Missing Viper

 いつもと変わらない一日を終え、三木ヱ門は長屋の扉を開けた。同室者が二年の時分に学園を辞めてしまって以来、ずっと一人で使ってきた部屋。それは、愛する石火矢たちと共に過ごすには好都合の空間で。

 今日も、石火矢たちはそこで三木ヱ門の帰りを待っていてくれたのだが。何だか妙だ、と三木ヱ門は思う。無論、そんな筈はないけれど、少し部屋が広くなったように感じられた。見渡してみても、特段変わったところはないように思うのに。
 気のせいだろう、と三木ヱ門は長屋へ一歩踏み入れる。と、ギシ、とやけに大きく床板が鳴った。その音と同時に、軽く胸が締められるような感覚を覚え、突如、モヤモヤとした何かが身体中を駆け巡る。思い返してみるも、原因に心当たりはない。特に失敗を仕出かした覚えもないし、このように悶々とした気持ちになるのは何故だろうか。

 きっと、寝てしまえば綺麗さっぱり、翌朝にはこの嫌な感覚も忘れ去っていることだろう。三木ヱ門は、ばさりと布団を敷くと、すぐさま潜り込んで、目を瞑った。何かを考える間もなく、夢の世界に誘われるかのように、ふわふわと眠りに落ちていったのだった。





 そして、翌朝――。
 ぼんやりと眼を開ける。まだ、起き抜けだからか視界が覚束ないな、と感じた。感覚から言えば、今は早朝。もう少し眠れるはずだ、と三木ヱ門は再び眼を閉じた。


「ジュンコ、ごらん!」


 その時、ちょうど生意気な例の後輩の声が耳に飛び込んできた。全く、早朝だというのに毒蛇と散歩か。こちらはもう少し眠りたいのだ、長屋まで聞こえるような大声を出すな、と内心で文句を垂れる。しかし、そんな文句はもちろん、本人に伝わるはずもなく。


「飴色なんて珍しい……!」


(……うるさいなあ、)


 どれだけ大声を出しているのだろう。四年長屋までこんなに聞こえるとは。本当に迷惑な後輩だ。「うるさいぞ、伊賀崎!」と、文句を言ってやろうと起き上がろうと、して。


(あれ……?)


「わあ、綺麗な紅色の瞳……かわいい子……」


(え……、あれ、声……)


 自分の声が出ない、この事実に気がついて、身体がさあっと冷えていくのを感じた。痛みはない。口をぱくぱくと動かしてみるも、喉からは微かな音も鳴らなくて。どうやら、身体も上手く動かない。どうやら縛られているようで、四肢が自由にならないのだ。
 どうしよう、と焦って周りを見渡した。そこで、また違和感に襲われる。


(ここ、長屋じゃない……)


 自分がいる場所が長屋ではなく、外の庭であるということに気がついた。と、いうことは、今まで庭に寝転がされていたことになるのか。どうしてこんなところに。


「ねえ、どこから来たの?」


 と、伊賀崎の声がやけに近く聞こえてきて。そうか、私が外にいるんだから、こいつの声が近くに聞こえるのも無理はないよなあ、と冷静に考えてから。


(そうだ……、伊賀崎)


 生意気なこの後輩に頼ることは癪だけれども、今は仕方がない。何とか見つけてもらおうと、身体の動く部分を必死に動かそうとした、その時。
 ぐらり、と視界が揺らぐのを感じた。


「うーん……、一応、毒蛇ではあるみたいなんだけれどなあ……」


 眼前いっぱいに広がる、孫兵の顔。驚いて、それを凝視してしまう。


(なんだ……、これ)


「竹谷先輩なら、知ってるかな」


 大きな指が、目の前に迫ってくる。思わず、ビクッとして目を閉じてしまうが、その指は頭をちょこちょこと突いただけで、遠ざかってゆく。
 三木ヱ門は混乱しながらも、一方では冷静に状況判断を行っていた。もしかして……、いや、本来なら有り得ない話だけれど。身体が小さくなってしまったということなのだろうか。
いや、この状況から察するに――、


 四肢は相変わらず自由にならないが、もがくようにして、身を動かしてみる。すると、三木ヱ門の視界の隅に、鱗のついた蛇の尾が、ぴょこんと跳ねるのが映った。それは、飴色の綺麗な鱗で。


(つまり……、私、蛇に……?)


