小説
GS2主≠夢主

――昔、ここには人魚がいたんだ。

干上がった金魚鉢を見つめながら、佐伯瑛はそんなことを呟く。彼のそんな発言は今に始まったことではなく、割と頻繁に、何かの拍子に、ふと落とされるものなので、今ではもう聞き返さない。

古典的な金魚鉢を見つめながら言うものだから、初めのうちは金魚との聞き間違いだと思っていたのだけど、どうやら彼はちゃんと意識して「人魚」と言っているらしかった。

もちろん人魚なんて生き物が、無論この小さな金魚鉢に存在していたなんて事実はありえない。正常な脳みそに戻った今ならば当たり前にそう思えるのだけど、当初は少し屈折していてどこかミステリアスな印象の佐伯瑛に惹かれていたので、ロマンチズム溢れるその発言は、佐伯瑛という沼に余計にはまり込ませるのに一役買っただけだった。

人魚という現実と調和しない未知の存在への好奇心。好意を抱く佐伯瑛という男自身への好奇心。それらは、「人魚ってなあに?」の一言を私から発せさせる動機として十分だったのだ。

そして、その一言が彼の耳に届いてしまったがために、佐伯瑛はミステリアスだとかロマンチストだとか高尚な類いの存在はなく、単に過去の女を引きずる女々しくて陰気で無活力なだけの1人の男であることが判明してしまったのである。

私が興味をそそられてしまった人魚とは、ありていに言えば過去の女の隠喩だったらしい。なぜ人魚なんて例え方をするのかは謎だけど、おそらく彼は海に因縁があるので、彼にとってお姫様といえば人魚姫で、長らくズルズル引きずるほどの素敵な女の子を形容するにはピッタリだったのだろう。

若くしてこんなに恋愛を拗らせる男も珍しい。彼が投げやりに炒れたコーヒーは、私が懇切丁寧に炒れるコーヒーよりも圧倒的に美味しくて、私はその投げやりなコーヒーを飲みながら、彼の未練がましくて重くて、心底羨ましい人魚の話をうんうんと投げやりな相槌を打ちながら聞く羽目になるのだ。

干上がった金魚鉢には、まだ見えない何かが泳いでいる。この金魚鉢が空っぽになるのはいつなんだろう。ちゃんと空っぽになったら、私がキレイに洗って棲んでいいかな。

180430
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