MM文置場 | ナノ

0102
「……あやめ……さん」

「アヤメ……?」

 視点を脇へ逸らした御剣は、記憶を辿り始める。

「おぼえてますか? みつるぎ検事。この前の、葉桜院の事件の……」

「――ああ。……何となく、憶えている」


《葉桜院》という単語で漸く、記憶の点と点が結び付いてくれた。
 該当者なら二名程挙がるが、一考の必要はないだろう。真宵が特別な感情を抱く相手となれば……尚更だ。

 御剣にとってはもう、直接耳にする機会はないだろうと思っていた人物の名前だった。
 関わったのはつい先日の事ながら、会話を交わしたのは留置所と公判後での、ほんの数度の聴取のみ。本来ならば取り分け印象に残る程でもない、いち被告人に過ぎない。

 ――が、彼女の顔、声は瞬時にある人物を御剣の脳裏に蘇らせる事となった。
 あやめ本人とは何の面識も因縁もない筈だが、彼女の容姿は無条件に忌まわしい事件のビジョンを呼び起こす起因なのである。
 忘れもしない、自分の晴れの舞台という場で生涯決して忘れ得ぬ屈辱を与え、苦い記憶を植え付けてくれた……あの女と、瓜二つなのだ。
 決して“何となく”で片付けられる程度の存在ではない。

 しかし真宵が、もう七年も前になる事件に遺恨を抱く理由はない。――どちらかと言えば、動機を有するのは綾里千尋の方である。
 仮に千尋から事の真相を伝え聞いていた所で、やはり今回の一件とは無関係だろう。
 御剣は無関心を装いつつ、黙って真宵に耳を傾けた。


「……初めて会った時から、何かおかしいなって思ってたんです。そのヒトに対する、なるほどくんの視線とか表情とか、態度とか口調とか……」

 ――ああ、そうかと御剣は胸の内で数度頷いていた。

 例の事件で真宵は、彼女との関係を嫌でも思い知る所とはなったが、成歩堂との接点は一切聞かされていないのだ。
 ……当然か。アイツにとっても、あまりいい記憶ではないだろう。わざわざ真宵に己の恥を晒す気もあるまい。
 アイツの名誉を守ってやるつもりは更々ないが、部外者がお節介に教えてやる義理もない。御剣は二人の関係については明言を避け、初耳を貫いておいた。

 しかし初対面の筈と思っていながらも、真宵は二人の間に流れる微妙な空気を敏感に察していたようだ。
 ヤツが彼女に見せる態度は明らかに、自分や今までの依頼人に対するものとは異なると、細部に至るまで違和を感じていたらしい。

 ――所謂“オンナのカン”というヤツか。
 名の示す通り、御剣には備わっても理解が及ぶ事もない、まさに科学的根拠のない理屈である。
 が……しかし時には、事件における検事の閃きにも匹敵し、あるいは凌駕する程の嗅覚を発揮するという、なかなか侮れない一種の超能力めいたものなのだと伝え聞いている。


「……あ」

 不意に真宵が声を上げ、自分の手元の饅頭を見つめていた。
 無意識の内に手土産全てに手を付けていたようだと今、自覚したらしい。少し考え込んで真宵は、申し訳なさそうに食い指しの饅頭を差し出した。

「いや、結構」

 御剣は軽く手を挙げて、申し出を丁重に断る。
 遠慮がちに小さく会釈して真宵は、最後の饅頭を一口で放り込んでから仕切り直した。


「……やっぱりオトコのヒトって、ああいう美人で控えめで“守ってあげたい!”って思うような女性に弱いんですか? ……みつるぎ検事も」

 ――馬鹿馬鹿しい。
 そう、本来ならば鼻先であしらっている所であるが、すげなく突っぱねるには気が引ける所であるのもまた、始末に困る。
 理由は勿論、真宵とあやめの“関係”である。

 真宵はあの法廷での一件は勿論、消息不明の間は身体と意識を奪われていた……らしく、当事者でありながら幸か不幸か顛末を全く知らない。誰も教えてやっていないようだ。
 しかし、自分が巻き込まれた事件の発端と経緯は嫌でも、自ずと真宵の耳にも入る事となる。被害者の正体……そして、あやめの関与を。

 真宵にとって彼女の存在は、突然降って湧いた縁戚であると同時に、自分の母親を死に至らしめる一端を担った関係者でもある。
 彼女に抱く感情は当然に複雑で、ただでさえ自信喪失していたところに、よりによって成歩堂さえも自分より彼女に肩入れしている……ともなれば、張り合う対象が全く無関係の初対面である以上にダメージも大きいのだろう。

