「……父上、今なんとおっしゃいました?」 「お前に縁談が来ているのだ」 耳を疑いました。驚きに箸を取り落としてしまい、兄がひらひらと目の前で手を振るのにはっとする。母も兄も無反応ということは、既に知らされていたようです。 「お相手は三成殿だ」 「み、みつなり…?」 お名前から甘い蜜を思い出す。字はどう書くのかしら。父母や兄はその方と顔見知りのようで、嬉しいのか嫌なのか、よくわからない顔をして話し出します。 「とても……いや、少々短気だが、良い武人だ。秀吉様への忠義も篤い。お前をぜひ妻にと」 「冗談が通じな……ごほん、真面目なお方だ。先日の宴にいらっしゃった際、お前をいたく気にいったらしいぞ。………我が妹ながら、なんと憐れな…」 「はぁ、でも、」 「ははは、実はもう了承してしまった」 「早く文へのお返事をなさい。こんな立派な簪まで贈って下さったのよ。乱暴で女子供にも容赦がなく、人をいたぶるのが好きらしいけれど、きっとお前を思っているはず」 「………」 会話の端々に物騒な言葉が聞こえた気がいたします。達筆な薄紫色の文と、袱紗に包まれた、菫を模した銀細工の簪を押し付けられ、とりあえずお返事を書こうと自室に下がる。お名前は、三成、と書くようです。文には言葉少なに、婚礼を嬉しく思うことが書かれていました。持てる限りの智恵を使い、一番上等な紙に返事を書いて送りましたが、それから一度も文は来ず、ついに婚儀の日を迎えました。 わたしの背の君となる石田治部少輔三成さまの噂は、恐ろしいものばかり。泣く子も黙る凶王三成。眼は吊り上がり、口は裂け、鬼のように恐ろしいと聞きます。ただでさえ小心者なのに、そんなことを言われてしまっては冷や汗が止まらない。廊下で擦れ違う家臣の方たちの囁きが耳を掠めます。 「ああ、あれが…」 「三成殿の嫁御よ」 「なんと」 「苦労するであろうなァ」 緊張で喉が渇いてきました。眩暈も少し。城の奥の奥、やっと与えられた室に入ったと思ったら、四人の女中の方たちにあれよあれよという間に飾り立てられ、純白に金銀の刺繍を入れた立派な打掛を着ています。裏地は紫。白粉の匂い。頭が重くて、首を傾げたら簪がしゃらんと音を立てました。女中さんたちが口々に言います。 「御髪が茶色だもの、飾り紐は紫に」 「でも露草も良いのでは」 「赤よ、赤。派手にいたしましょう」 「…あの、そんな…質素で良いので…」 ああでもないこうでもないと唸る侍女の方たちに、やっとのことで口を挟むと、四人とも、うふふと笑います。並べられた珊瑚や金の宝飾に恐れをなしてびくついているわたしに、萌黄色の小袖を着た方が、「秀吉公から下賜されたのです」と教えて下さる。太閤様が。下賜。なんて畏れ多い。くらくらする。彼女たちは平然としております。 「あの三成様にこんな可愛いらしい方が嫁いで下さるとは」 「あたしたち嬉しくって」 「姫御の世話が出来るなど一生ないと思っておりましたよ……ああ楽しい」 「三成様はいつも適当に着付けてしまいますからねぇ」 「女子のほうが準備も張り合いがあるというもの!姫様は何色がお好き?私としてはやはりこの櫛がいいと思いますわ」 ますます重たくなった頭に耐えつつ、長い長い廊下を歩いていく。迎えに来て下さった、石田さまの友人だという徳川さまのお話に相槌を打つが、全く耳に入らない。廊下の角を曲がる度に、だんだんと人の声のざわめきが大きくなって、三味線や笛の音も聞こえてきました。もう宴になっているようです。ぴたりと襖の前で徳川さまが止まって、くるりと振り向きなさる。 「三成は銀髪で、前髪が長くて、目つきが異常に鋭い奴だ。たぶん上座に居るから、隣に座ってくれ」 「は、はい」 「無愛想で顔も怖いが、悪い奴ではないぞ。姫様のことも、必ず大事にするさ」 「…はい」 「じゃあ、開けるぞ」 徳川さまがすぱーんと襖を開けた。一瞬静まり返る広間、ついでどよめきが聞こえる。 「みんな!花嫁の登場だ!しかと目に焼き付けておけよ!」 ほら、と徳川さまが手を引いて下さった。広間は明るく、沢山の人がいる。徳利や盃が転がっている。おいしそうな御馳走。めでたいめでたい。お綺麗ですぞ。お幸せに。皆様口々に祝辞を述べて下さり、嬉しい。小さく頭を下げる。 視線を一番奥に流しますと、頭巾を被った方と話していたひとが立ち上がる。背の高いひとだ、と思う。慌てて顔を伏せて自分の足袋を見つめていたら、徳川さまがいきなり止まって、少しつんのめってしまった。 「遅い!!」 「はは、待ちきれなかったか?悪い悪い」 「うすのろめ…」 「三成には勿体ないな」 「うるさい黙れ家康」 低い声。聞き覚えがある気がします。おめでとう、と徳川さまが囁いて、するりと指先が離れた。よりどころを探してさ迷うそれを、誰かがそっと握る。冷たい、節くれ立った、豆だらけの硬い指。わたしより随分大きい。華美で上品な紫の直垂の、胸紐がゆらりと揺れて。 恐る恐る、顔を上げる。月を思わせる銀の御髪が、うつくしいと思う。蜜のような、不思議な色の金の眼が、すうっと細まって、目元が和むのにどきりとしました。金眼がじぃっと見つめてくる。あまりの真っ直ぐさに耐え切れない。思わず目が泳ぎます。 指を握る力が僅かに強まる。わたしの温度が移ったのか、冷たかった手が、ちょっぴりぬくもっています。なんだ、と拍子抜け。このひと、ただの男のひとだ。全然怖くないもの。 なぜだろうか、頬がぽかぽかと温かい。頂いた簪に気付いて下さっただろうか。三成さまを見上げると、ほんの少し、頬が色付いている。わたしの夫。このひとのものになるのだ。ぎゅうとその大きな手を握り返すと、白い瞼が驚いたようにぱちぱち瞬いて、それから、ゆっくりと薄い唇が綻んだ。 「…綺麗だ」 父上、母上、兄上。 わたし、良いひとに嫁いだようです。 → ×
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