Invisible sniper



「……どうしてあなたと、なんですかね」


 そう言って、溜め息をつくポーズを見せつけるように、横目でちらりと見やるのは生意気な後輩。一方此方も、膝に頬杖をついて心底嫌そうな顔で返すのは、先輩らしからぬ先輩。


「それはこっちの台詞だ」




 三年、四年合同実習――。

三年生と四年生がペアを組み、腕に巻いた布を奪い合う、という至極単純な実習だ。しかしながら、奪った数は成績にも影響してくるし、無論、自分たちのものが奪われれば失格だ。ペアを組む相手との相性も大いに重要となってくる実習であったはずではあるのだが……。
 “くじ引き”という選出方法に、二人は自らの運を呪うしかなかったのである。互いに、一番相性が悪いだろうと理解していた相手であったのだから。


 ふう、と孫兵は再び溜め息を吐いた。そうしてから、するりと蔑むような視線を投げる。


「足引っ張らないで下さいよ、田村先輩」

「……だから、それもこっちの台詞だ」


 相も変わらず生意気な後輩の物言いに、三木ヱ門は唇を尖らせて睨む。向こうはさして気にもせず、すぐさま視線を外してしまったが。



 ――ああ、ツイてない。


 改めて三木ヱ門は思う。
 それと言うのも、この後輩と組むということだけではなく。この手の実習では、真っ向勝負の近接戦を好む者と組むのが一番だからだ。特に、三木ヱ門のような遠距離支援を得手とする者は。


 眼だけを動かして、他の組を見ると、三年生は皆総じて闘志に満ち満ちているようであった。


(上手く運べばいいけど、な)


 首をもたげた一つの懸念を払拭するかのように、肩を鳴らした。
 波乱の実習が幕を開ける。







 孫兵はトン、と地面に軽く降り立った。殆ど音も立てずに何とか身を隠すことが出来ただろうと思う。
 
 実習はもう半ばを過ぎた頃合いであった。
 今、近くに他の組の気配を感じる。しかし、それは同時に自らも狙われているということ。孫兵は改めて心に刻む。油断はならない。

 二人は既に、幾つかの勝利の証しを手にしていた。とは言え、一人でやっているのとあまり変わらないな、と孫兵は思う。あの先輩はどこへ身を潜めているのやら、時に支援が入るのだから多分そう遠くはない。でしゃばってくるものだろうと思っていたから、その点は意外であったが……、
 何より、思っていたよりも、やりやすい。それを可能にしているのがあの人だというのか。

 意図したつもりはなかった。完全な無意識により、孫兵は一瞬背後を振り返った。


 ――ガサ、

 草を潰すような音が、微かに聞こえた。
本能的に、“しまった”と思うのより少し早く、腰を屈めようとする。


「孫兵!」


 短く声が飛び、視界がぐるりと反転したかと思えば、草やぶに身体を押し倒されていた。おそらく、一瞬のことであったが、酷く長く感じられた。間を置いて、ようやく身を打った痛みと、やぶであちこちを切り裂いた痛みがやってくる。そこで改めて気付かされた。自分は油断するなと心に留めたばかりなのに、しくじったのだ、と。
 今は、まだやぶに身を隠しているからいいかもしれない。しかし相手はこれを好機と身構えていることだろう。
 孫兵はギリ、と歯を噛み締めた。悔しさを掻くようにして、地に手を着く。と、ぬるりとした感触に驚いた。


 ――これ、は。

「……ッ、」


 ようやく状況を把握する。失態を犯した上に、今まで分からなかったのか。自らの愚かしさを初めて悔やむ。

 油断につけ込まれ、攻撃を向こうに許した孫兵を、この草やぶに押し倒したのは三木ヱ門だった。そして、そのミスを庇い立てしたためだろう。彼の押さえた右肩からは、とくとくと血が流れだしていた。

 孫兵は、すぐさま自らの頭巾を剥ぐと、その右肩にきつく巻き付けた。
 何らかの飛び道具だろう。傷はかなり深く、とても動かせそうにはない。


「……すみません」


 低く呟く孫兵に、その先輩はにやりと笑ってみせる。無理に繕ったそれではあったが。
 馬鹿、お前色々勘違いし過ぎなんだよ、と小さく返してきた。


「優秀な私が、こうした方が勝算が高いと踏んだんだ」


 普段と同じような尊大な口調だが、本当はそれだけではないような気がして、孫兵は開きかけた口を噤んだ。責任、という言葉が重くのしかかる。何を今さら――、
 後悔の念に苛まれる孫兵に、その先輩は胸を張って続けた。


