四年生 | ナノ


肌寒い朝である。布団からはみ出ていた足が冷えている。花冷えというやつだろうか。隣りを見ると珍しいことに喜八郎の布団は空だった。こんな早朝にどこへ行ったのだろう。まさか塹壕掘りだろうか。ご苦労なことである。
部屋にしつらえてある鏡台の扉を開いて覗きこむ。今日も私はうつくしい。顔を洗うために廊下へ出ると静かな空気が私をつつんだ。仄かに甘い馨が春という季節を感じさせる。涼しいなかでも花たちは可憐に咲いている。咲き誇る花々とそこに佇む一人のうつくしい青年、この場に絵師がいたならばすぐに筆を走らせたであろう壮麗な光景。誰もいないのが悔やまれるが無粋な視線が混じるよりはいいだろう。
古ぼけた井戸から汲み上げた水は朝の光をうけて白銀に輝いてる。その水鏡に映る私もまた輝いている。「うつくしい…」思わず口に出してしまうほどうつくしい、ああ、私の美貌!いかんいかん、つい見惚れてしまった。冷たい水で肌を引き締める。水も滴るいい男とは私のようなことを指すのであろうな。

部屋に戻ると敷いたままだったはずの布団が折り目よく真ん中に畳まれていた。喜八郎か?いやまさか。見ると布団の上に見覚えのある戦輪が置いてあった。
「輪子」
間違いない、我が愛しの輪子である。どうして輪子が布団の上に、それもこんな無防備な状態で。昨晩きちんと手入れをしてしまったはずなのに。
「滝夜叉丸さま」
声がした。甲高い、少し変調子なおそらく女の声。しかしこの部屋には私一人しかいないはずだ。いったいどこから声が
「わたくしです、滝夜叉丸さま」
さらに声が呼ぶ。私の名を、呼ぶ、まさか。
「り、輪子?」
「そうです、輪子です。滝夜叉丸さま」
なんと、なんということだ!輪子が喋っている?そんなまさか!夢、そうだ夢に違いない、これは夢だ。
「夢ではありません滝夜叉丸さま」
心の声が聞こえている!
「わたくしと滝夜叉丸さまは一心同体ですもの」
布団の上に鎮座する戦輪をそっと手に持つ。ひやりと冷たい金属、心を込めて磨いた鋭い切れ味。まごうことなき私の戦輪である。やはり輪子…なのか?ならばどうしてこんな風に私と言葉を交わしているんだ。
「神様が今日一日だけわたくしの願いを叶えてくれたのです」
「かみさま?輪子の願い?」
「そうです滝夜叉丸さま」
気のせいか、さっきと少し声が変わった気がする。その旨を言うと「き気のせいですわ滝夜叉丸さま」また声が変わった。
「少し風邪気味なんです、ゴホゴホ」
「戦輪も風邪をひくものなのか」
「ええ、まあ。ゴホゴホ」
「はっ、もしかして私がいつも振り回しているから…」
「ぶっ」
「…どうした?」
「いっいいえ、なんでもありませんわ」
また声が変わった、気がする。何かおかしい。変だ。「滝夜叉丸さま」輪子が呼ぶ。
「わたくしがこうして滝夜叉丸さまの前に現われたのは、ずっと滝夜叉丸さまに言いたいことがあったからなのです」
「言いたいこと?」
「そうです。滝夜叉丸さまは勉学・武術・忍術総てにおいて優秀で成績はいつも一番、わたくしを扱えば忍術学園一」
うんうん、やはりわかっているではないか輪子!確かに私は文武両道を極め戦輪の技術は先生方すら凌駕する腕前…
「それだけでなくそのお姿もうつくしい」
その通り!
「そんな滝夜叉丸さまが…わたくし…」
「どうした輪子?」
「滝夜叉丸さま……滝夜叉丸…」んん?今、滝夜叉丸と呼ばれたような。おまけにその声
「滝夜叉丸のぶわーーーか!!!」
すぱんと開いた襖から現われたのは田村三木ヱ門と喜八郎と斎藤タカ丸さんだった。戦輪を抱いて驚いている私に向かって三木ヱ門が人差し指を突き出す。
「まんまと引っ掛かったな滝夜叉丸ゥ!今日が何の日か知ってるか?四月馬鹿だバーカめ!」
「田村うるさい」
「四月馬鹿?」
「嘘を吐いてひとを担ぐ日だよ」
タカ丸さんの言葉に思い出す。そういえば今日は四月一日か、って
「私を騙したのか!」
「当たり前だろう。輪子が喋るならユリコだって喋るわ」
「少し考えればわかることなのに」
「三木ヱ門くんと綾部くんの演技が上手だったんだね」
「たきやしゃまるさまー」
喜八郎が鼻を摘まんで喋ると先ほどの輪子と同じ声になった。ななんという!三木ヱ門のみならず喜八郎までもが私を謀るとはひどい。おのれ三木ヱ門…
「はっはっはぁ!ざまーみろだな滝夜叉丸!」
「おれは止めたんだけどねえ」
「ところで田村」
「なんだ綾部!」
喜八郎が部屋の壁にかけてある暦を指差す。三十一と書かれている。そうだ、今日は「今日はまだ三月三十一日だよ」

「…え?」





四月馬鹿!
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