Calling Link


 プルルル、と無機質な機械音が独りきりの部屋に響いた。今夜は同室を共有している後輩は、なにやら用事でホテルに泊まらなければならないそうで。
 いつもより余計にうるさく聞こえるそれに、三木ヱ門は顔をしかめた。こんな夜分に電話をしてくる相手など、一人しか思い当たらなかった。
 一度、二度と、わざとコール音を無視して、ようやく受話器を手にとる。

「……もしもし」

『ああ、先輩ですか。夜にすみません』

 予想通り当の後輩、伊賀崎孫兵の澄ました声が電話から聞こえた。それが嬉しかっただなんてことは、決して向こうに悟られたくはない。今寝るところだったんだ、なんて嘯くけれど、性合の知れた孫兵にはそんな強がりもお見通しのようだった。

『先輩が寂しいんじゃないかと思って』

「誰が寂しいなんて、」

 言いかけたそれを、まあまあと制される。なんだか自分の思考などすべて読まれているようで、面白くない。
 三木ヱ門が膨れていると、生意気な後輩は息を含んだ甘い声色に変えて『ねえ、しませんか』と囁く。なにがだよ、と無愛想に答えると、孫兵はとんでもない要求をさらっと口にした。

『聞いててあげますから、自分でしてみてください』

「なっ、ふざけんな!そんなこと……」

 できるわけない。
 この後輩は、こうして突拍子もないことを言い出すことが度々あった。それでもいつも許しているのは、向こうに折れてやっているだけで。今はいない相手に折れてやるも何もないだろう。

『先輩……、お願いします』

 そんな内心を知ってか知らずか。孫兵は心底から切なそうに、下手にでて頼みこむ。三木ヱ門がそれを断れないことなんて、もう承知済みなのだ。
 ああもうどうにでもなれ、と半ば自棄になりながら、三木ヱ門は唇を噛んだ。

『……電話、ハンズフリーにして』

 なんでこんな後輩に流されてしまうんだろう、いつもいつも。ぐるぐると頭のなかで文句を言いつつ、大人しく従っている自分がいる。受話器を置いて、ようやく両手が自由になった。

『下、脱いでください』

 カチャリとベルトを外す音は向こうにも伝わったようで、ふ、と笑ったような息づかいが聞こえる。

 ――くそ……、なんで、こんな。

 改めて見つめた自身は既に、緩く兆しはじめていた。声だけで、もうこんななんて。誰も見ていないとは分かっていても、羞恥で頬が上気する。身体が火照りだして、熱い。早く終わらせてしまいたい。

『いつも僕がしてるみたいに、胸、触ってみて』

 その焦らすような触れ方を思い出し、三木ヱ門はシャツの中に手を忍ばせた。胸の飾りに手が触れ、ひやりとした温度に思わず「あっ、」と声をあげる。
 前まではこんなんじゃなかったのに。全部こいつのせいだ。恨めしげに電話を睨んでも、相手は露知らず嘲笑っているに違いない。
 痛いくらいにつねってから、ころころと指先で弄ぶ。記憶の中にある、もどかしいくらいの仕草を真似て触れてみる。そのうちにだんだんと思考が混濁してきて、今の状況すら忘れかけていた。

『かわいい、ピンク色ですね……』

「……っ、るさい」

 こちらの余裕のないのが面白いのだろう。まるでこの場で見ているかのように言う。それが羞恥を高めるのだと分かっていてするのだから、たちが悪い。

『ほら、足開いて』

 もう余計なことは考えられなくなっていた。言うなりになって壁にもたれると、大きく足を開いた。どうせ誰も見ていないのだから、構うものか。ふわふわとした頭のなかで思う。

『前も触ってあげますね』

 その声に、とうとう自身に手を伸ばす。今の三木ヱ門にとって、既にそれは彼の手に相違なかった。ゆるゆると絡ませた指を上下させる度に、意図せず甘い声が漏れだす。ちゅくちゅくと卑猥な音が鳴り響いた。

