小説
男主 / 花吐き病

いつ罹患したのかは定かではない。ただ、幼い頃から好奇心旺盛な質ではあったので、道端に季節外れの生花が落ちていれば摘まみ上げるくらいはしそうだ。自分のことながら困ったものだと思う。
今の今まで、この病のために生活に不都合があった試しはなかった。理由は単純明快で、恋だ愛だというものに疎かったからだ。それはもう、自分が罹患していることに気付けないほどに。

この病に罹患していた事実とナマエへの想いは、凡庸なきっかけによって明るみになった。同時に自分の色恋の有り様は普通とは言い難いことも思い知ることになる。

校内で見かけたナマエと1人の女生徒が話している。言ってしまえばただそれだけの光景だったが、その光景をとても自然で、睦まじくて、どこか羨ましいと感じたのだ。似合いの2人だとみとめた瞬間、腹の中で得体の知れない何かが芽生える気配がした。

それからだ、時折、季節外れの花を吐瀉するようになったのは。





花を吐いては日々消耗していく様を隠すために、その理由がナマエに気取られないように、慎重に毎日を繰り返す。慎重にと言っても、何か特別な措置をする必要はない。
所詮は一方的で押しつけがましい感情を瞼を薄ら開けて飛ばしていただけだ。何も始まっていない。クラスや部活が違うことも幸いで、ただ自分自身が平静にしていれば、不用意にナマエを見なければ大丈夫。
稀にかち合う視線は、かつてははかり知れぬ幸せをもたらしたものだが、今は花をまき散らす実害と苦しみや痛みに加えて、自分を嫌いになりそうな感情ばかりを招くから。

このまま緩やかに疎遠になってゆくのだ、そうすれば、きっと一片も残さず忘れられる。この病から逃れるためには実らすか忘れるかに尽きるのだから。

だから、

「ねえ、なんで避けるの」

制服のネクタイを握られナマエに詰め寄られている、こんな展開は想定外だった。ナマエの顔が見えないように、否、自分の表情が読まれないように顔を背けた。

「こっち見て」
「……」
「こっち見ろよ、柳」

ナマエの語気の鋭さに根負けしそうになるが、視線は頑なに合わせない。意地もあったし、何より隠し事が露呈することが怖かった。でも、ナマエを押さえつけて強引に逃げ出すことだってできたはずなのに俺はしない。縋り付くような浅ましさに溢れている、布越しに感じ取れるナマエの体温の離れがたさといったら。
一方で、ナマエにも無理にでも視線を合わす方法はあるはずなのにそうはしない。横目でナマエの様子を探る。じとりと睨みつけられている。何度その視線の意味が、同じであるはずがないのに同じであればよいのにと思っただろうか。駄目なのだ、この目に見られると俺は。

「ミョウジっ、…うっ…ぁ゛…ッ」

堪えきれない嘔吐感にえずく。咄嗟に屈んで身体を丸めた。せめてもナマエの素肌に触れないように、できればナマエの目に触れないように。しかし紛うことなく俺はナマエの目に捕らえられたまま喉の奥から腹の中から吐瀉花を吐いたのだ。もう、穏便な終わり方は期待できないかもしれない。

「……は、ぁ…はぁ…」

できることなら善良でその他大勢の友人のまま記憶に留めてほしかった、なんなら忘れてしまっても良かったのに。考え得る中で最も酷い結末だ、顔が挙げられない。
息を整えるフリをしながら、手早く床に散らばった吐瀉花を手繰り寄せた。

「すまない、不快な物を見せた。可能であれば忘れて欲しい」
「……」
「…ミョウジ?…な、にを……!」

吐瀉花に触れてしまえばナマエもいつかこんな苦しみを味わうことになってしまうのに。

なのに。

ナマエは何をとち狂ったのか、即席で出来上がったささやかな花束からひと花を毟り取った。それから正しい位置で重なり合う花弁を握り潰して、口に、

「!?」
「思ったより無味だ…甘いのかと思った」
「馬鹿か!?触れるだけでも感染するというのに…!」

それは瞬く間の出来事で、何でもかんでも口に入れる赤ん坊と同等の躊躇のなさだった。握り潰したのは食べる前の下拵えだったらしい、誰が気付くものか。手遅れと分かっていても慌てずにはいられない、ナマエの両肩を掴んで揺さぶった。







「……お゛ぇッ」

えずきと共にナマエの口から花がずるりと落ちた。ほのかに光を発するソレに唖然とする。そんなはずがない。盗み見るほどにしか見られなかったナマエの目を見た。

「ほら、」

ナマエが手のひらで作った器をこちらへ差し出す。喉の奥、腹の中で今にも吐き出されようと待ち構えているソレが、最後のひと花であると悟った。

耐えがたいものはもう何ひとつなかった。

201226
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