「もうひとつ、これは単独実習とは違う」


 なるほど、とその発言で初めて合点がいった。自分はあくまでも支援に徹していたのはそのためか。先ほど庇った理由というのも、あながち全て偽りというわけでもないらしい。この状況で、まだ見えているのだろうか、この人には。


「何かあるんですか」

「当たり前だ」


 ふん、と鼻を鳴らして三木ヱ門は言う。言葉だけではなく、誰より矜持の高いこの人が負けを認めるわけがない。案外――なんて今はとても言えないが、様々巡らせて行動していたのかもしれない。


「これだ」


 そう言って彼が無事な左手で差し出したのは、先ほどまで支援に使われていた火縄銃だ。


「でも……」

「ああ、見ての通り誰かさんのおかげで右は使い物にならないな」


 再び右肩を押さえてみせるその人は、孫兵の傷口を抉ることも忘れない。まあでも、とわざとらしい声をあげて三木ヱ門はちらと横目で孫兵を見やった。


「伊賀崎」


 その視線は、言外に語る。“分かるな”と。今すべきこと、またすべきでないことを理解しろと、それは訴える。
 はぁ、と孫兵は息をついて笑った。

「はいはい、今回は僕の責任でもありますから」


 宜しい、とでも言うかのように笑う。まさかここまで予見していたわけではないだろえけれど。今回は素直に乗るしかないだろう。
 三木ヱ門は左手を着き、何とか立ち上がる。

「先輩、まさか」

 出て行くんですか、とその背に問う。ぶらりと投げ出した右腕が痛い。まだ完全に止血も出来ていないのに。

「一人で足りる、何しろ私はアイドルなんだからな」

 ああ、そういうことですか。
 言い方こそいつもの軽口のそれだけれど、何となく手が読めてきた気がする。これは本格的に乗ってみても面白いかもな、と内心でひとりごちる。

 三木ヱ門がふと、進みかけた足を止めた。くいと首だけを孫兵に向けたまま、問う。


「ところで、」

「はい」

「どんなもんだ」

「これだけです」


 孫兵は四本の指を立てて見せた。
相手はふうん、と気のないような返事をし、正面へと向き直る。カサリと小さく草を鳴らして。


「因みに私はこれだけだ」


 自慢げに、こちらに向けた手のひら。五本の指はピンと空をさす。 それでも今は無意味でしょうに、と苦笑しかけて、自分の重荷がだいぶ取れていることに気がつく。


「田村先輩、」

「ん……?あ、」


 振り向いてから、孫兵が近づいていたことに気付いたらしく、三木ヱ門は軽く目を見張る。その瞬間を逃さないよう、孫兵は唇にちょんと優しく口づけた。


「終わったら先ほどの借りを返しますよ」

「な……ッ、」

「あれ、お嫌いでしたか」

「じゃなくて、お前はこんな時に……」


 敢えて言及はしないけれど、その口が否定をしたのを聞き逃しはしない。
 自分のせいもあるが、やはりこの人が先輩然としているのは何だかんだ不愉快だったから。それだけの理由だ。


「嫌いなら嫌いで構いません、恩を仇で返す、ということで」


 孫兵はわざと、にこやかに微笑んで見せた。三木ヱ門は何も答えずにそっぽを向く。
 けれど分かっている。答えないという事実が既に、確かな答えだ。気に入らない先輩だけれど、こんな時ばかりは警戒心の強い生物を手懐けたようで、妙に愛しい。


「それでは、御武運を」

「……しくじるなよ」


 はい、と呼びかけた背は、既に視界から無くなっていた。三木ヱ門の残した愛器が、腕の中で冷たく底光りしている。
 孫兵は、再び気合いを入れ直して、進み出す。
 正反対でありながら、似た者同士の二人が見つめる先には“勝ち”しかなかった。







