まだ少し早いけれどと、厨に来た商人が出したのは桜餅でした。なんでも、京では道明寺を使うらしい。

「葉が、塩漬けされてるんです。そのまま、食べてくださいな」
「いいのですか、こんなにたくさん」
「いつもごひいきにして貰ってますから。注文されてた品は、こちらに」

開いて干された魚の代金を払っていますと、他の方たちも集まり、桜餅の詰まった漆の箱を見てきゃあきゃあ言い合い始めます。

「一個食べてもいいかしら」
「ばれないわよ、きっと」

桜餅は小さめで、かわいらしい色をしていますので、食べるのが勿体ないほど。上田の桜は、まだ咲いておりません。季節を先取るのは、素敵なこと。わたしにもおこぼれがあるといいな、と思う。あまいものは、食べていると、やさしい気持ちになります。

「名前、幸村さまに持っていきなさい」
「若様がお腹を空かせているでしょう」

ずい、と誰かから出されたお盆を慌てて持つ。漆塗りの皿の上に、桜餅が六つと、急須と湯呑みが、のっています。背中を軽く押されて、敷居を跨ぎますと、咲ちゃんがいってらっしゃい、と、何故か笑っています。
さて、真田さまは、何処にいらっしゃるのかしら。



「やあん、名前ちゃんばかりぃ」
「ずるいわぁ」
「まあまあ。若様は名前ちゃんに気があるのだから」
「あの幸村さまが、やっと女子を好きになったのよ」
「めでたいことです」
「邪魔なんてしたら、佐助さまに角が生えるでしょうねぇ」
「ちがいない」
「おれさまが、何だって?」
「……きゃー!出たー!」



開け放した襖の奥、落ち着いた赤色の、姿勢のよい背中を見つけました。うなじでくくった長い髪が、浮き出た背中の二つの骨の間を、流れています。ざり、と足袋が床を擦ってしまって、真田さまがぱっとこちらを振り向きました。途端に、頬が赤みを帯びるのがはっきりと、見える。

「名前殿!」
「失礼します。桜餅を頂いたので、どうぞ召し上がって下さい」
「さささようでござるか!」

文机の上に何かの書物がのっていて、こちらを向いて座り直した真田さまに、申し訳なさを感じる。邪魔をしてしまっていたらどうしましょうか。はやくお茶をいれて退出しよう、と思って、湯呑みが二つあることをようやっと見つける。どうしろというの。

「…め、召し上がって行きませぬか…?」
「え、」
「名前殿がよければ!!ぜひとも…!」
「いえ、あの、……ありがとうございます…ご相伴させていただきます」

実は、もう日課のようになってしまっていて。この言葉と、真田さまの赤いお顔と、お茶の薫り、が。嫌ではないのだけれど、なんとなく、慣れない。

「あ、葉は、剥がさないで食べるそうです。塩漬けされているので…」
「む、そうでござるか」

剥がしかけた桜の葉を元通りにして、白い歯が桜色の餅をかじる。むぐむぐと咀嚼して、真田さまがにこりと笑った。この頃、よく笑ってくれるようになってくださった。うれしい。

「うまい!まことに美味でござる!」
「それはようございました」

つられて笑うと、真田さまのお顔が、急にぎこちなくなって、真っ赤になってしまわれた。やはり、まだ女子を克服したわけではないらしい。この距離も近すぎたかもしれない、などと考える。少しだけ、膝を動かして、下がる。途端に真田さまの肩が揺れて、次いでがくんと落ちた、驚く。お顔を見ると、何故だか、悲しみにうちひしがれているよう。まさか、餅に毒でも。肝を冷やしたけれど、真田さまは二個目に手を伸ばしていらっしゃる。よかった。

「どうかなさいましたか?お加減でも…」
「…い、いや……なんでもない…」

そう言う間にも、苦悶した表情をする。大慌てで、真田さまの額に手を当てますと、少し熱い気が。

「風邪でしょうか…」
「…………………は、はは」

気付いたときにはもう遅く、整った額に感じる熱がとても高くなってしまっている。ぱっと手を離すと、真田さまがすっくと立ち上がった。お顔が真っ赤。すうっと息を吸うご様子に、耳を押さえる。

「破廉恥でござるぅぅううぁあああ!」

明かり障子を蹴倒して、縁側を駆けていく赤い背中。耳鳴りがまだ止まない。なんてことをしてしまったのだろう。あわあわとしながら、追い掛けるべきか迷っていますと、大きな足音がして、真田さまが戻ってきて下さった。肩で息をしている。

「さ、真田さま…申し訳ございません…」
「いえっ、某がっ…申し訳ござらん!!」

二人で同時に頭を下げたら、がつん、と額に鈍い音。あまりの痛みに、動きが止まり、額を押さえる。目の前に星が回る回る。

「名前殿!無事でござるか!?」
「は、はい、大丈夫…」

ちかちかする目を瞬かせる。痛くて涙ぐんでしまった。真田さまは、石頭なようです。情けない顔を見られてしまう。手に熱を感じた、と思ったら、丁寧な仕草で握られた。誰に。

「ああ、赤くなってしまわれて……なんとおいたわしい…!」

真田さまだ。明日は槍が降るかもしれません。あの真田さまが、わたしも一応、女子ですのに、それなのに、ご自分から、触るとは。真田さまはおろおろとしながら、もう一方の手で、額を優しくさする。唖然としていると、真田さまが、佐助ぇ!水だ!水を持ってこい!と、どこかに向かって言うのに、はっとする。

「大丈夫ですから…猿飛さまのお手を煩わせるなど…」
「しかしっ……某、嫁入り前の女子になんてことを…!もう腹を捌くしか!!」
「真田さま落ち着いて!」
「旦那ぁ、水持ってきたよ〜」

いつのまにやら後ろにいた猿飛さまの声に飛び上がる。猿飛さまは、切腹はやめてね、と笑って、わたしの額に水に濡らした手ぬぐいをぴたんと貼付けた。それからひょいと桜餅を見る。

「うまそうだね〜」
「あ、…猿飛さまも、どうぞ」
「いいの?そんじゃ、いただきまーす」

一つだけ桜餅を持って、そのまま部屋を去っていく、かと思いきや、猿飛さまは障子に手をかけて、にやり、と意地悪く笑う。

「だんなぁ、いつまで名前ちゃんの手ェ握ってんの?」
「あ」
「旦那ってば、は・れ・ん・ち!」

伝わる熱がかっと上がって、ちろりと、赤い炎さえ見えた気がする。今度は襖を蹴倒していく赤い背中。残ったのは、飲みかけのお茶と、桜餅が三つ。ぬるくなった手ぬぐいがぽとんと額から落ちて、あああのお方の手はわたしよりも随分と大きくて温かいのだな、とどこかに打ったわけでもないのに顔が火照って、しかたがない。





あまい曖昧
(110321)
title 舌


 
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