Step to you

「うう、毒虫野郎のくせに……冷徹人間、馬鹿後輩……」


 とある昼下がり、いつもの屋上。
 空にはいくつか雲が浮かび、いい陽気であるのに対し、三木ヱ門はどんよりとした空気を纏ってぶつぶつと何事かを呟いていた。
 タカ丸と二人で購買部に遣いに行ったはずなのだが、帰ってみればこの様子。
 待っていた滝夜叉丸と喜八郎は、呆れたように視線を向けた。見当はついたけれども、「どうしたんですか、これ」と喜八郎が問う。
 タカ丸は、あははと苦笑いして答えた。

「それが、俺が購買でゼリー買ってる間に、鉢合わせちゃったらしいんだよね……伊賀崎くんと」

 やっぱりな、と言うように滝夜叉丸はかぶりを振った。三木ヱ門をこんな状態にするのは、あいつしかいないだろうから。
 中等部一年の伊賀崎孫兵は、ひとつ年上の二年に対していたく生意気だ。特に、こと三木ヱ門に対してはそれもまた顕著なようだった。

「三木ちゃんとこに帰ったら、ちょうど伊賀崎くんが引き返してくとこでさ」

 喧嘩にならなくて良かったよ、とタカ丸は言う。口先の小競り合いを喧嘩に含めないのであれば、の話ではあるが。
 すると、一人食事を始めていた喜八郎が口を開いた。

「そもそもさ、三木は何であの後輩だとそんなになっちゃうわけ?」

 滝夜叉丸と言い争いした後は、いつもけろっとしているじゃない。
 確かに、と滝夜叉丸は思う。自分とて、三木ヱ門と口論することは少なくない。それでも、ここまでぐちぐちと引きずっていることはなかった。

「あいつが年下のくせに生意気だから……」

 三木ヱ門は口を尖らせて主張した。
 ともかく、相手が伊賀崎だというだけで酷く苛立ってしまう。腹が立って、我を忘れて、言い争いをして。それが終わったあとは、妙に虚しい。もやもやとした感情が巡るのだ。

「それってさ、こいじゃないの?」

「……こい?」

 喜八郎の一言に、きょとんと首を傾げる三木ヱ門。滝夜叉丸はそれを見て、呆れたように言った。

「いくら喜八郎でも唐突に魚の話はしないと思うぞ」

「……って、恋!?」

 うん、と喜八郎は頷く。
 三木ヱ門は顔を真っ赤にして、ぶんぶんと両手を振る。

「ないない!この私が?あんな奴に!ない!絶対にない!あいつ、毒虫にしか興味ないし……私なんか見てないし……」

 大声で否定してから、だんだんと小声になっていった。

「三木、言ってることがしっちゃかめっちゃかだよ」

 結局好きなんだよねえ、とタカ丸が間延びした声で言った。耳まで赤く染めて、俯く姿は何とも分かりやすい。

「誰が馬鹿伊賀崎のことなんか……」

「こいつは放っておいてさっさと食べましょうタカ丸さん、昼休みが終わってしまいます」

 滝夜叉丸の言葉に、「そ、そうだね……」と困ったような顔をして、タカ丸は同意した。本当にこうなると、どうしようもないのである。
 一人取り残されてなお、三木ヱ門は呪詛のごとく、後輩への悪意を吐き出していた。しかし、内心は鼓動がばくばくと音を立てていて、どうにもそれどころではなかったのである。それを誤魔化すかのように、後輩への文句をひとつ、またひとつ重ねていく。
 この不思議な感情は、しばらく止まりそうにない。







「全く、どうして平気な顔であんなこと言えるんだ……」

 一方で、中庭。
 孫兵は隣の組の作兵衛、左門、三之助と食事をとっていた。こちらもまた、不機嫌そうな顔である。

「まーた田村先輩かよ」

「まあ……。ところで、数馬と藤内は?」

「数馬が弁当ぶちまけて、その上財布を忘れ、購買まで藤内が付き合ってるらしいぞ」

 左門の返答に、そりゃまた不運な……と内心で同情する。だが、すぐに先ほどのことに意識が戻り、自然とむくれた顔になってしまう。

「して、そのしかめっ面の理由は?」

「……あの人、毒虫にしか興味ないくせに、とか目の前で言うんだ」

 鈍すぎる、何にも分かってない、と孫兵はふてくされて言う。作兵衛は、あちゃーと額に手を当てて見せる。続けて三之助と左門は、首を振り、呆れたようなポーズをした。

「孫兵も難儀だよな。よりによって、あの中等部二年」

 三之助が言うように、実際、中等部二年といえば年頃だと言うのに色恋のいの字もないような変人揃いと有名だ。

「まあ、タカ丸さんはともかくとして、自己陶酔の激しい自惚れ屋、穴掘り小僧、ミリオタときてるからなあ」

「可愛いんだけど、性格に難ありだよなあ……“学園のアイドル三木ちゃん”はさ」

「それこそ田村先輩の方が恋愛に興味ないんじゃないか?」

 言ってから、しまったと左門が口を噤むと、当の孫兵は全く気にした様子がない。それどころか、真面目な顔を作って身を乗り出してきた。

「いや、それが違うんだ」

「違うって?」

「気づいたんだ、あの人に誰か想い人が出来たんだって……」

 それ、ほんとか?どうやって知ったんだよ、などと三人は口々に質問を投げかける。三人とも胡散臭いといったような顔をして聞いているが、本人は大真面目である。それも、孫兵からしてみれば重大事で当たり前なのかもしれないが。