「――あ」


 三木ヱ門は偶然見つかった、というような声をあげた。勿論、自ら姿を見せたのだ。
 相手はそんなことは知る由もなく、三木ヱ門の反応に、にんまりと笑った。

 組は違えども、どこか顔覚えはある同級生と、名も知らぬ三年生だ。
 随分ぼんやり歩いているな、と三木ヱ門は思う。獲物を仕留めたと余裕の態度か。


「ああ……、田村だったか」


 先ほど負傷させたのは、ということだろうか。深手を負った相手に勝てるとでも確信しているのか。馬鹿が、と三木ヱ門は内心で毒づいた。


「一人なのか?三年の伊賀崎がいたような気がするが」


 孫兵もある意味、有名人だ。名は知られているというわけか。それなら、と三木ヱ門は嘯いた。


「止血をしたらどこぞへ行ってしまった、全く本当に薄情なやつだ」


 相手も納得した様子で、したり顔を益々顕わにする。孫兵の気配を感じないことにも安心しきっているに違いなかった。


「ま、優秀な私ならこれだけの枷があれど、一人で十分だ。本気で来いよ」


 ついぞ孫兵にも聞かせた台詞を、わざと大きく聞かせてやる。ちらと軽く一瞥してやったのも効いたのかもしれない。向こうはいとも簡単に挑発に乗ってきた。


「お前のことは前から気に食わなかったんだよなあ……、」


 明らかに苛立った様子を見せている。馬鹿だ、ともう一つ付け加えてやった。
 相手は怒りを湛えた眸をぶつけてくる。


「……その腕のものを貰おうか」


 構えられた苦無。
それに、三木ヱ門は不敵に笑ってみせる。


 ――出来るものなら。


 優秀を自称するのは伊達ではない。
ことに、過激な武器にかけては。

 僅かな興奮が、じりと胸の隅を焦がした――







 は、と三木ヱ門は小さく息を吐いた。片腕が使えないだけで、大分体力を消耗する。だからと言って、呼吸を乱れさせれば相手にとって隙を突く好機と成りかねない。
 どれだけ時間が経っただろう。流石にこれでは、逃げるのが精一杯だ。
 空気が足りなくて苦しい。口をぱくぱくと上下させ、とりあえず凌ごうと足掻く。


(思ったより……キツいな、)


 足を止めれば、何処からか飛び道具が襲う。右肩の二の舞だけは避けなくては。なるべく身を隠せるような場所を選んで駆ける。
 ザク、とちょうど真横の樹に突き立ったそれに、背筋が冷えた。一瞬も気が抜けない。
 あと少しなんだ。如何なる醜態を晒そうとも構わない。負けるよりましだ。ただ矜持を保ちたいというだけではない。今では事情もほんの少し変わっていた。

 だが、これ以上保たない。足を止め、ずるずるとへたり込めば、その刃が頬を裂いた。

 痛みは数秒遅れてやってくる。

「……いッ、」


 すると、どこからか先ほどの二人が姿を見せた。最早それに気づくのすら遅れる始末だ。三木ヱ門は、ふ、と静かに自嘲した。


「終わりだな」

「それ、渡してください」


 三木ヱ門はそれに答えずに、空を仰いで呟いた。
「……やっぱり、少しはズレるよなあ」


 何だ、というような顔で此方を見る二人に、せせら笑ってやる。
今改めて“見た”のだ。間近で見たことによって、推測は確信に変わり、今確かな値をはじき出していた。


『左方、これだけだ』


 四本の指を高々と掲げてみせる。それを合図にしたかのように、つ、と相手二人の間を小さな風が駆ける。銃声が、彼方から聞こえた。


「な、火縄か……!?」

「まさか伊賀崎に、」


 相手は一瞬取り乱したものの、すぐに体勢を立て直し、三木ヱ門を見据える。


「そうだ……支援があれど、その状態じゃこっちの勝ちだよなあ、何しろ左しか使えないんだから」


 言いかけて、歩みだそうとしたその時だった。
ぬ、と二人の足元が沈み込んだかと思えば、そこは途端に消失した。崩れ落ちる足元。そう、穴だ。唐突に地面に出来た空間に、二人は短く声を発して、落下した。

 三木ヱ門は身を起こすと、その穴底を覗き込み、いつもの尊大な口調で言い放つ。


「我らが四年生の誇る天才的トラパーが、恐らくはこの実習のために仕掛けた罠が“たまたま”目に入ったので、利用させて貰った」

「まさか、あの発砲は」


 そう、相手を攪乱するためではなく、罠の仕掛けを戒めていた紐を断ち切るために放たれた弾。
 身体と密着させて狙いを定める火縄銃のようにはいかない、石火矢も得手とする三木ヱ門だから出来た技だ。とは言え、こんなことが出来る者はいないだろう。他人の構えた銃を目視で調整することが可能だなんて。
 それだけではない。あんな遠くから細い紐を撃ち抜いたというのだろうか。指示された照準に、合わせるほうも合わせるほうで――……まずい。


