織も具足も鎧も。ただ二槍だけが真紅を足している。あの頃とは大分変わった。赤い鬼を知っているか。そう謳われたあの時代とは。

「幸村、ひとはみな、ひとりですよ」
「はい」
「………振り返らずに行ってください」
「わかり申した」

深く頭を垂れる背に六文銭はない。筋肉が落ちて、幾分か痩せて小さくなった身体。まるで坂を転がる石のように、破滅の道を突き進んでいる。そうしてそれは石が割れるまで止まらない。

西軍は負けた。斬首は免れたが蟄居として小さな山に押し込まれ、監視される日々。どんなにか、と思う。この、戦の神に愛されたようなひとが、槍を手放すのは、どんなに辛かっただろうか。

でも、でもね。ごめんなさい幸村。私は嬉しかった。貴方の身体が傷つかないことが嬉しかった。貴方がずっと私の隣に居てくれることが嬉しかった。紐を編む貴方の横顔。鍬で土を耕す貴方の背中。繋いだ掌の、その熱さ。

まるで、夢のような日々だった。望んだ平和があると思った。虎が眠っている箱庭。永遠に続いて欲しいとさえ、願った。
でも、わたしの檻では小さすぎたのだ。

「…今生の別れとしましょうか。…幸村、好きよ」
「俺も、好きだぞ。…ではまた、来世で」

馬がいななく。この大地が乱世の最後の血を吸おうと胎動している。幸村の顔が逆光でよく見えない。渇いた地面に落ちる涙に気付かないふりをする、貴方はまさしく鬼だ。ヒトじゃない。紅蓮の鬼だ。私のあいした、もののふ。

「……ゆきむら…」

呼ぶ。彼は振り向かない。私が振り向くなと言ったから。夕日に向かって幸村は歩いていく。

「…貴方はきっと、地獄に堕ちるでしょう…」

視界が揺れる揺れる。幼子のように泣く。涙が止まらない。もっとよく幸村を見たいのに。

「………私も、いきますから……」

待ってて。かすれた声は彼に届いただろうか。馬の蹄の音が聞こえて、だんだん小さくなっていく。しゃがみ込んで目を閉じて、ゆっくりと開いたら日は完全に落ちていた。夜が来る。やがて私を殺す朝が来る。

待っていてね、そうして信じさせて。貴方が私に執着していたということを。かけらでもいいから、愛していたのだと、証明して。貴方のこころを、ほんの少しでいいからちょうだい。

ひとはみんなひとりだけれど、ともに生きていくことはできたはずだから。





幸村はひそやかに笑う。佐助は苦い顔をした。安物の紙の上に書かれた地形図、置かれた小石。幸村は汚れた手で小石を動かした。それから佐助を伺って、僅かに眉をひそめる。

「なんだ、この布陣では不満か。言ってくれ」
「いや、旦那、違うよ。俺が言いたいのは阿梅さまのこと。……右目の旦那の息子に矢文を送ったって?」

ああ、と幸村はまた笑う。大阪に来てからというもの、幸村は楽しくて仕方がないというような顔をしばしばする。武人の愉悦に塗れた、それでいて少年のような、純粋なそれ。昔を彷彿とさせる。佐助は首筋がざわつくのがわかった。

「二代目小十郎……阿梅を頼むには相応しいと思ったのだが」
「……大助さまはどうするの」
「………」

幸村は沈黙して、ただにこにこと人懐こく笑う。佐助は重く溜息をついた。この男は。自分の息子を。

「……旦那…」
「面倒だからな、おいてきたのだ」

いきなりなんのことだろうか。目をぱちぱちさせる佐助に、独り言のように幸村は言う。灯台に照らされた顔。血糊がついている。俺はこれを今から失うのだ、と佐助はうっすら思った。

「こころは名前においてきた」
「………」
「俺は地獄に堕ちるだろう。でも、名前も来てくれるらしい」

瞳の中に揺らめく業火が見えた。血に飢えた虎はまだ生きている。幸村という檻にも収まり切らない、けだものが。咆哮さえ聞こえる気がした。

「こころがない。俺はヒトではない。名前からかえしてもらわねば、」

いつまでも畜生のままだ。
祈るように囁いて、幸村が目を閉じる。灯台の炎に近付いた羽虫が焼け焦げて落ちた。泥のように眠りこける兵たちの寝息が聞こえる。静寂。しばらくして、佐助がまた溜息をついた。

「……まさしく鬼だねぇ」
「ふっ、そうだな」

まだ失う覚悟が出来ていなくて、佐助は少し鼻の奥がつんとするのを感じた。きっとその覚悟は決まることはない。

穏やかに笑う幸村の背後から日が差し込む。夜明けが来てしまった。長い一日になるだろう。




貴女のその髪の一本さえ誰にも奪われてなるものか。なめらかな肌を、甘い声を、丸い目玉を、愛を。こころを。誰にだってわけてやらない。そのためなら俺は何だってできる。何にだってなれる。鬼にでも虎にでもなってみせましょうぞ。でも、俺を人にしてくれるのは貴女だけだ。

待っていようと思うのだ。深く暗い奈落の底で、いつまでも。貴女は善人でございますゆえ、きっと上にいくでしょうな。俺のことなど忘れているやもしれぬ。それでも、待ちますぞ。大丈夫、これでも気は長い方なのだ。百年や二百年、千年も、どうってことはない。あの煌めく日々だけあればいい。最高の土産であろう。

俺は果報者だな。
身の内に鬼を飼い、修羅の道を歩いて来たけれど、ひとりではなかった。貴女がいた。




無慈悲に恋慕
(110206)

紅に恋ふ様へ!


 
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