小説
GS4主=夢主 / 死ネタ

「……この店の合鍵を持ち逃げしたヤツがいるんだよ」

それは取材中でもなんでもない日のことで、海辺の喫茶『珊瑚礁』の店主である佐伯さんは何の脈絡もなくそう宣った。端正な横顔はまっすぐ窓に向けられている。
この喫茶店には取材とプライベート合わせると相当な回数足を運んでいて、何回目のときからか正確には覚えていないが気付いた頃には佐伯さんとは他愛のない会話をするような関係になっていた。飾り付け用のクッキーだとかパウンドケーキの端っこだとかおまけをつけてくれるので味を占めていたのだけど、盗難被害の相談をされるほどとは予想外だった。

「警察呼びますか?ちなみに犯人は私ではないです」
「昔の話だよ」

まさかこのタイミングでお店の裏話を聞けるとは。良いネタになりそうだ、そう思ったのだけど佐伯さんの顔が筆舌に尽くしがたいほど可哀想な感じだったのでメモ帳に伸ばしかけた手をぐっと握り込む。今は使わないでおこう、もう1人の私がそうしろと囁いている。そして同時にこうも言っている、すべての話を聞き終えたら記事のネタにしていいか改めて聞けと。
結論から言うと佐伯さんが語った昔話とは冒頭を聞きかじっただけで察せるような高校時代の甘ずっぺえ色恋沙汰だった。イケメン店主として人気を博す彼の記事に使うとなると余波が読めない問題作になるぞ……と、どこからともなく再びもう1人の私が囁きに現れたので、早々にネタにすることは諦め佐伯さんの話に耳を傾けることにした。

……今思えば、雲行きがおかしくなったのはこのときだ。私の軽率な質問が原因だったように思う。

「じゃあもうずっとその女性とは会っていないんですか?」

私はその女性のことをとんだ悪女だな!?と思って聞いていたし、ミチルやヒカルのように人の恋路が楽しいタイプではないけど登場人物全員おもしろくて多少興味が湧いたので相槌のようなつもりで言ったのだ。

「ああ、会ってないよ」
「そうなんですね」
「アイツは海に帰ったんだ」

佐伯さんは何でもないように肩をすくめた。そういえば羽ケ崎灯台には人魚の伝説があるんだと白羽くんが教えてくれたっけ。少し変な言い回しだと思いつつ、その伝説に掛けたのだろうとこの場では納得した。
その後すぐ試作品だというケーキが前に置かれたことで、佐伯さんの昔話は一区切りついたのだった。





しばらくしてから聞き及んだことだが、佐伯さんの言っていた女性は氷室くんの従弟叔父にあたる人とも同級生であること、そして若くして亡くなっているということを知った。あのとき佐伯さんの横顔が向けられていたもの。あれは窓の外に広がる羽ケ崎の海だったのだ。

私は自分の発言にひどく後悔した。
220417
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