小説
「今日は遅いな、宮田」

神代家に着いて早々に面倒な奴に会った。宮田はうんざりと溜息を吐きそうになるのを堪える。目の前の男、神代淳とは仮にも主従関係にあるのだ。婿養子である神代淳は、神代家長女であり婚約者である神代亜矢子よりも、妹の美耶子の方に妙に執着している。そのせいで往診の帰りには必ず声をかけてくるのだが、診察前に出くわすのは珍しい。ミョウジナマエと出会ったことで時間が押したせいだろう。

「はい、少し野暮用で」
「ふぅん…」
「では美耶子様の診察がありますので」

淳も診察前では話すことも特になく、無論宮田が往診に遅れた理由に興味を示すわけもない。宮田も、増築を繰り返して歪な形をしている廊下で憎たらしい神代家の婿養子と立ち話をするなど御免だった。

「お義母様も求導女もやけに機嫌が良いし。お前、何か知っているか」
「…いえ、何も」

先ほど出会った女、ミョウジが言っていた教会の計画とやらに関することだろうとすぐに合点がいく。何か知っているかと問われるとほぼ何も知らないし、知らされていたとしても淳には絶対に言わない。完全に宮田への興味を失った淳はそのまま自室のある方へ立ち去って行った。診察後に捕まらないと良い、一日に何度も拝みたい顔ではない…。淳の背を見ながら宮田は思った。



「今日は遅いな、宮田」
「申し訳ございません。美耶子様」

第一声が淳と同じで思わず顔をしかめそうになるのを堪え、宮田は往診用の鞄を置いた。往診と言っても、盲目であることを除いて健康そのものである美那子に必要なことはほとんどない。美耶子と同じ神の花嫁であった少女達の多くは色白で虚弱体質であったと聞いているが、目の前の少女からはそんな不健康さは一切感じない。
簡単な聴診と触診を済ませ、花嫁の身体に異変がないことを確認する。次女付きの女中がいるため、細やかな世話は行き届いていた。
盲目である上、この座敷牢に軟禁されているにも関わらず、村の情報に敏いこの少女。まさにその場で話を聞いていたと表現するほかないほどに的確に全てを言い当てる。そんな少女に恐れをなした女達を既に幾人も葬ってきた。確かにこの盲目の少女の気味の悪さは札付きであると言える。しかし今回の世話係はよくやっているようだった。

「宮田はあの女も殺すのか」
「…何を」
「あいつ…悪い奴じゃなさそうだけど」

この村の裏側を知り尽くしていて、まともな道徳観や倫理観が育つとは到底思えない。それは美耶子だけではなく宮田自身も同じで、2人の会話がいくら非人道的であっても咎める者はいない。特にこの年まで宮田の役を担い続けてきた宮田とそのすべてを通し見る美耶子にとっては、人1人の命が強制的に潰えるのも瑣末なことでしかない。しかし、

「まぁ…そうならなければ良いとは思いますがね」

美耶子が悪い奴じゃなさそうだと感じた女の身を案じるのも、宮田が場当たり的に吐露したつもりの言葉が思いのほか本心に近くて吃驚したのもまた事実で。

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