仕事の飲み会で帰りが遅くなってしまった。なんとか終電前には間に合ったが、やっと自宅に到着した頃には深夜を回っていた。外から家の中を伺う。まだ明かりが点いている。不摂生な同居人は起きているらしい。コートのポケットから鍵を取り出し、そっとドアを開けると、包丁を持った三成が玄関に立っていた。「うわああああああ」という悲鳴をかろうじて喉で止める。酔いが一気に冷めた。音を立てるように冷や汗が吹き出るのを感じる。 「おかえり」 「…っ…た、た、たひゃいま…!!」 焦りすぎて噛んでしまった。ぎらりと不穏に包丁が光る。三成は殺人ビームでも出せそうな目つきをしていた。割といつものことだけれど。しかし、妙に静かすぎる。通常なら血管をぶちぶち切らせながら、「遅い!!斬滅!!」などと怒鳴り散らすのに。今日が命日か。私、なんかしたかな…。 「遅かったな」 「ご、ごめん!待ってて、…くれたんだね…」 「ああ」 包丁片手に私の帰宅を待つ三成。想像するだけで血の気が引く。なにそれ怖すぎる。声が裏返ったが、三成の顔はぴくりとも動かない。右手にある包丁が気になりすぎて、どうしても目線がそっちにいってしまう。「なんで包丁持ってるの?」って聞きたい。すごく聞きたい。 「あ、うう、えーと、あっ、そ、そのセーター!にに似合ってる!いつもより、かっこよく見えるよ!」 「そうか」 「えっ、エプロンも!か、かわいいね!!」 かわいらしい猫の絵がプリントされたピンク色のエプロンも、今は恐怖の対象でしかない。震えながら、間を持たせようと必死に言葉を紡ぐ。 「名前」 「は、はい!!」 「寒い。早く扉を閉めろ」 「……は、はい…」 明日の朝刊に小さな記事が載るかもしれない。『痴情の縺れ、包丁で…真夜中の惨劇』。助けて神様。ドアを閉める。包丁が脅える私の顔を映す。地を這うような低い声が三成の口からもれる。 「誰といた」 「し、仕事の飲み会だよ。昨日言ったじゃん」 「………そうだったか?」 「うん。……カレンダーにも書いておいたけど…気づかなかった?」 三成は少し視線を上の方に向けた。思い出そうとしているらしい。奥二重の吊り目がゆっくり動く。 「……言っていた、気もする…」 ぼそりと言って包丁をくるくる回す。危ないぞ。 「み、三成、回すの危ないよ、それ…」 「……あ」 あ、ってなんだ。あ、って。三成は案外あっさり下駄箱の上に包丁を置いた。ほっとした。どうやら殺されずにすむらしい。 「靴を脱げ」 「あ、うん」 パンプスを脱いで家に上がる。ちょっとよろけたら三成が支えてくれた。そのまませっせとコートを脱がせてくれる。バッグも奪い取られた。 「考え事をしていた。貴様の夜食を作ったときの包丁を持ったままだったらしい」 「考え事?」 「貴様が浮気した場合のことだ」 すごく突拍子のない話だ。 「なんでいきなり…」 「八時頃、テレビで『三年目の浮気』が流れていた」 あれは男が浮気した歌だよ。ちょっと言ってみたかったが、やめておいた。それにしても、三成がテレビを見るなんて珍しい。そういえばドラマの予約を頼んでいたような。三成はぼそぼそ続ける。 「貴様が見知らぬ男を連れて来て、別れてくれ、などと言ったら…」 「い、言ったら?」 「男をこの世で一番惨たらしく、かつ最大の苦しみを与える方法で嬲り殺して死体を犬の餌にし、貴様を監禁する」 「………」 「私と貴様だけ、二人きりの楽園だ…」 うっとりと呟く三成。なんだその壮絶な十八禁バッドエンド。ちょっとうまい言葉が思いつかず、私は適当に頷いた。 「そ、そっか…」 「ああ」 「………浮気しないよ…」 「知っている。大体、貴様に寄ってくる男は相当な物好きしかいない」 その話だと、三成が相当物好きな男ということになるのだが。三成は無表情で言う。 「貴様は何度でも私を試せばいい。そうすれば私の愛が証明される」 愛の証明か。こんな深夜に、こんな酔っぱらいに、よく言えるものだと思う。彼の生真面目さが少しおもしろかった。私は小さく笑う。試されているのは私なのかもしれない。 「愛?」 「愛だ」 三成に一番似合わない言葉だと言ってもいいと思う。彼は証明したいのか。私は酒の回った頭で考える。例えば、私の好きなドラマを録画してくれている。こんな時間まで起きて私を待っていて、夜食まで作っている。これで証明されている気がする。うんうんと一人で納得する。三成はごそごそとバッグの底の辺りを触っている。ゴミでもついていたのだろうか。 「帰ってくる時間がわかったのも愛?」 「…実は貴様のバッグにGPS発信器をつけている」 「あはは、おもしろい冗談だねー」 「………」 なんでそこで沈黙するんだ三成くん。 愛するひだり (120212) title 舌 ヤンデレ失敗の巻 ×
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