 その心情は解らなくもない――が。
 御剣はすこぶる不快感露に眉根を吊り上げていた。


「……そんな事を聞くだけのために、此処に来たのだろうか?」

「え……?」

「アイツに思い知らせてやりたいのなら、私ではなく狩魔冥に掛け合ってみたまえ。適当にある事ない事でも吹き込めば、進んで制裁を下してくれるだろう」

「あ……、いやいや! そんな、痛め付けてやりたいとかじゃなくて……!」

「……ならば、私に法的措置でも期待したいと?」

「べ、別にそういうつもりじゃないです……!」

 敢えて事を荒立てる発言で煽ってやると、予想通り真宵は慌てて大きく首を振った。


「だったら、他に用もないようなら、そろそろお引き取り願おうか。無意味な雑談に付き合う程、私もヒマではないのでね」

 少々突き放すような物言いだったと、自覚はあった。
 やはり真宵のカンにも障ったようで、つい先程まですっかり悄気込んでいた表情には再び紅みが差していた。

「そ……、そんな冷たい言い方するなんて、あんまりですッ! ……だってお友達じゃないですか、なるほどくんと」

「トモダチというのは責任の連帯保証人ではない」


「……ひどい。みつるぎ検事だけは、あたしの味方だと思ってたのに……」

 何を根拠にそこまで買い被っていたのかは定かでないが、漸く真宵は目の前の男も自分の理解者にはなり得ないのだと思い知ったらしい。
 自分の味方は誰もいないと言いたげに、これでもかと悲壮感を漂わせて真宵は、がっくりと肩を落としていた。


 ――真宵が自分に何を望んでいたのか、如何なる態度を示せば真宵の気が済んだのか。
 最善の解決策となり得た解答ならば、御剣にも大方の判断はついていた。

 たった一言。意見に賛同して真宵の価値を認め、心にもない慰めの言葉でもかけてやるだけで、もっと早い段階で丸く収まっていた事だろう。
 こんな不毛なやり取りも早々に切り上げられていた筈、と大分手前で判っていながらも敢えてそうしなかったのは、それだけはどうしても御剣の主義に反したためである。


「……私は他人の色恋沙汰になど、全くもって興味がない。対象が成歩堂ならば尚更だ」

 御剣は吐き捨てるように返す。組んだ腕に添えた指の動きが、明確に苛立ちを表していた。
 繰り返し言うが、ヤツが誰に何を想い、どうなろうが。真宵がヤツにどれ程心を痛めていようが、本当に知った事ではないのだ。


「……もう! みつるぎ検事がそんなに薄情だから、イトノコ刑事もウチに入り浸るんですよ!!」

「イトノコギリ刑事が……キミの所に?」

「マコちゃんとのコトを相談に来てるんです。ヒマさえあれば毎日のように。……みつるぎ検事が相談に乗ってあげないからですよ!? ウチだって、そこそこ忙しいのに」

「マコ? …………ああ、あの警備員の女性か」

 御剣は眉を寄せて記憶を探り、思い当たって眉間を緩める。――しかし次の瞬間、一層深くヒビを刻み直していた。

 ヒトの足ばかり引っ張っては満足に成果も残せないクセに、一人前に色気は持ち合わせているというのか、あのオトコは。
 あのデカイ図体で恋煩いに身悶える刑事の姿をつい想像し、御剣は著しい悪寒を覚えた。


 ――全く、猫も杓子も色めき立っている。

 自分は一方的に巻き込まれただけの、いわば被害者であると断言出来る。なのに今や、よりによってこちらが悪人かのような扱いを受けているのだから、心底たまったモノではない。


「……致し方ない」

 薄情者だ、と一方的になじられるのは、決して気分のいいモノではない。ましてや折角衰えつつあった真宵の血気も再び増して、数時間前の堂々巡りになりかねない状況となってしまった。
 ――冗談じゃない。

 大儀そうに一息ついて御剣は、おもむろに立ち上がると、力強い眼差しを向ける真宵の隣に腰を下ろす。
 感情を抑えた冷淡な視線でその顔を見据えると、何かの気迫を察したらしい真宵の方が、怯んだように一瞬目を泳がせた。


「……なら、ハッキリ言わせてもらおうか。キミに欠けているのは理解力だ」

「り、リカイリョク……?」

「ああそうだ、キミは“オトコゴコロ”を全く解っていない」

「……! み、みつるぎ検事も、なるほどくんの味方なんですか!?」

「勘違いしないでもらおうか。私は別にアイツを擁護するつもりも、アイツに共感するつもりも更々ない」

「だったら――」


「……ふう」

 一方的に信頼を寄せていた御剣にも裏切られたと、興奮と戸惑いに潤んだ瞳を瞬かせる真宵を横目に、御剣は深く息をついた。

 自分の下すべき結論も、既に御剣の中では弾き出されていた。
 ただ、敢えて思い知らせてやる必要はない。真宵から自ずと悟るか、または御剣の素っ気ない問答に愛想をつかして早々に立ち去ってくれないものかと期待していたが……、どちらもとんだ見込み違い。
 血の巡りの悪いこのムスメが相手では、望む成果は得られなかったようである。


