▼ 四月馬鹿の日
虫たちも目覚め、ちらほらと花も咲き出して春めく今日この頃。
ここ、忍術学園では妙な遊びが流行しているらしい。なんでも今日は、四月馬鹿という日で、嘘をついても許されるのだとかなんとか。これがまた、下級生はもちろん上級生まで乗じて悪戯に励んでいるのだから仕方ない。嘘が流行っていると分かっていれば、騙される者などいなくなってつまらないのではないかと思うけれど、案外そういうものでもないらしい。皆、如何に人を騙せる嘘をつけるか苦心しているようであった。
「嘘なんか何が面白いんだろうねえ、ジュンコ」
孫兵は首もとの蛇に呼びかける。本当に、とでもいうようにジュンコはこくりと頷いた。孫兵はにこりと笑ってジュンコを撫でると、ふと、前方を見やる。すると、ちょうど向こうから駆けてくる友人の姿が目に入った。同じ三年生の神崎左門だ。
今日も決断力のある方向音痴で迷っているのかな、と見ていると孫兵のほうにまっすぐに向かってくるではないか。左門はそのまま勢いよく走ってくると、孫兵の目の前でブレーキをかけるようにして止まった。
「おお、孫兵!ちょうどよかった」
「どうしたの、左門?」
「聞いてくれ、僕は方向音痴が治ったみたいなんだ!」
これまた四月馬鹿か、と孫兵は苦笑した。
騙しにきたのはこれで五人目だ。全部を嘘だと見破ってやったけれど、こんなに分かりやすい嘘をつかれたのも初めてだった。
「嘘」
「やっぱり無理があったか」
「うん、流石に……」
「ちなみに食堂の場所は、あっちだー!」
「左門……本当に治ったの?あってるよ」
「そうか、嘘をついたつもりだったんだが!」
そう言うと、左門は再び走っていってしまう。友人たちはいつもああして慌ただしい。嘘で方向音痴が治るならいつもそうすればいいのに、と内心で呟きながらその背を見送った。
あの程度の嘘で楽しむなら可愛いものだ。中には縁起でもないことを口にして、相手が青ざめるのを楽しむ者もいる。人を騙すことにやっきになるなんてくだらない。
孫兵はどこか冷めた気持ちで学園を眺めていた。
「ジュンコ、お昼寝にいい場所を探そうか」
しゃあ、とジュンコが同意を示した。今日はいい青空だし、昼寝にはいい日和だろう。どこがいいだろうか。池の近くがいいかな。ジュンコに話しかけていたその時、孫兵の後ろから声がかかった。
「おい、伊賀崎」
無意識にぴくりと肩が跳ねた。独特な声の主は、振り向かずとも分かる。ひとつ上の田村三木ヱ門だ。
何も彼だから、というわけではない。この四月馬鹿という馬鹿げた遊びの流行で、自然に人に対して構えてしまうのだ。だから誰とも会いたくなかったのに。
それに、いつもならすれ違っても素通りしてしまうか、文句をつけてくる三木ヱ門の真意に惑う。ああ、この人も四月馬鹿なのか。
なんとなく落胆しつつ、間を置いてから孫兵は振り向いてやった。
「なんでしょうか、田村先輩」
「別に……特に用事とかじゃないけど」
「ユリコも連れずに散歩とは、四年生は随分お暇なんですね」
「お前は、ほんっと生意気だよな」
――おや?
三木ヱ門の言葉に、孫兵は首を傾げた。どうも四月馬鹿とは違うみたいだ。もしも四月馬鹿なら、ここであべこべのことを言うだろうから。
なら、何しに来たんだろう。孫兵はもう少しつついてみることにした。
「ほんとは何か用事があったんですか」
「だから……、ないって言ったろ」
その返答に妙な間があった。どうも怪しい、と孫兵はさらに疑いを深くする。
もしかして、四月馬鹿ではないと安心させてから大嘘を――いや、この先輩に限ってはその心配は要らないだろう。
「今日の先輩、変ですよ」
「この田村三木ヱ門に対して、変とはなんだ!」
「いえ、そういう意味ではなく……確かにいつもおかしいですけど」
「……っ!」
「火器に口づけしたり、アイドルを自称したりするのは明らかにおかしいです」
「お前にだけは言われたくない!」
「どういう意味ですか」
あれ、おかしい。孫兵はふと気がついた。三木ヱ門に探りを入れるつもりが、結局いつもの口論になっている。それでも、こういう状態になったら、どう引き返していいか分からなくなって止まらない。
「大体、田村先輩は少し自重を覚えるべきなんですよ」
「…………」
「全然、先輩らしくないし」
「…………」
「自惚れの強いような振る舞いも……、田村先輩?」
そこで、三木ヱ門が随分と静かなことに気がついた。いつもなら言い返してくるものを。どうしたんだろう、と孫兵が様子を窺う。三木ヱ門は俯いたまま、拳を握りしめて微動だにしない。
すると、唐突に三木ヱ門が孫兵の襟首をぎゅっと掴んで引き寄せた。思わず、わっと声があがる。
「なんですか?」
流石に怒ったのかな、殴られるかなと孫兵が思っていると、三木ヱ門は顔をあげた。思いの外、怒りでも屈辱でもない表情である。
三木ヱ門は、小さく何事かを呟いた。
「だから……」
「だから?」
聞き返してやると、少し躊躇ったような素振りをする。漸く、口元を引き結ぶと、改めてそこを開いた。
「だからお前なんて……、だいきらいなんだ」
三木ヱ門は、なぜか視線を逸らしながらそう告げる。いつもなら喚き立てて言うところなのに、一体どうしちゃったんだろう。
孫兵が目をぱちくりとさせている間に、ぱっと襟首から手が離されて、三木ヱ門は駆けていってしまう。
「あ……、」
声をかけようとしたけれど、姿はもう見えなくなっていた。
一瞬、彼が背を向けた瞬間に見えた瞳が、頭に焼き付いている。どうしてあんな顔――怒ってるんじゃなくて、まるで照れてるみたいな……
ぐるぐるぐる。気になって仕方がない。
うーん、と孫兵は考えこんだ。とりあえず、足だけは池に向かって歩いていると、先ほど食堂に向かったはずの左門が脇を通る。
「孫兵!今度はどうしたんだ!誰かの四月馬鹿にでも騙されたのかー?」
「四月馬鹿……?」
そこで、あ、と合点がいった。そういえば、今日は四月馬鹿だったのだ。だから、あれはそういう。全く馬鹿じゃないかと思う。あんな嘘なら、いつもだってついているだろう。
黙ってしまった孫兵を窺うように、左門がひょいと横から顔を出した。
「何かあったのか?」
「……なんでもないよ」
孫兵は、平静を装ってそう答える。
すると、突然、左門が先ほど掴まれた襟首を指したので、どきりと心臓が跳ねた。
左門は無邪気に告げる。
「そういえば、ジュンコがいなくなってるな!」
「えっ、嘘だろ!ジュンコ〜!?」
こうして、いつの間にやら姿を消していたジュンコの捜索をするうちに、孫兵の四月馬鹿は終わっていたのだった。
end...
2013/04/01
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