「近ごろのあの人の目、あれは恋を知った瞳だ……」

 孫兵の一言に、三人はそれぞれ椅子から滑り落ちそうになった。体勢を立て直しながら、作兵衛が苦笑気味に言う。

「ま、また新しい過激な武器でも見つけたんじゃねえのか?」

「違うんだ、あれは火器に対するものとは違う、憂いを含んだ瞳だった」

 田村先輩と同じ委員会所属の神崎左門さんいかがでしょう、などと三之助がふざけて拳を突き出す。
 左門は全然分からないというようにかぶりを振った。しかし、何かを思いついたようで、「あ」と声をあげた。

「目は分からんが、委員会中に幾度かため息をつくようになったぞ」

 それだ、とばかりに作兵衛と三之助は両手を打った。感心したように孫兵を見やる。

「流石は孫兵……」

「よく見てんのな……」

 孫兵はやっぱり、と肩を落とした。眉尻を下げると、両手を組んでため息をつく。

「僕の席は窓際なんだけど、授業中にふと校庭を見たら、あの人の組が体育だったんだ」

「は、はあ」

「そしたら、あの人、惚けたような瞳で空なんか見上げちゃって」

「へえ……」

「そしたら偶然、目が合ったりして……」

 適当に相槌を打って聞いていた三人が、互いにぱっと視線を交わす。なあ、それって。だよなあ。うんうん。視線でやりとりをして、頷きあった。
 孫兵はと言えば、それに全く気づかないまま、話し続けていた。
 作兵衛はそんな孫兵の肩にぽんと手をおく。

「悪いことは言わねえ、田村先輩のこと鈍いとか言うのやめとけ」

「だな」

「うんうん」

 孫兵は一瞬きょとんとして、「分かった」と頷く。
 本当に分かっているのだろうか。いや、確実に理解していないだろう。その様子に、三人は呆れてやれやれと首を振る。全く面倒な二人組だ。心配してやるのも馬鹿馬鹿しいくらいに思える。
 友人たちはこんな具合であったが、本人は大真面目に悩んでいた。
 想い人って本当に誰なのかな……まさか中等部二年の中に?滝夜叉丸先輩、綾部先輩、タカ丸さん?同じ委員会の潮江先輩?そういえば、今日のお昼もタカ丸さんと一緒に……。
 などと、ぐるぐる繰り返し考えているのである。

「で、どちらにしても、お前はどうしたいわけ?」

 問いかけに、静かに肩を落とす。困ったような顔を作って、両腕を机上に重ねると、ずるずると腰を下げてその中に頭をうずめた。

「……分からない」

 どうしたいんだろうね、とぽつりと言った。
 そもそも、どうにかしたいとかなりたいとか、そんな感情はあったのだろうか。あるからこそこうして悩んでいるんだろうとは思う。けれど、改めて問われると分からないのだ。この気持ちは一体、何なのだろうか。
 これ以上は何も言えなかったらしく、一瞬の沈黙を作兵衛が「ま、それより飯食べようぜ」と明るく遮った。二人もうん、と同意する。
 孫兵も顔を上げて頷いたものの、もやもやと胸を巡る思いは消えそうになかった。







 それでも、顔を合わせれば何もかも忘れてしまう。どちらともなく言い争いが始まり、相手に苛立って。気がついたらまた頭を抱えている。壊したくはないけれど、立ち止まっているのも嫌だなんて、都合のいい我が儘ばかりだ。

 放課後、そんなことを考えながら孫兵が帰ろうと裏庭を通っていた時だった。
 噂をすればなんとやら、とはまた違うのかもしれないが、ちょうどよくその相手が目に入ってきたのだ。薄情な脳みそは、先ほどまでの苦悩も一瞬で消し去ってしまう。
 しかし、今回は単にいつもの調子だったわけではなく、その光景がおかしなものだったからなのかもしれない。

「……あの人、何やってるんだ」

 目に飛び込んできたのは、木の上のほうに張り付いて何やらうんうんと唸っている先輩。裏庭は人通りも少なく、今は誰もいないけれど、恥ずかしくはないのだろうか。
 孫兵は静かに木に近付いてゆくと、声をかける。

