小説
髪、伸びたな。

そう言って、茶化すように私の髪を触った手嶋の手を払う。そしてお返しとばかりにお腹に軽く突きを食らわした。部活で鍛えているだけあって私の一撃などものともしない。
別にダメージを与えたくてやっているわけではないから、それは別にいいのだけど。私にとってこれは、込み上げる気恥ずかしさを隠すためのせめてもの抵抗であるから。

手嶋は、それにしてもと言葉を区切って前の席に座った。

「1年か、早いもんだなぁ」
「……」
「俺らが自転車競技部に入ってから」
「ああ、そっちの話」
「いや?どっちもだけど?」
「…食えない奴」

ククッと喉で笑う手嶋が憎い。反応するとコイツの思う壺だと分かっているのに、釣られてうまく隠しきれない自分も憎い。
1年、それが意味するものは色々とある。たとえば、もうすぐ私たちは進級して2年生になるから、この学校に入学してから1年。それも間違いではないが、手嶋が言う“どっちも”には当てはまらない。
手嶋の言っている1年とは、1つは本人が言う通りに私たちが自転車競技部に入部してからの期間を示している。1つの目標に向かって努力する人間とそれを支える人間という関係は、思った以上に親密な関係を構築するらしい。
初めは下心で入部した何の知識もない私が真剣にマネージャー業に取り組むようになって、“弱い”と自己評価していた手嶋たちがいくつものレースで表彰台に上るようになって、私たちが男女の垣根を超えて、軽口を叩いてじゃれ合う程度に仲良くなって。そうなるまでの1年。それが1つ。

そしてもう1つ。これは、私がわざわざ自転車競技部を選んで入部した理由に直結する。下心。そう、下心しかなかったのだ。

「田所さんも言ってたぜ。ミョウジにはよく助けられてるって」
「ほ、ほんと!?」
「嘘言ってどうすんだよ」
「う、うん。そう、そっか」

田所さんに出会って恋をして、もう1年が経つ。入学してすぐの頃、自転車通学中に運悪く側溝に車輪をとられて横倒しになりそうになったところを、田所さんに助けてもらったのだ。朝練中だったのだろう、自転車に乗った田所さんが隣で抱きとめてくれた。自転車に乗ったままそんなことができるんだとか、男の人に抱きしめられたのなんて初めてだとか、それが力強くてたくましいことだとか、色々な感情が錯綜してドキドキして、気が付いた時には入部届を手に持っていた。

鎖骨よりも下にある毛先を指で摘まむ。この長さは、田所さんを想うようになってからの時間に比例する。そのことを知っているのは手嶋と青八木くらいだ。はじめは単なる願掛けだったけれど、1年生の時に同行した合宿で耳にした会話、それはありがちな好みの女の子の話題で、偶然にも彼は髪の長い女性が好きなのだと知った。以来、私はずっと髪を伸ばしている。

「ミョウジは本当に分かりやすいな」

そう言ってまた笑う手嶋を尻目に、手嶋は分かってないなぁと心の中で思う。そう、確かに下心から始めた部活だった。だから、田所さんにそう言ってもらえたことはもちろん嬉しい。
だけど、今は、何も知らなかったド素人の私が少しでも部に貢献できている、そのことが素直に嬉しく思うのだ。
まぁ、田所さんに頭をぽんぽんされるたびに、この想いが髪から手に伝わって彼に届けばいいのにとは思っているのだけど。

20150916
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