▼ 君に聖夜の贈り物
とある冬の日。
寒さも増して、下級生などは特に外に出たがらない季節の温度である。上級生だって一部を除けば、用もないのに外へ出ようとはしないのではないだろうか。
そんな冷たい空気の中、三木ヱ門は一人、庭へと降り立った。特に用事があるわけではない、散歩だ。そう、誰にともなく呟く。石火矢は長屋ほ置いてきた。寒いだろうから――、また、内心で呟きながら。
足を向けていたのは生物小屋だった。確認するまでもない、まさかと予見していたその姿がそこにあった。
殆ど空の小屋を見つめ、佇む後輩、伊賀崎孫兵。こんなに寒いのに、それは何一つ羽織らないまま、じっと小屋を見つめていた。
冬になって、多くの生物は冬眠を迎えた。よって、その少年は寂しく名残を惜しんでいるというわけだ。いつも首に巻いている蛇もいないことで、その身は余計に寒そうに見える。
全くいつからいたんだよ、とため息をつくと、三木ヱ門はその背に近づいた。足音も気配も隠していないというのに、気付く様子はない。ふう、とまた一つ吐いた息が、白く上っては消える。三木ヱ門は、手にした半纏をそっとかけてやった。
「馬鹿か、お前は」
「あ……、田村先輩」
そこで初めて、その存在に気がついたようで、驚いたように目を見開いた。
それ程までに感傷に浸っていたのだろう。何となく面白くないけれど、詮無いことだと承知はしている。
これ……、と半纏を示して言う孫兵に、視線を逸らして言う。
「……縫ったんだが、私には少し丈が短いから、やる」
たまたまもう一つ持っていたから良かったが、捨てるのも勿体無いだろう、と自分の着ている半纏を示しながら、素っ気なく言う三木ヱ門。
どうして持っているのに新しく縫ったんですか、そう言ってやりたかったけれど、孫兵はくすくすと笑うだけに留めておく。つまり、先輩なりに気遣ってくれたのだろうと受け止めて。
「ありがとうございます」
「……別に」
三木ヱ門はそっぽを向きながら、何かを差し出す。
「これも要らないから、やる」
「これ……火縄ですか」
「お前の、切れかけてるだろ」
言われて、その腕を見れば、確かに擦り切れそうになっている。自分のことなのに、言われて初めて気がついた。孫兵は、しゅるりと腕から外して、もらったばかりのそれを三木ヱ門に差し出す。
「すみません、付けてください」
世話が焼けるな、と言いながらも、三木ヱ門はそれを腕に巻く。距離が近くなって、それだけなのに、どこか暖かい。
「ほら」
「ありがとうございます」
だからかもしれない。離れたその瞬間を寂しいと感じた。“先輩――、”孫兵は小さく呼んで、その腕を引く。振り向いた唇に軽く触れてやれば、ここはもっと暖かいな、と感じる。
離れていくのはまた寂しくて。名残を惜しむようにもう一度唇に吸い付いた。
これは、代わりなのかもしれない。側に愛しい彼らがいないことの、醜い欲の捌け口なのかもしれない。それでも、止めることは出来ない。
微かに開かれる赤い瞳が、次第にとろけて美しいと思う。その紅に酔っているのだ、きっと。
「……馬鹿」
「先輩が物欲しそうな顔、してたので」
「誰がするか!」
三木ヱ門は頬を紅潮させて、主張する。先ほどまで、瞳を伏せて受け入れていたくせに。その様子が可愛らしい小動物の威嚇のそれに似ていて、孫兵は微笑する。
「あ、そういえば」
「なんだよ」
「僕も要らないから、これ差し上げます」
懐から取り出した包みを開いて見せる。作ったんですけど、甘いものは好まないので。先ほどの三木ヱ門の物言いを真似て言う。
それは、形の整った卵焼きであった。
「これ……、いいのか」
「はい、捨てるのも勿体無いんでしょう?」
孫兵は艶めかしく微笑む。知っているのだ、この先輩が、特に甘い味の卵焼きには目がないということを。
耳まで赤に染めながら、三木ヱ門はそれを受けとった。一つ、摘んでぱくりとかじり付く。
「まあまあ……、美味い」
最後のほうはボソボソと言ってから、キョトンとして孫兵を見る。そうして、甘い味を好まないのにどうして作ったんだ、と問う。
「それ、聞きますか」
「あ」
墓穴を掘っていると気付いたのだろう。三木ヱ門は慌てたように「いや、いい」と打ち消した。お互いに、わざわざ準備していたなんて言わないけれど、分かっている。
三木ヱ門が、ふっと上げた腕に袖から何かが触れた。
「つめたい」
「雪……、ですね」
空を見やると、確かに。ちらちらと、雪が舞いはじめていた。
「田村先輩、寒くありませんか」
「……寒いな」
言外に含んだ意味合いは伝わったようだ。頬がまた赤く染まっている。その頭巾には、清らかな白がいくつか散っている。
「綺麗です、先輩」
うるさい、と三木ヱ門は口を尖らせた。しょぼくれていたくせに、すっかりいつもの調子の後輩がどこか恨めしい。まあ……、静かなよりはマシだけど。三木ヱ門は視線を逸らせてひとりごちた。
――そろそろ、戻りましょうか。
そう言って孫兵が手を伸ばすので、仕方なくとってやった。お前のせいで、すっかり冷えてしまったから。
ふわふわと舞う雪は美しく、寂しさは既になくなっていた。今夜はきっと、暖かく眠れることだろう。手から伝わる温もりに、冬の寒さも忘れてしまった。
孫兵は、その紅を見つめて笑う。
毒虫たちにはない、暖かさがここにはあった。
2012/12/24 Merry Christmas!
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