ぼくのすきなおと


 月もようやく顔を出せるほどに薄暗く空が染まる頃。
 長い一日も終わり、三木ヱ門が自室で暇を持て余していた、そんな折のことだった。
 火器に関する本でも開こうかとしたところ、とんとんと戸を叩く音が聞こえたのだ。三木ヱ門が在室を告げると、「失礼します」という声とともに、戸がゆっくりと引かれる。
 三木ヱ門は、珍しい客だと思った。そこには、何やら神妙な面持ちをした孫兵が立っていたのである。わざわざ長家を訪ねてくるとは何事だろうか。

「何か……用事でもあったのか」

 窺うように尋ねたそれに、返答はない。口は引き結ばれたまま、孫兵は中に踏み入れると、律儀に後ろを向いて戸をするすると閉めていった。ぴたりと戸を合わせると、孫兵は座り込んでいた三木ヱ門のほうに向き直る。そうして、しばらく黙りこくっていたかと思うと、ようやく口を開いた。

「別に、なんでもありません」

 それが何事もないという顔か。三木ヱ門は内心で呟く。
 そのうちに、孫兵はこちらへつつとやってくると、三木ヱ門の隣に膝をついた。一体何なんだと文句を言う間もなく、とすんと胸に孫兵の頭が落ちてきた。
 その様がまるで倒れ込むようだったので、三木ヱ門は思わず両腕を出してその身体を受け止める。

「おい、どうしたんだよ……大丈夫か?」

 流石に心配になって問うと、こくこくと腕のなかで微かに頷いているようで。どうやら具合が悪いのではないようだ。

「胸の音を聞いてるんです」

「胸の音?」

 そういえば、孫兵はぴたりと胸に耳をつけている。どうしていきなりそんなことをはじめたのだろう。そんな三木ヱ門の疑問に答えるように、孫兵は言った。

「これ、心臓の音……嫌いなんです」

「……どうして嫌いなんだよ」

「なんだか気持ち悪くないですか」

「分からない、けど」

「それに、いつかは止まってしまうものだから」

 思わず、はっと息を呑む。

 ――ああ、そうか。それで。
 何となく合点がいった。三木ヱ門は、仕方のないやつだと苦笑しながら、その背をぽんとはたいてやる。

「……先輩の音は、嫌いじゃありません」

「おんなじだろ、お前のと」

「違いますよ」

 孫兵はふっと顔をあげたかと思うと、くいと三木ヱ門の胸元を引く。そうして見上げるようにしたまま瞳を閉じると、優しく唇を重ねた。
 突然何を、と三木ヱ門が目を見開いて慌てていると、悪戯好きな後輩はくすくすと笑う。

「ほら、こうすると急にはやくなる」

 とくん、とくん。
 言われて余計に意識してしまう鼓動の速さが恥ずかしくて、三木ヱ門は唇を噛んだ。ふいと視線を逸らすと、頬を膨らしてみせる。

「お前だって同じくせに」

「さあ、どうでしょう」

 それじゃあ、もういちど試してみましょうか。妖しい笑みを浮かべる後輩の誘いに、受けてたつとばかりに袖を引く。
 確かに、悪くはない。三木ヱ門は、ちらと思った。この音が止む前に、幾度も聞いておけばいい。いつか消えてなくなってしまう時がきたとしても、決して忘れられないように。

 そうしてやがて触れるのだろう、近づいてくる熱を待ちながら、そっと瞳を閉じた。





[ prev / next ]
第3回BLove小説・漫画コンテスト結果発表!
テーマ「人外ファンタジー」
- ナノ -