「……解っていたなら始めから、私にそんな相談を持ちかけたりはしないはずだからな」

「どういう……コトですか?」

「キミが延々と成歩堂の話をしている間、私がそれをどんな想いで聞いていたか。それすらも察知出来ないようでは、キミが男女の色事を語るには……まだ早い」


「――え、あ、…………はわっ」

 今にも何か言いたげな、一度発言を許してしまえば激情が溢れだして止まらなくなりそうな唇を――再び饒舌になる前に、そっと重ねて塞いでやった。



 ――どうやら、御剣の思う以上に効果はあったらしい。
 悲鳴を上げるか手が出るかとも予想していたが、真宵は目を見開いたまま、声ひとつ上げずに固まっている。


「真宵くん」

「…………は、はは、はいッ!」

 御剣が数度名前を呼ぶと、我に返った真宵は身体を跳ねさせて立ち上がり、声を上擦らせた。


「あ……あたし、そろそろ……かえります」

「そうか。何のお構いも出来ず、すまない事をしたな。少し待ちたまえ、帰りのタクシーをよこそう」

「だ……ッ、だだだ大丈夫です! 一人で帰れますッ!!」

 御剣の申し出に慌てて頭を大きく振った真宵は、最後まで御剣と目を合わせる事なく、ふらついた足取りで逃げるように執務室から立ち去っていった。



 まさに嵐が去ったような静けさに、御剣は一際深い嘆息を漏らしてデスクに腰を下ろした。
 ――もっと早くにこうしておくべきだった、と。

 不毛な時間を費やした事で、本日中に片付く見込みでいた仕事にも大いに支障が出てしまった。
 遅れた予定を取り戻すべく、御剣は濃い目に淹れた紅茶のカップを口に運ぶ。思考のもやつきを洗い流してリセットするように、香りを楽しむ余裕もなく一気に流し込んだ。




 静けさを取り戻した執務室が再び、けたたましく鳴り響いた電話のベルによる阻害を受けたのは、それから一時間後の事である。


『何だか真宵ちゃんの様子がおかしいんだけど』

「何故それを私に報告するのだ」

 ――今度はコイツか、と御剣は小さく振った頭を抱えた。


“みつるぎ検事のところに行ってくる”
 事務所に残されていた走り書きのメモを見つけた成歩堂は、一体真宵が何を吹いて来るのかと気が気でなかったらしい。
 しかし先程戻ってきた真宵はまるで抜け殻のように大人しく、普段ならムキになって反撃してくる筈の揶揄にも上の空で、言い返すどころか関心すら見せやしない。

『御剣に何か言われたのか?』
 ――と投げ掛けてみると途端、過剰なまでの反応を示して全力で否定したのだから、何もないだろうと疑わない方がどうかしている訳で。
 余程酷い暴言でも浴びせられたのではないかと、さすがに成歩堂も心配になったようだ。


「彼女がおかしいのは今に始まった事ではないだろう」

 揃って威力業務妨害で起訴されたくなければ、これ以上自分に関わらないでもらおうか。
 ――そう吐き捨てて御剣は、一方的に受話器を置いた。


 様子を窺うに、真宵に異変が表れているのは明白である。
 ……ただし、御剣の返答に対する真宵の心情は不明であり、そもそもこちらの意図を本気と受け取ったか、適当にあしらうためだけの心にもない行為と捕らえたかも判断はつき兼ねるところだ。

 つい苛立ちが先行していたとはいえ、我ながら冷静さに欠いた手段だったと、今になって忸怩たる思いこそ込み上げてはくるが……しかし後悔は、さほどない。
 軽蔑されようが憎まれていようが構わない。いずれにしろ、二度ともう此処に足を向けようなんて気は起こさないだろう。……それで、充分だ。
 無意識に自嘲めいた薄笑を浮かべていた御剣は、冷めきった紅茶を口に含んだ。




 ――真宵の思考を理解する事は到底不可能だ、とは兼ねてより承知のつもりでいた。
 理解こそ及ばずとも“真宵はそういう人間なのだ”と大体は把握し、割り切って接する意識も例の一件で充分に備わり、ある程度は耐性もついた筈だと思っていた。

 もう、如何なる言動を目の当たりにしても驚くまい――そんな御剣の見解は、たった二日足らずで崩される事となる。
 来客として再び真宵が執務室を訪ねて来た時は、さすがの御剣も暫く開いた口か塞がらないでいた。