「……んっ、」

『電話なんですから、声我慢しないで』

「あっ……、ふ、まごへ……」

 目の端に浮かんだ涙が零れそうになる。一人でこんなはしたないことしてるだなんて。恥ずかしいことをしていると自覚しながらも、ぞくぞくと感じてしまう自分が浅ましい。

「やっ…、やだ……あっ!」

 ふるふると震え、軽く背が反ったかと思うと、吐精を迎えていた。三木ヱ門は、びくんと最後の名残を吐き出すと、壁にずるりと背を預けた。は、は、と浅い呼吸を繰り返す。胸が上下するのを、薄く開けた双眸で見つめていた。
 最早、これが聞かれているなんてすっかり頭になかった。そのままぽやぽやとする思考に酔っていると、次第に頭もはっきりしてきた。だから、受話器の向こうが随分静かになったな、と気がついたのはしばらくたってからのこと。

「伊賀崎……?」

『……あっ、すいません…、その、』

 おずおずと名を呼べば、途切れ途切れに返ってきたその声。その具合から、ふと気がついてしまった。
 余裕がないのは、何も自分だけではない。自分だけが恥ずかしい思いをしていたわけじゃなかったんだ。
 安堵と愛しさが湧き上がってきて、思わずふわりと笑みを浮かべた。三木ヱ門は吐き出したばかりの欲を指で掬い、絡める。どろりとしたそれに、少しばかり水音が鳴った。

『先輩、なにして……』

 その音が聞こえたのだろう、孫兵は驚いたように言った。三木ヱ門はそれに構わず、もたれていた背を軽く捻ると、後孔をつうとなぞった。そこは、ぐいぐいと押した人差し指をつぷりと飲み込んでゆく。

「あ、ん……んぅ、」

 二本、三本と咥えた指は増えて、中でばらばらと動かされる。そのまま何度か抜き差しすれば、いやらしい水音が響いてますます三木ヱ門の興奮を煽った。
 こんな、こんなのっておかしい。だけど、認めたくないけど、気持ちよくてどうにかなってしまいそうだ。

「……あぁ、孫兵……もうっ、」

 再びとろんと溶け出した思考に、自分が何を口走っているのか気にする余裕なんかなかった。ただ、もっと触れて欲しい、それだけしかなくて。

『っ、先輩…、僕も……』

 電話から聞こえるその声に満足して、そのままぴゅくぴゅくと二度目の絶頂を迎えた。疲労感が襲い、は、と胸から息を吐き出す。募った寂しさも一緒にどこかへいってしまったようで、胸がすっかり軽くなった。
 向こうの様子は分からないけれど、きっと同じように思ってくれているのだろう。三木ヱ門は薄く笑った。二度の吐精のけだるさに、今度こそずるずると背は滑り落ちて、床に身体を投げ出す。

 ――でも、こんなんじゃ足りない。まだ寂しい。だから。

「……早く帰ってこい、ばか」

 ぼんやりとした瞳で電話を見つめて呟いた。その先は、想い人に繋がっている。
 目蓋を静かにおろして、三木ヱ門は意識をゆっくりと手放したのだった。





 受話器からすーすーと聞こえてきた寝息を確かめて。孫兵は両腕に顔を埋めた。

「……あー、もう」

 この人にはかなわないな、と思う。
 本当に翻弄されているのはこちらがわ。必死に恋して、これで精一杯だなんて、情けなくて堪らないのに。そんなこと先輩は少しも知らない。
 火照った身体は、未だ熱に浮かされている。

「ほんと……どうするんだこれ」

 そんな自分がみっともなくて、悔しくて。語る相手をなくした受話器に向かって呟く。いつか本当に形成逆転してやりますからね。
 孫兵は、しばらく三木ヱ門の規則的な寝息を聞いていた。やがて、受話器をそっと置く。明日は早く帰らなくちゃいけないのだから。
 はあ、とため息をついてバスルームへ向かった。

 ――大好きです、なんて電話じゃなくて、あなたに言えたらいいのにね。

 まだまだ、未熟な僕らの恋だった。


   


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