なんとなく、人には馴れえぬけものを馴らしているような、気分になるのです。そうっと、真紅の立派な着物の背中の、馬の尾のような御髪を一房、取りますと、途端に背中がびくりと震えて、おもしろい。こちらの気配が伝わったのか、また、肩が震えて。 「すっ、すす、すまぬ…!」 「いいえ」 しどろもどろの謝罪と、髪の間から見える赤い、耳殻。これでも大分、馴れて下さったよう。初めはすぐに叫んで、走って、お逃げになっていました。城主様は、女子が苦手らしい。先だって、わたしは、猿飛様より、城主様の御髪上げを仰せ付かっております。なんでも、女子に不得手なのを克服するためとか。鍛練、であります。 懐から、櫛と髪紐を取り出して、紐を、つやつやと光る縁側に、置く。紅い牡丹の描かれた櫛で、御髪を梳くと、城主様の肩が強張ってしまって、申し訳ない。悪いことをしている気分になるのだけれど、楽しくもある。色の明るい御髪は、櫛の歯が引っ掛かることもなく、するすると、真っ直ぐ。城主様の気質を表しているようで、好ましい。あたたかい陽射しのなか、庭の松に雀が止まっている。あとで米粒をやろう、と思う。 「真田様」 「う、うぬッ!」 「…髪紐は何色にいたしますか?」 「……な、何色でも、よい」 「承知しました」 城主様はいつも、こう言う。そうして、わたしも、縁側に並べた紐たちを、じっと見つめて、選ぼうとするのだけれど、結局、いつも赤を手に取ってしまう。赤は城主様の色だ。あたたかな焔の色。膝立ちになると、きしりと板が鳴って、それがやけに大きく聞こえて、緊張いたします。うっすら赤い、すっきりとした首筋に触れないよう、御髪に紐を掛けます。柔らかな、たてがみのような御髪をくくって、紐を編んで、きゅっと結ぶと、一安心。ほつれた御髪を、また少し、櫛で梳いて、終わり。このときは、達成感で胸が一杯になり、洗濯やら炊事やらをやる活力が湧いてくる。城主様のお役に立てることは、喜び。今日のお味噌汁の具は、何かしら、やえさんに聞いてみよう、などと考えて、城主様が微動だにしていないのに、気付く。いつもなら、そそくさと立ち去ってしまうのに、何事でありましょうか。 「真田様、もう動いてよろしいですよ」 「……うむ…」 そう言ったきり、黙ってしまわれて、悩む。ここで、わたしが先に辞するというのも、無礼であるし、どうしましょう。さらに悩みつつ、櫛と髪紐をちりめんに包んで懐に仕舞い、紅い背中を見つめていますと、ぎぎぎと、油を注し忘れたカラクリのようにぎこちなく、城主様が振り返って、わたしの正面にお座りになった。いささか驚く。城主様のお顔を、こんな間近で拝見するのは、初めてです。いつも、背中しか、見ていませんので。振り返らずに、縁側から去っていくばかりでしたから。 いつも、その紅い背中ばかりを、見ていました。 「名前殿!」 「は、はいっ!」 「…だ、団子は、お好きでございまするか…!」 「え、……はい…」 精悍なお顔から、団子、などと出でくると何故か、かわいらしい。目の下が赤く染まっているのが、また。たぶん、歳が、わたしと同じくらいであることが、新鮮であります。きちりと正座をした、膝の上にある握り拳は大きくて、頼もしい。 「そ、それではっ、…お八つを……」 食べませぬか、ご一緒に、良ければ。ぽつぽつと、呟く城主様は、まことに、善いひとです。わたしのような端女でさえも、気に掛けてくださる。空を仰ぎ見ると、太陽も、ちょうどよい頃合い。雀が、ちゅんちゅんと鳴いております。 「…ありがとうございます。お茶をいれてきましょうね」 そう言うと、城主様は、ぽっと頬を赤くして、かたじけない、などと言う。城主様のお八つに招かれたと言えば、やえさんも、快く許してくださるでしょう。厨に行って、美味しいお茶とお団子と、米粒を持ってくれば、城主様のお顔を、もう少し、拝見できるでしょうか。お言葉を、もう一つ二つ、拝聴できるでしょうか。 紅蓮の鬼だ、虎だ、恐ろしい男だ、と聞いていたけれど、とても、優しげな男子でございました。障子に手を掛け、ちらりと振り返ると、城主様の隣に、雀の子が、ととっと降り立っているのが見えます。縁側に放り出された、無骨な小指に近付いていく雀を見て、城主様が笑う。まことに、優しい虎でございます。 有り余る純粋 (100815) title 舌 ×
|