「……あ、あの……、おとといは迷惑かけて本当にすみませんでした……!」

 面映ゆげに御剣を見上げる真宵は、先日の詫びだと手土産らしきを紙袋をおずおずと見せる。
 袋には《とのさまんじう》と印字されていた。

 詫びは結構だが、それだけのためにわざわざ来たりなどするものか。
 今度は一体何を企んでいるのだ、と問い詰めてやりたい衝動をぐぐっと抑えて御剣は、唯一判断出来る事実を脳内に展開させてみる。

 一昨日との明らかな違いは、真宵に激情めいたものが一切見られない事である。どうやら少なくとも、先日同様に憤りを発散しに来た訳ではないらしい。
 あれから結局は元のサヤに収まったのか、あるいは拗れていよいよ訴訟に踏み切るつもりなのだと腹が据わってしまったか。
 ――正直、あまり訊きたくはないが、しかし、不覚にも気にならずにはいられない。


「今日もキミ一人だろうか。……成歩堂は、どうしている?」

 もしかしたら地雷だったかもしれない、と口にした後で後悔した。
 しかし真宵は眉尻ひとつ動かす事なく、

「なるほどくんですか? ……さあ。留置所じゃないですか? あやめさんに会いに」

 平然と、言い放った。


「……異議あり」

「え」

「先日と言動が明らかにムジュンしているではないか。……そ、それでいいのか? キミは」

「……あ、ああ!」

 思い出したように真宵は手を叩き、数度頷いた。


「それ……なんですけど、何か気にならなくなっちゃったんですよね? なるほどくんがあやめさんを気にかけるのは当たり前だろうし、みつるぎ検事が言ってたコトもやっぱり当たり前だし……」

 まるで他人事のように、笑顔さえ交えて真宵は言った。
 ――呆れる程の変わり身の早さである。
 特別聞き分けが良いだけなのだと解釈すべきなのかもしれないが、何時間も付き合わされたあの苦痛と心労を思い返すと御剣は、とても『それなら良かった』と安堵する気になど到底なれる筈もなかった。


「……ところで、あれから色々考えたんですけど……。あたしって、全然分かってなかったんですよね? オトコゴコロ」

「ム」

「だから、なるほどくんのコトももっと理解できるように、教えてほしいんです! オトコゴコロってモノを!」

「…………」

 御剣の眉相がキリキリと歪む。
 ――そんな事、簡単に教えられるモノではない。と言うか、自分にそんな相談を投げ掛ける時点で既に理解が及んでいない。

 言いたい事は山程あるが、いずれも口に出したくないし面倒臭い。
 ――そしてまた、どうして今日もよりによって突発的な事件もなければ厄介な裁判の都合もなく、本日の予定は簡単な事務と書類整理だけなのかと、つくづく己の不運に嫌気が差した。


「あ……、あの、ゴメンなさい! もちろん、それだけじゃなくって……」

 御剣のあからさまに不機嫌な表情に、さすがの真宵も察したようで慌てて付け加え、続けた。

「その……、教えてほしいんです。みつるぎ検事の……コトも」

 俯いた真宵は耳を紅く染め、手にしている土産の袋をもじもじと弄ったり揉んだりしていた。

 ――どうやらこのムスメ、一度関心が他へ向かえば、それまでの事はどうでも良くなってしまう性分らしい。
 ならば今、彼女の関心は御剣へと向いているという事――なのだろうか?


「だめ……ですか?」

 御剣の溜息を耳にした真宵は、眉を曇らせて顔を上げる。
 御剣は表情を崩す事なく、押し黙ったまま真宵を見下ろしていた。
 ――やがて、真宵の持っていた紙袋を拾い上げると、

「……あ」

「まあ……土産まで持ってはるばる訪ねて来た客人を、無下に追い返す訳にはいくまい。――また、紅茶で構わないだろうか?」

 ドアを大きく開けて、真宵に中へ入るようにと促した。――眉間に刻み付けていたヒビも、僅かに緩ませて。


「も……、もちろん! じゃあじゃあ、おじゃまします!」

 満面の笑みで何度も頷いた真宵に、つられて思わず御剣も苦笑混じりに口元を緩めていた。






タイトル……WANDSの某曲名の一部より。
実は元ネタが分かると既にネタバレている、という内容だったり。

しかし『理解に苦しむ妙なムスメだ』と敬遠しているようで何だかんだ、しっかり好意抱いちゃってるのが毎回ツッコミ入れたくなるところ(笑)

ナルチヒもだけど、ナルアヤ前提だと真宵ちゃんの立場がものすごく可哀想だと常々思ってるのですが(-ω-`)
……しかしナルアヤがなければ、自分がミツマヨにコケるきっかけもなかったかもしれないので、結局いじりようによってはオイシイんでないかと(笑)

2012.10/27


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