小説
その日は、たしかに朝から体調が悪かったのだ。いつもなら気にならない校舎の埃っぽさも生徒たちの話し声も全部こちらを追いつめてくるようでとても不快だった。少し経てば治るだろう、もう少し様子見しよう、そんな風に騙し騙し過ごしていたら、思いがけずどうしようもないほどに悪化させてしまった。昼休みのタイミングでようやく「もう無理」と早退することにしたのだが、ぼんやりとする頭と頼りない足取りにとって、生徒たちがごった返す廊下は想像以上に負担だったようだった。
運悪く階段に差しかかったあたりで足がつんのめった。手すりを掴もうと伸ばした手は届かない、もし掴めても自分の身体を支えるほど力が入るとも思えないが。周囲のざわめきが一瞬止んだ気がする。本当に止んだのかそう感じただけなのかは定かでない。

ドンッ

「っ…ぁえ?」
「仁王くん体調悪いの?ふにゃふにゃしてるけど」

身体への衝撃は大したものではなく、何なら少しの柔らかさもあって到底地面にぶち当たったようなものではなかった。腰に回されている腕が逞しくて安心する。前後不覚になりつつあるせいか、特に深く考えず安心感に身を委ねたくてそのまま目の前の人物にしなだれるように抱き着いた。

「おー、よしよし。よく頑張ったね、保健室行こうか」

もう、それからの意識はない。ただ夢を見た。体調が悪い時に見る夢というのは往々にして悪夢を見やすいものではあるが、今回は不思議と悪夢ではなく。何というか。小さい頃に姉と観ていた変身ヒロインアニメ、そういう感じの夢だった。夢の中での俺はなぜか変身ヒロインの1人で、現実と微妙にリンクしているのか終始強大な敵を前に屈しかけていた。当時は特に感情移入する対象もいなかったはずなのに、夢の中ではピンチに駆け付けたヒーローにまんまと心を奪われていた。戦いの中で足を怪我してしまった俺を、軽々抱きあげて逃がしてくれたのだ。現実ではありえないフリフリの衣装を着ていたけれど夢の中だからか違和感はない。ちなみに黄色担当のヒロインだった――

保健室で少し眠った後、いつの間にか免許取り立ての姉が迎えに来てくれていた。帰る頃にはもう午後の授業がはじまっていて、授業中特有の静かな校内は騒々しさに耐性のない今はありがたかった。少し眠って多少体調はマシになったとはいえまだ身体は辛かったから。
そういえば、階段で助けてくれた人は誰だったのだろう。声色からして女子だったように思うのだが。



あの日、助けてくれた人が誰だったのか。後日丸井からもたらされた情報で簡単に判明した。2つ隣のクラスの女子生徒、空手部主将のミョウジナマエさん。

お礼をしなくてはと、いつも持ち歩いているお菓子よりもちょっと良いヤツを携えてミョウジさんのクラスへ行ったところまでは良かったのだが、そこからが難易度が高く中々話しかけられなかった。ミョウジさんの周りには常に女子がいて、そこに割って入れるほどの図太さはなかったし、嫌がられたらどうしようという思いもあったから。ただお礼を言いたいだけであるのに、自分はこんな意気地なしではなかったはずなのに。でも何度考えてもやはりミョウジさんに嫌がられたら困るという気持ちはかたくなだった。それはもう、そういうことだろう。声をかけたいけどかけられないをしばらく繰り返していたところ、
主将を任されるような人柄だからだろう、ふと目が合うとすぐに声をかけてくれた。もうほんと、そういうとこ〜〜〜!

「仁王くん!どうしたの?体調は大丈夫?」
「うん、大丈夫やったよ」
「良かった。私に用事?それとも他の、」
「ミョウジサンに、なんじゃけど……この間は助けてくれてありがとう」
「え?ああ、そんな良かったのに。でもせっかくだから貰っとこうかな!ありがとね」

視線の高さが一緒、むしろ向こうの方が少し高いくらいで、何だかもうそれさえきゅんとくるものがある。もう既に「えっ待って、ちゅき」という感情に支配されつつあった。

221103
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