 一つ、結論づけてから。
信じられないような話だ。まだ夢から覚めていないのかもしれない、きっとそうだ。思い込もうとするも、三木ヱ門にはやけにリアルな感触があった。ああ、と頭を抱えたくなるも、無論それは叶わないけれど。
 孫兵は、三木ヱ門のことをただの毒蛇だと思って持ち上げているし(野生の毒蛇をいきなり抱え上げるとは何たることか)、全く、一体全体どうしたものか。

 まさか、一生このまま蛇として生きることになるんじゃないだろうな……。そんなのごめんだ。


(――おい、伊賀崎!)


 三木ヱ門は心の中で呼びかける。何とか伝わらないものかと、必死だった。と、孫兵が首を傾げてこちらを向いた。微かな期待に胸が躍る。


「どうしたの?」


(まさかとは思うけど、こいつ、いつも蛇に話かけているから言葉が分かるんじゃ……)


「そうか、お腹が空いてるんだね?」


 何かを期待しただけに、その暢気な発言にがっくりと意気消沈したが、言われてみれば、腹が空いているような気もする。はあ、と内心でため息をつく。このままだと飢えてしまうかもな……。
 すると、目の前にぷらんと何かが下げられる。「お食べ」そう言って彼が差し出したのは――、ネズミ。


(うげっ、)


 いくら何でも、こんなものを食べられる筈がない。ぷいとそっぽを向くことでそれを示すと、孫兵は困ったような顔をした。

「食べないみたいだ。何かないかな……、あ。これは?」

 ごそごそと懐を探って取り出したのは、赤い木の実である。つやつやとして、可愛らしい小さなそれ。目の前に差し出され、しばし迷うものの、ネズミなどよりマシか、と少しだけ口に含んでみた。


(……あれ、美味しい)

「これ、好きなんだね。鳥が好んで食べるような実なんだけど、綺麗だから持ってたんだ」

 もっと、という意志を込め、身体をくねらせ孫兵の首をぺしぺしと叩いた。伝わったのか否か、孫兵はいくつかの実を懐から取り出す。沢山食べていいんだよ、と、普段見せないような笑顔を向けて。


(こいつ、蛇にはこんな顔するんだな……)

 やけに優しいし……。いや、これは私が蛇になってしまっているからであって!などと三木ヱ門が考えていると。


「うーん、もう授業だから、竹谷先輩に聞きに行くのは後にしようね」


 そんな声が聞こえてきた。
そうだった、授業があるのだ、と再び青ざめた。この姿のままでも、何とか授業だけは聞けないだろうか。
 ところが、その意志は届かず、忍装束の胸元に身体を収められてしまった。一応、本人が自称するように毒蛇の扱いには長けているようで、抵抗することも出来なかった。


「大人しくしてるんだよ」


 ああ、もう。今日は最悪だ。
不本意も不本意だが、この姿でうろつくのも心もとない。為す術もなく、このまま孫兵と一日を共にするしかないようであった。







「うーん、初めて見る種類だなあ」

「やっぱりそうですか……」



 放課になった学園で、孫兵は言っていた通り、生物委員長代理のもとに来たらしい。三木ヱ門は合わせからひょっこりと顔をだして、様子を窺う。
 やはり生物委員長代理でも、人間が蛇になるなどとは思いもしないだろう。分かってはいたけれど、落胆を隠せない。全く、原因も不明なら、元に戻る方法も不明なのだ。本当に全部が夢ならばいいのに、と思う。