 相手は初めて青ざめた。自分たちは、とんでもない相手に喧嘩を売ったのかもしれないと気がついたのか。
今まで高をくくっていたのだろう。がらがらと音を立てて、彼らが転落していく様が見えるようである。
 だから言ったのだ。“目を惹くには”一人で事足りるのだと。両腕を使う必要などない、ここまで誘導するための足と、この眼があれば良かった。


 ちょうど、今やってきたのだろう。ストン、と孫兵が降りてきた。
 あの一度の弾が失敗すれば、負けも同然だったから、発砲のあと直ぐにこの地点に走らせるようにしたのだ。


「どうでしたか」

「ま、火縄の成績が4の割には上々だ」



 三木ヱ門はもう一度木にもたれかかると、ニヤリと笑ってみせる。応えるように、孫兵は穴の中を覗き込んだ。


「そういうわけなので、渡して頂けますか」


 形勢は逆転した。いや、最初から逆転などしていなかったにも等しいだろう。
 その丁寧な口調に、笑みが逆に恐ろしい。極めつけに、ちょこんと顔を出した毒蛇の姿。相手は大人しく従うほか無かったのである。

 ――カーン、
 
 鐘の音が鳴り響く。ちょうど、指定の刻になったようで。
掴んだそれはまさしく、勝利に違いなかった。







「にしても田村先輩、ボロボロですね」

「仕方ないだろ……」

「すみません」



 孫兵はそう言うと、三木ヱ門の右袖を裂いた。まだ完全に止血できていなかったのに激しく動いたためか、赤い血が漏れだしていた。「先輩の頭巾を」と言うと、先ほど巻いた自分な頭巾を外して付け替える。三木ヱ門は大人しくそれに従った。
 生々しいその跡は、孫兵の傷にも違いない。
 三木ヱ門の頬を、するりと親指で撫でる。


「ここも、傷が」


 プライドの高い先輩にとって、これはどれだけの醜態だったろう。それをさせたのは紛れもない、孫兵自身の未熟さ、弱さだ。
 それに比べて、自分が舐めてかかっていたこの人は、どれだけのことを視野に入れて動いていたか。

 孫兵はその頬に自らの唇を添えた。三木ヱ門が大人しくしているのをいいことに、舌でちろと舐めてやる。


「ん……、痛い」

「少し我慢してください」


 今度は身体に覆い被さるように体勢を変えて、もう一度、触れるように傷痕に口付ける。そして、血を拭うように舐め始めた。頬の痛みで右肩も疼くのか、一瞬、三木ヱ門は肩を押さえて苦悶の表情を浮かべた。


「う……っ、」

「しかし、先輩も協調性なんて言葉を覚えたんですね」


 自分が言えたことではないけれど。前に運動会で組んだ時は、チームなのに足の引っ張り合いを率先してやっていたような人が。だからこそ、組むと分かった時は落胆したのだから。


「別に……負けるより、いいかと思っただけだ……」

「同感です」


 ところで、と孫兵は紅色の瞳を見つめた。どことなく静かな光を湛えている。今ではすっかり冷めているそれも、先ほどまでは蕩けるような色を秘めていたことを、知っている。


「勝ちましたから、あの恩を返さないといけませんね」


 にっこりと笑う孫兵に、お前なんて嫌いだ、と小さく毒づく。だから仇返しなんですよ、先輩。孫兵は耳元で囁いた。
 今日のところは、と覗かせた赤い舌。先輩が満更でもない、という表情を浮かべているのを知っている。
結局、これも彼なりの矜持を保つための手段。ならば残しておいてやろう、彼の逃げ道を。そこにつけ込んでいるのも重々承知しているから。


「……先輩も、好き者ですね」

「うるさい」

「あんな状況で興奮してましたよね」

「…………、」


 このくらいにして、そろそろ引き上げますか、と孫兵は腰をあげた。三木ヱ門の左腕を、自分の首へまわす。これまた抵抗もせずに素直に頼るなんて、珍しいな、と思った。一人で歩けないほどでもないだろうに。
すると、返す恩を減らしてやってるんだ、と偉そうな口ぶりでいう。孫兵は、くすくすと笑った。こんなことで減らしてしまってもいいんですか。
 ぷい、とそっぽを向いた先輩は、「うるさい」と再び言った。
 
 先輩には決して告げないけれど――、次の実習は組んでも悪くないかもしれないな。

さて、どうしてこの大きな恩を、仇で返したものか。

 見えざる狙撃手は、撃ち落したそれを見据えて笑った。




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