小説

「三郎、おいで?」
「……はい」

たとえば、賢君と呼ばれる主が治める国があったとして、
たとえば、その賢君が若く美しいお姫様のことを指していたとして、
たとえば、そのお姫様が直々に、学園へ自分付きの忍を探しにきたとして、
たとえば、その待遇が他の城に仕える忍者やフリーの忍者と比べて段違いに良かったとして、
たとえば、自分がそのお姫様の御眼鏡に叶ったとしたら。

誰だって惹かれるだろう。
誰だって自分が認められたと思って感激するだろう。
誰だって、喜んでお仕えするだろう。

あまりの待遇の良さに多少の不可解さはあった。しかし美しい主と高収入、約束された未来。5年間学び腕は磨いた。如何に危険な任務でも全うできる自負があった。

だから私は釣られたのだ。大きな大きな釣り針に。

上座にいる姫様の手招きに誘われるがまま、一歩、また一歩と近づく。姫様のピンと伸ばされた素足が、
跪く私の鼻先をかすめた。脚はだらしなく崩されていて、既に着物の合わせはほとんどはだけてしまっている。真っ白な太腿があられもなく晒されてしまっている。

「正座続きで足が疲れてしまったの。三郎、ちょっと揉んでくれる?」
「…畏まりました」

ふくらはぎの下に手を差し出せば、何の躊躇いもなく脚を預けられる。傷1つない柔肌はあまりにも煽情的で思わず喉がゴクリと鳴った。チラリと彼女の方を向けば、横の肘置きに肘をついて目を閉じていて、私はバレていないことにホッとする。指先に力を込めて言われたように彼女の足を揉み始めた。普段は着物の下に隠れ、一切見ることが許されない彼女の脚を、あろうことか触れていると思うと、変な気分になってしまう。私はこの感情の正体を知っている。これは単純明快な下世話な類の感情だ。いくら身分に天と地ほどの差があろうとも、それ以前に私は男で彼女は女なのだから。

それに、彼女の私への接し方は馴れ馴れしくあまりにも身近で、身分の差など忘れさせてしまう。

彼女の脚に手を這わせながら、彼女について思う。確かに彼女は賢君だ。商業は盛んで国は潤っていたし、戦もほとんどない。戦に駆り出されることのない民は、見渡す限り皆笑顔だ。彼女の民に向ける表情は慈愛に満ちていて民の幸せを第一に考えている。
しかし、それはあくまで表の顔だ。城の中の、彼女と彼女に許された者だけが立ち入ることのできるという限られた領域、そこに連れ込まれた私は、彼女の裏の顔を知った。

彼女の素顔が垣間見える時、私の下劣極まりない感情はとめどなく湧き上がってくる。忍の分際でおこがましい、そもそも、これは忍には不必要な、むしろ捨て置いてこなければならなかったものなのに。

「プッ」
「どうされましたか」
「いや、だって三郎があまりにも可愛いから」

彼女は本来、非常に攻撃的で独占欲が強く、自分よりも弱い存在を踏みにじることに快感を覚える異常気質の持ち主だった。忠誠心が高く守秘能力もある忍は、彼女の遊び道具として打って付けなのだろう。忍1人が彼女のおもちゃになることで国が守られていると言うのならば、とても安い犠牲だと思う。

「なぜ、私だったのですか」
「あぁ…学園から連れてきたのがってこと?」
「そうです」

今年卒業する6年ではなく、5年の自分がわざわざ引き抜かれたのには特別な理由があるのではないか。それが私の望むものであったのなら。私は、

「自惚れないでね?別に誰でも良かったの。この抑えきれない感情を収めてくれる人なら…貴方じゃなくても、良かったのよ?」
「ッ!」

彼女の言葉を聞いてカッと顔が熱くなるのが分かった。確かに自惚れていた、それを指摘された羞恥からだろうか。いや、それだけではない。私はきっと悲しくなったのだ、なぜなら目頭はもっと熱いから。

「フフッ…アハハハハッ!!!
「姫、様…?」
「そう!そういう顔が見たかった!!」

嗚呼、駄目だ溺れる。いつの間にか疎かになっていた彼女への按摩について何か言われるわけでもなく、未だ膝の上に残っていた彼女の脚が私の胸元を蹴り押し、私は無様に背中から倒れ込んだ。彼女は私の身体の上に折り重なって、彼女の肩掛けは私の視界を遮断する。世界に2人だけしかいなくなる、目が逸らせない。

「ごめんなさい三郎。私はそんなアナタだから気に入ったの」
「……」
「これからは、私に、私だけについてきてくれるよね?」
「…はい」

私は、依存する対象がいなければ自分で立つことさえできない。

「そろそろその面は捨てましょう。私についてくるのなら、もうソイツはいらない」
「…仰せのままに」

私は溺れていく。ビリビリに破かれた旧友の顔は、悲しく歪んで見えた。

130614
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