「そいつにも、名前つけて飼っちゃえばいいんじゃないか?」


 聞こえてきた声に、冗談じゃない!と叫びだしそうになる。蛇になっただけでも最悪な気分なのに、その上、伊賀崎のペットだなんて。もちろんそんな否定の声が伝わるわけもないのだが、孫兵は、ふと顎に手を当てて考えこんだ。


「いえ……、この子はかわいいし、そう、出来たらと思うのですが……この子ずっと、不安そうな目をしていますし」


 だから帰る場所が見つからない時は、孫兵はそう言って、笑ってみせる。


(伊賀崎……、)


 平常は生意気に見える後輩も、今はとても大きくて、頼れるもののように思えた。なんてことだろう。こんな事態に巻き込まれて、不安で弱っているのに違いなかった。心も、身体も。


「そっか、でも、何か困ったら言えよ」

「はい、ありがとうございます」


 二人はその場で別れたようである。三木ヱ門はこくり、と喉を鳴らした。
 今や夕刻。もうすぐ一日が終わるのだろう。今までなんとなく忘れていた不安が、どっと押し寄せる。首回りのジュンコを見上げれば、つん、と澄まし顔だ。全て知っている、とでも言うかのように。


(知っているなら教えてくれよ)


 もちろん、その毒蛇は答えてくれはしない。そもそもこれに答えなどあるのだろうか。分からない。こんな感情、知りたくなどなかったのに。

 隠していたそれは、ゆらりと顔を覗かせる。
まるで、毒のように身体を巡って。やがては私を殺してしまうのだろう。こんな風になってから、余計に気付かざるを得なかった。それは苦しくて、切ない。
 赤い毒蛇と、薄い月だけが知っている。







 ――とうとう、戻らなかったな。


暗くなった学園。空には細い月が浮かんでおり、一日がたってしまったのだ。

 いっそ、諦めて生きていたらそのうち何とかなるかもなあ、などと逃避めいたことを考えてみるも、気持ちは晴れないまま。当然だ。
 孫兵は風呂らしく、自分の長屋へ三木ヱ門を置いていってしまった。そういえば、孫兵の長屋も一人部屋らしい。毒蛇なんて飼っているからだろうか。三木ヱ門の長屋と同じ広さであるはずのそこは、今の姿では余計に広く感じた。


(ああ、昨日も――)


 そう、昨日の夜にも、長屋が広く感じたのだ。流石に今ほどではなかったけれど。


 そんなことを思い出していた時、ガラリと音を立てて長屋の引き戸が開けられた。
 突然だったので、三木ヱ門はピクリと反応してしまう。くるりと戸口を見やると、寝間着姿の孫兵が立っていた。


「……驚かせて、ごめんね」


 眉根を寄せて、そんなことを言う。
どうしてこのくらいでそんな顔をするのだろう。申し訳ないとか、それだけではなく、心から辛そうな、その顔。
 三木ヱ門は少なからず動揺を覚えていた。先ほどまで、普通に接していたではないか。胸の中が掻き回されているように、ぐちゃぐちゃと巡る。

 しかし、そんな顔も一瞬であった。孫兵はすぐに何ともないような顔をして笑顔を見せると、布団に潜り込んでしまう。頭まで隠れているから、その表情は見えないけれど。


(……なんなんだよ)


 蛇しか見てないもんだとばかり思ったのに。何も言わずに床についてしまうだなんて。ジュンコはといえば、部屋の隅でとぐろを巻いて瞳を閉じている。知らないよ、というようなその顔が、何だか憎らしかった。


 ――もぞり。
布団が動く。三木ヱ門は言いようのない気持ちを抱えていた。誰に対してか、なんだよ、と毒づいたその時。

 ――もぞ、
再び布団が動いたかと思うと、その隙間から、双眸が覗いた。


「……おいで」


その呼び声に、三木ヱ門は一瞬、身を固くして。その表情を見る。そして、


(ああもう、仕方ないな!)


