無自覚の願い



 ――不思議だと思った。

 この人はもちろん毒虫とは違う。
それでも、何故か、ずっと見ていたいと思える。

 最初こそは、自惚れ学年の煩い「先輩」…一応は。
という認識しかなかった。

 
 いつからだろう、こんな風に目で追ってしまうようになったのは……


 私はアイドルなんだ、と目を輝かせ、胸を張って言う。
成績優秀、火器にかけてはナンバーワン!

 いつも毎度おなじみ、聞き飽きた口上。
よくもこんなに自分に自信が持てるものだ。

 そう、どこか呆れていた。


 …でも、ずっと見ていたら、ある時、気がついてしまった。
そんなあの人の、一瞬だけ見せる憂い顔。

はっとして、くるりとそちらを見やると、
その時には既に、いつもの得意気な煩い先輩の顔に戻っていた。

それからも、ちらりと観察していると、
時たま、そんな刹那の表情に出会うことに気づく。
コロコロと変わる表情。
その中に一瞬だけ、多分、僕だけが見ているその顔。


―…恐らく、それに気づいてからだろう。
前以上に僕は、あの人を気にかけるようになっていった。
毒虫じゃない、人、人間。
だけど、面白い。もっと色んな顔を見たい。
そう、これはあくまでも興味の対象のひとつ。


 そして今日も、僕はあの人の観察を続ける。



*



 「おや、自称アイドルの田村先輩じゃないですか」


にこりと笑顔を作ってみせる。
偶然ですよ、とアピールするかのように、軽い嫌味を付けることも忘れずに。

すると、向こうはあからさまに“嫌な奴に会った”とでも言うように表情を歪めた。


「―…また伊賀崎か」


 また、というのは、ここ最近、僕がこの先輩の行く先々に顔を出しているからである。

それがわざとと知ってか知らずか……
いや、この人は何も気がついていないんだろう。
そう考えると、なんだかこの先輩が可愛らしく見えてくる。

 後輩にまで虚勢を張っている姿は、身体を揺らしてみせる毒蛾のようで。


「ええ。―…お邪魔でしたか?」


 こうして自分から下手に出てやれば、
相手が切って捨てることの出来ないのも、全部お見通しだ。


「別に…、邪魔とまでは言ってないけど……」

「そうですか」


 にこにこ、と人当たりのよい笑顔を作ってみせる。
―…何だかんだ言ってこの人は甘い。


 首に巻いたジュンコを、指でちょいちょいと撫でてやる。

先輩はそれをチラリと見やると、愛用の石火矢を引き、歩き始めた。
長々と立ち話をするつもりはないのだろう。

 少しの間を置いて、その背をしばらく見つめてから。
すたた、と僕は小走りで、その横に並ぶように追いついた。


「―…なんだよ」


先輩は足を止め、不快そうな声でこちらを睨む。

…邪魔じゃない、なんて言っておいて、やっぱり邪魔なんじゃないか。
内心クスクスと笑ってやる。


「いえ、ね……、田村先輩は、石火矢がお好きですよね」

「…“ユリコ”って、ちゃんと名がある」


ぷい、とそっぽを向くと、再び歩き進める。


―…ほら、ね?
また虚勢を張ってる。

かわいい、ひと。


 そんな先輩の斜め後ろを着いていく。
先輩はと言うと、着いて来られるのが嫌なようで、眉間に皺を寄せているのが分かる。

 嫌なら、いつものような強気で言えばいいのにね。
こちらが強く出ないと、上手く返せないこの人が面白い。
いつもはあんなに人と張り合っているのに。


 カラカラ、と石火矢を引く音だけが響く。
僕は何も話しかけず、ただ、後ろをついて歩くだけだ。
向こうも何も言おうとはしない。
石火矢を引く先輩と、僕の無言の散歩が続く。

 揺れる髪と、頭巾から覗く小さな耳。
毒虫のような可愛らしさとは違うけれど、それもまた、この人のものなら―…
癪だけど、認めたくないけれど。


「……せんぱい」


 その人はぴくりと小さく反応する。
それでも話を聞くそぶりすら見せようとしない。

僕が、そんなあなたを見ているなんて、そんなこと。
そんなこと、全然、知らずに……

さあ、目に物見せてやれ。
張った虚勢を脱いだ、その下のあなたを、暴いてやろう。
その一言を、腹立ち紛れにその背にぶつける。


「三木ヱ門先輩」


小さな耳がほんのりと紅に染まったのを、僕は見逃さない。


「好きだ……、って言ったらどうします?」

「…なッ!?」


 今度こそ、その人はくるっと振り向いて、こちらを見る。

無視を決め込んでいたんじゃないのか、と言ってやりたいくらい。
その反応は、あまりにも分かりやすくて、僕は微笑んでみせる。

 その耳はもちろん、頬までもう真っ赤だ。
想像通りの表情に、僕はにっこりと口の端を上げてみせた。


「なっ、伊賀崎、お前―……す、す…、」

「好き、です」


 ああ、この人、仮にも忍びの卵なのにね。
先ほどまで、僕をきつく睨んでいた瞳は驚きの色に染まっている。
やっぱり、面白くて見ていて飽きない。

―…そろそろ止めてあげようか。
あまりにも慌てているこの人を見て、クスクスと笑う。


「先輩、ジュンコの事ですよ?」

「へっ!?じゅ、んこ……?」

「はい……、何のことだと思いました?」


 分かっていてわざと聞いているのだから、いい加減に気づけばいいのに。
この人は、単純に騙されて。いつもいつも。


「……、知ってたよ!お前がジュンコを好きだなんて、今更だろ!」


―…だから。そんな今更なことを聞くから、戸惑ったのだと言い訳をして。

 自分でもその言い訳が不自然だって、気づいてますか?先輩。
妙にムキになっていることも、耳や頬がまだ赤いのも。

 僕は全部。最初から、観察してるんですよ。


 先輩は、とうとう吹っ切れたのか、石火矢の紐を再び握ると、くるりと背を向けて、

「もう、お前に邪魔されたくないからな!」

 と、ようやく“邪魔”だと口にして、
かなりの重さであろうその石火矢を引き、走りだした。


 僕はもう追いかけない。
カラカラと車輪の音と、トタトタと忍者らしからぬ足音が小さくなっていくのを聞きながら。
その背を、今度は静かに見送った。


「……僕にだって、後輩としてのプライドがありますから」


 だから、あなたから自覚してくれないと困るんですよ、先輩。

 ―…一体何にだろう。
それは自分でもまだ、気づいていないことにしておく。


 あの人のいなくなった、この場所に。
僕は、まだ一人で立ち続けている。
どのくらい時間がたっただろうか、それでも体はそこから動こうとしない。

ジュンコが心配そうに顔を覗き込むけれど、大丈夫だよ、とその頭を撫でてやる。


 今はまだ、これくらいしか届かないけれど。

「いつか、僕のところに落ちてきてくださいね」


 その名を、幻のあの人へ呼びかける。
 夕暮れの赤だけが、そんな僕をただ、見ていた。

―…いつか届くのだろうか、この小さな願い。


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