「あの、何してるんですか」

 三木ヱ門は、伊賀崎、と驚いたように少し目を見開いて振り向く。しかし、またすぐに上を向いてしまった。

「見て分かるだろ、小鳥を巣に戻してやったんだ」

「分からないから聞いたんですがね」

 冷たく言ってやるけれど、その内心は違っていた。
 武器なんて無機物ばかりに興味があるかと思えば、生あるものにもこうして優しい。自分が一番だなんて豪語しておきながら、本当は暖かいのだ。垣間見えるそれが、一層愛しかった。

「小鳥、ちゃんと返したんですか」

「うん」

「なら良いですけど。制服で木登りはおすすめしません」

 そう。あろうことか、制服のまま木に登っていたのだ。本当に女子らしさに欠けるというかなんというか。
 三木ヱ門は片手を外して、ぽんと胸を叩く。

「見くびるな、こう見えて木登りは得意なんだ」

「いえ、そうではなく……」

「だったらなんだよ」

 孫兵は、一つため息をついて、視線をちらりと上へ投げる。

「……見えてます」

 かあっと三木ヱ門は赤面した。これまた本当に分かりやすい人だ、と孫兵は思う。
 まったく気にした様子のない孫兵とは対照的に、三木ヱ門はスカートの端を抑え込んで木の上からぎゃんぎゃんと叫ぶ。

「見るな!見たら乱れ撃ちにする!」

 三木ヱ門らしい文句に、孫兵は思わず苦笑した。
 もう見ましたけどね、と思いつつそれは言わないでおくことにする。

「はいはい、下向きますから早く降りてきてください」

「言われなくても……」

 言いかけたその時、「あっ」と上がる声とともに、がくんとスニーカーが空を滑った。孫兵は咄嗟に腕を伸ばし、それを手のひらで受け止める。

「おっと」

 何でもないように受け止めたが、すぐにふるふると手が震えだした。

「体勢キツいので、早く降りて下さい」

 孫兵が下を向いたまま腕を伸ばしているのを見て、三木ヱ門はこくりと頷いた。手のひらに乗せていた足を、何とか再び木にかける。

「猿も木から落ちる、とはよく言ったものですね」

 孫兵はわざとらしく揶揄するように言った。こんなことを言われていつもなら騒ぎ立てそうなものを、どことなくしゅんとした顔で三木ヱ門はするすると降りはじめた。
 引け目だろうか。そんなことを思ったけれど、すとんと地に足を着けた三木ヱ門が口にしたのは全く見当違いの言葉であった。

「……昼はその、悪かった」

「え、ああ……、お昼のことですか」

 いつもは謝ったりなんかしないのに、今日はどうしたんだろうか。孫兵は首を傾げる。
 三木ヱ門はしょんぼりとしたまま、地面に視線を落としたままだ。

「凄く、傷ついた顔してた」

 その言葉に孫兵は、はっとする。気付いていたのか。何も分かってないと思っていたけれど、少しは見ていてくれたのだろうか。

「最初は、伊賀崎のくせに、何で今日はそんな顔するんだよってすごく腹が立ったんだけど」

「何ですかそれ、かなり理不尽ですよ」

「なんか悪いこと言ったのかなって」

「……言いました」

「だから、ごめん」

 珍しく素直な先輩に、何だか鼓動も不規則に速い。ほんの一瞬、何となく視線を逸らせてしまう。
 気まずそうにこちらを見るその目は、何が悪かったのかなんて全然分かっていないみたいだったけれど、大きな前進だ。三木ヱ門が気に留めてくれて、悪かったと言ってくれるのならば、もう十分だとも思えるのだ。
 だから、孫兵はにっこり笑って嘘をついた。

「良いですよ、すっかり忘れてました」

 その一言に、ぱっと明るい笑みが浮かぶ。表情がすぐに変わって、本当に面白い。孫兵は三木ヱ門のそういったところも好いていた。それは友人たちの前でも決して口にしたことはない、自分の胸のうちの秘めごとだったけれど。出来ることならずっと見ていたいと思う。
 そんなことを考えていた時、ふと視線をやると、三木ヱ門のぱちりと開いた目蓋のした、赤い眼に刹那、きらりと輝く光を見た。孫兵は思わず声をあげそうになる。それはいつかも感じた、恋焦がれるような赤だと知ってしまった。
 ――ああ、ようやく気がついた。その視線が向かう先、瞳が映す想い人の正体。いつもと違ってどこかしおらしい先輩の、態度の理由。恐らく本人も分かっていないだろう秘密を知る。

「……だから、惹かれたのかもしれません」

「え?」

 孫兵は「何でもありません」と誤魔化した。ぱちくりと瞬きしたそれは、なんと無垢なことだろう。
 あともうしばらく、この関係は続きそうであった。明日また顔を合わせれば、今日のこともすっかり忘れて、繰り返すのだろう。
 でも、決して忘れない。いつか、先輩にもこの秘密を教えてあげよう。孫兵は空を見上げて、思った。
 何も知らない小鳥は、巣の中で楽しげに鳴いている。


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