 ごそごそと這って、その布団に身をうずめた。今は自分じゃなくて、ただの毒蛇だから。布団の外は寒いから。そう、言い訳をする。


(あんな顔……、するから、)


 そいつが、どんな顔をしたのかは分からない。ただ、暖かいな、と思ったら、気を失うように眠ってしまっていた。
 夢のようなものを見たけれど、なんだかぼんやりとして、覚えていない。飛び込んだ布団の中は、とても狭く感じた――……







 ――チュンチュン、


 昨日は最悪な目覚めだったけれど、今日は小鳥が騒がしく鳴いているな、と思った。感覚で言えば、まだ早朝。もう少し眠れるな、と、傍らの木砲を抱きしめたところで。


「……あの、田村先輩」


 うるさいなあ、またお前か……。
耳に響く孫兵の越えに、今度ばかりは絶対に起きないからな、と内心で呟く。


「田村先輩、起きて下さいって」


(お前に付き合うとロクなことが無いからな……)


 そう、つい昨日も、酷い目にあった。
あんな、毒蛇になるなんて、忍術学園のアイドルが……とにかく屈辱だ。
 三木ヱ門は、寝たふりを決め込むことにする。なんだかふわふわとして、心地がいいのだ。このまま眠ったら、いい夢が見られそうな気がする。
 ところが、そんな心地のよさをしつこく邪魔してくる存在。


「起きて下さいよ」


 今度はゆさゆさと身体を揺すられて。
もう我慢ならない。文句を言ってやらねばと身を起こした。


「……っ、さっきからうるさいぞ伊賀崎!」


早朝に何なんだよ、と吐き捨てると、目の前には生意気な後輩の姿。
困ったような顔をして、三木ヱ門を見ている。


「あの、田村先輩……」

「だから、なんだって――、」

「ここ、僕の長屋なんですが」

「そうだよ、だから……、あ」


 そうこうして、ようやく分かった。
むしろ、どうして今まで気がつかなかったのか。

「戻った、のか……?」

三木ヱ門は首をかしげてから、両手を見つめる。
ちゃんと、ひとのてである。握っては開いて。そこには何の異常も認められない。

 よかった――、本当によかった。

一生あのままだったと思うと、背筋が凍る。


「ところで、先輩……」


 何かを言いよどむかのように、孫兵が声をかける。
まったく本当に迷惑な後輩だ。こちらが大変になっていたとは知らず。


「あの、寝間着で僕の布団の中に、ってどういう、」

「あ――、」


 しまった、と思うけれど、どうしようもない。
咄嗟に布団を跳ね除けて、何かを言おうとするが、一体なんと言ったものか。
流石に昨日のことを言っても信じられるわけがない。
 どうしよう、と慌てる三木ヱ門。


(とにかく、ここは……)

「え、っと長屋を間違えた!みたいだ!わ、じゃあな!」


 焦りつつ、長屋から慌てて飛び出した。
こんなところを他の三年に見られたら、何を言われるか。
今が早朝でよかった、と思いながら、急いで四年長屋へと走った。

けれど。今、三木ヱ門の心を占めているのは、安堵の感情、ただそれのみである。

ばたばたと廊下を軋ませながら、ふうと息を吐く。

三木ヱ門が自分の長屋の中にサチコを見つけ、先ほど抱きしめていたものが何だったのかを知り、慌てるのはまた後の話。





「……変なの」

その頃、残された孫兵は、一人呟いた。 ――そんな事より、かわいいあの子は、いったいどこへいったのだろう。
可愛い、飴色の君。綺麗な紅色の瞳。

孫兵はぽんぽん、と布団を叩く。

そこにはつい先ほどまでの温もりが残されていて。
きっとあの子は、帰る場所を見つけたのだろう、と思う。


あの子がいなくなった部屋は、少し寂しくて。
君の名前を呼んだ。

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