きれいなおなごがいると思った。蹴倒して踏み入った襖の向こう、座り込む娘は、俺と同じような年格好だった。豪奢な、紅に金を散らした打ち掛けを纏って、胸の前に祈るように手を組んでいる。畳に短刀が落ちていた。

「……名前姫様とお見受け致しまする」

こくん、と頷く。それから、そうっと俺の顔を見て、ゆっくりと瞼を閉じた。長い睫毛が彼女のこころのように震えている。それを見たら、もう駄目だった。槍を持つ手は、どんなに力を込めても動かなかった。俺は息を吐いた。師と仰ぐ彼の方は、きっと、彼女を許さない。信頼を裏切った男の娘だ。親族共々討ち取れとの命を、俺は承けている。


膝をつき、長い御髪を掴む。驚きにぱちりと開いた目は澄んでいて清い。まことにきれいなひとだ。落ちていた短刀で、端で結わえられた髪を切り落とした。それを懐紙に包み、打掛を剥ぐ。

「なにをなさるのです」
「姫様、おそらく厨のほうはまだ兵は来ておりません。侍女たちがいるでしょうから、それに紛れて」
「わたしに逃げろと」
「いかにも」

天井に目配せをすると、金子の入った袋が落ちてきた。細い手首を捕まえ、小さな掌に握らせる。娘は呆然としている。両手で頬を挟んで、無理矢理目を合わせた。手についた血がのびて、彼女の頬を赤くする。

「某、真田源次郎幸村と申します」
「…さ、なだ……」
「覚えていて下され。これが、貴殿の父を殺し、城を焼いた、男の顔でござる」

俺があなたの仇だ。おぼえていて。忘れないで。清い瞳にちろりと焔が見えた気がした。そうして、無言で短刀を拾って、振り向かずに彼女は焔のなかを駆けていく。あの短刀は、決して彼女を傷付けることはしないだろう。

「佐助、姫様を」
「…御意」

いつからか後ろにいた忍びが、何か言いたげにしながら消えた。腕のなかの打掛は、まだほのかに彼女の体温が残っている。頬を寄せると良い香りがした。髪と衣を上げると、主は納得したらしい。死体は探させなかった。



***



城を焼かれたときも泣かなかった娘が、腕のなかで激しく泣いた。血まみれの脚半、痩せた身体、細い腕。清い瞳は変わらない。どんなに血にまみれても。あの日、この少女は殺せなかった、そして未だに殺せない。あなたをおれだけのものにしたい。その理由は、もう何の偽りも騙りもなく。
ただの、初恋だった。





何の意味もないよただ好きなだけ
(110207)
title 舌


 
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