翌日、名前の家へ行くといつもと変わらない笑顔で迎えてくれた。
温室で薬草の世話をして、昼食の時間になったので家の中へと入る。
家から持ってきたママ特製のサンドイッチをテーブルに広げた。
「モリーさんのサンドイッチ好きだから嬉しいわ」
笑顔でそう言いながら名前はサンドイッチを手に取る。
サンドイッチの隣には名前が焼いたショートブレッド。
一つ手に取って齧ると、いつもと同じ名前の作ったショートブレッドの味がした。
個人的には名前の作る物の方が美味しくて好きだけど。
声に出そうかどうしようか悩んでいる間に名前が二つ目のサンドイッチを手に取った。
「そういえば、私ダイアゴン横丁で働く事にしたの」
「え?」
「薬草を売っているお店あるでしょう?」
「あるけど……通販はどうするの?」
「続けるわよ。今まで通りとはいかないけど。まあ、色々と片付いたし」
色々、と言いながらチラリと名前があの手紙をしまっていた場所を見る。
あの人を思い出すと苦い気持ちになってしまう。
でも、名前の方が気にしているんじゃないだろうか。
もう好きじゃないとは言っていたけれど、本当のところは解らない。
「という訳で、次の冬休みからは来てくれてもあんまり居ないかも」
「そっか……じゃあ、居る日は、今まで通り手伝いに来ても良い?」
「勿論」
寂しい、と言いそうになったのを飲み込む。
言ってしまうと名前を困らせてしまう気がする。
困らせるのも、その事で嫌われるのも、嫌だ。
まだこのままでいたいと思ってしまう。
次の日、同じように名前の家へ行くと、名前は誰かと話していた。
楽しそうに話しているから友達だろうか。
だとしたら邪魔をしてはいけない。
引き返そうかと思った時、名前と目が合った。
片手を上げる名前に、友達と思われる人が振り返る。
名前に見せて貰った写真で見た事がある人だ。
その人は不思議そうな顔で僕を見て、名前の方へ向き直る。
言葉を交わして頷いていたから、予め名前が僕の事を説明していたんだろう。
「じゃあ、私は帰るわね」
「うん。気を付けて」
「次の土曜日、忘れないでね!」
そう言い残して名前の友達は姿くらましで姿を消した。
名前が困ったような顔をしているのを見て思わず首を傾げる。
「土曜日、何かあるの?」
「デートに誘われたの」
「デート?」
デートの言葉に心臓がドキドキと大きな音を立て始めた。
もしかして、名前は次の相手を見つけようとしているんだろうか。
いつまでも勇気が出ないと悩んでいる訳にはいかない、と頭の中で声がする。
これはいつもからかうようでアドバイスをくれる友人の声だ。
「名前、デートするの?」
「そうね。今はそういう相手も居ないし、デートだけなら」
思わず手を伸ばして名前の手を掴む。
初めて会った頃よりも小さくなったような気がする。
しかし、直ぐに自分が成長しただけだと思い直す。
焦りで頭の中が真っ白な筈なのに、冷静に見ている自分が居る。
そんな不思議な感覚の中、名前の手が冷えているのだけがよく解った。
「ビル?」
「デートなんかしないで」
「……どうして?」
「名前が好きだから。だから、デートしないで」
行って欲しくなくて名前の手を握る力が強くなる。
力を緩めなければと思うのに上手くいかない。
気が付いたら自分よりも小さくなった名前を見る。
名前は真っ直ぐ僕を見ていて、目が逸らせない。
「好きって、そういう意味でって事?」
質問に頷くと、名前は小さな声でそうとだけ呟く。
そして合っていた視線が逸らされた。
手を握ったままな事に気がついて力を緩める。
すると簡単に名前の手が摺り抜けていく。
「有難う。でも、貴方はまだ未成年でしょう?」
「未成年だから、ダメ?」
「そうね」
「もし、僕が未成年じゃなかったら?」
「それは……解らないわ」
解らないと言いながら名前は首を横に振った。
それを見ていたら、後悔が押し寄せてくるのを感じる。
こんな風に伝えるつもりじゃなかったのに。
「今日は、帰る」
「うん。気を付けてね」
頷いて名前に背中を向けると、途端に走り出したくなる。
それなのに、一歩を踏み出すのがとても難しい。
酷く重い一歩を踏み出した瞬間、名前を呼ばれた。
「いつでも来て良いからね。手伝いでも、そうじゃなくても」
振り返る勇気はなくて、代わりに頷いて今度こそ歩き出す。
いざ歩き出してしまえばスムーズに足が動く。
普段よりも家への道程が遠く感じるのはどうしてだろう。
半分くらい来た頃に振り返ると、名前の姿はなかった。
立っていて欲しかったような、立っていなくてホッとしたような。
名前の冷たい手を思い出したら視界が揺れたような気がした。
(20191107)
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