「ねえシリウス、ハリーが心配なのは解るけど花を握るのは良くないと思うの」


名前の声にハッとして手元を見ると潰れた花から千切れた花弁が落ちていった。
しかしそれが床に着く前に浮かび上がり、手の中の花へと戻っていく。
握り潰されていたとは思えない位に綺麗に元通りになった花を花瓶に戻し溜息を吐いた。
今朝青い顔をしたハリーがアーサーに連れられて出掛けてからどれくらい経っただろう。
時計を見ないようにしているが何度もモリーが時刻を声に出すので名前の部屋に逃げてきたのだ。


「少し落ち着きなさいよ」

「落ち着いてるだろ」

「落ち着いてないからわざわざ私の部屋に来たんでしょ?」


返す言葉が見つからず、名前を睨むが気にする様子はなく先程から食べ続けているケーキを口に運んでいる。
生クリームが沢山乗っているケーキはとても甘そうだ。
また一口ケーキが消えたのを見ながらソファーに腰を下ろし、カップを持ち上げる。
名前が淹れた紅茶はすっかり冷めていてそれを一気に飲み干す。
するとポットが自然とお代わりを注ぎ、カップの中は温かい紅茶で一杯になった。


「ハリーは無罪になるわよ。アルバスだって言ったでしょ?」

「言ったな」

「それとも、貴方はハリーが退学になった方が良いと思ってるのかしら」


珍しく真面目な顔をする名前から顔を逸らした。
勿論ハリーが退学になれば良いなんて思っていない。
思ってはいないが、モヤモヤとした気持ちがある。
悪戯に笑うジェームズの顔が浮かんで、消えていく。




結局皆の言う通りハリーは退学にはならなかった。
扉の向こうから掃除をする子供達の声が聞こえてくる。
夏休みが終わればあの子達はホグワーツへ行く。
ダンブルドアが居る限りホグワーツは安全だ。
ホグワーツはヴォルデモートからハリーを守ってくれる。


「また此処に居る。バックビークだって迷惑だわ」

「……お前か」

「ハリーが気にしてるわよ」


バックビークを撫でながら名前が言った言葉は聞こえないフリをした。
今はそういう話をしたくないしされたくもない。


「シリウスったら、私が居るじゃない」

「お前は悪魔だろ」

「悪魔だけどちゃんと体温はあるのよ。ほら」


頬に触れた自分より少し低い体温が心地良いのが悔しくて振り払う。
不満そうな名前から顔を逸らして立ち上がった。
かと言ってこの部屋を出て皆と会話をする気にもならない。
しかしこの部屋には今名前がいる。
放っておいて欲しいと思っても無駄だろう。


「お前、居なくなっても良いのか?」

「大丈夫。モリーは今双子の説教で忙しいもの」

「ハリー達が怪しむだろう」

「そうねぇ……ウィーズリーの末っ子辺りは危ないかしら。あの子なかなか鋭いのよね」


それでも名前はバレるなんて事はない。
と思いながらも学生時代の事を思い出す。
結局リーマスにしかバレていなかったがジェームズも怪しんでいた。
名前が敢えてバレるように行動していた可能性もある。


「心配しなくてもバレたりしないわよ。私はちゃーんと人間らしく振る舞ってる」

「見た目はな」

「完璧でしょ?」


くるりと一回転した名前の頭を撫でてやると突然手を引っ張られた。
バランスを崩し倒れかかったが、自分より小さな体の名前に支えられる。
どうしても見た目で考えてしまうからとても複雑な気持ちだ。
背中に回される腕から逃れようと名前の肩を押してみる。
しかしどれだけ力を込めても案の定ビクともしない。
見た目だけなら人間の女なのに、と思うのは何度目だろう。


「名前、離せ」
「少しだけ。良いでしょ?」


抱きついている名前の頭を撫でる。
自分以外の体温が心地良くなったのは名前のせい。
背中に回されている腕の力が少し強くなった。
寂しがっているのは名前か、それとも俺か。




ダンブルドアは何が何でも俺を閉じ込めておくつもりだ。
俺がアニメーガスだという事は知られてはいないのに。
イライラしたままベッドに座り込む。
すると目の前に皿とワイングラスを持った名前が立っていた。


「一杯どう?」

「……飲む」


名前の持っている皿の上にはチーズが並べられている。
テーブルに置かれたそれに手を伸ばすと名前がワインを注ぐ。
注ぎながらチラリと此方を見た名前が突然笑う。


「機嫌悪そうね」

「そうでもねぇよ」

「ふふ、眉間に皺があるのに?」


指摘され思わず眉間を触っているとグラスが差し出される。
機嫌が悪い理由なんて解りきっているくせに。
白々しくどうしたのなんて聞いてくる名前から顔を逸らしてワインを飲む。
にやにや笑いながら顔を覗き込んでくる名前から逃げるように体をずらす。


「……でもね、私も今回は反対。行きたい気持ちは解るけど、大人しくお留守番の方が良いわ」

「お前もか」

「だって、私は一緒には行けないもの」


反対の言葉に荒んだ気持ちになっていたところにそう言われ思わず顔をあげた。
名前は気付いているのか気付いていないのか反対の理由を並べている。
並べていた理由と同時に折られていた指を掴むとピタリと口を閉じ、真っ直ぐ此方を見た。


「行かないんじゃなくて行けない?」

「行けないの。生徒だけなら別だけど、流石に大人だと勘の良い人も居るかもしれないのよね」


唇をとがらせる名前の姿が思い出の中の物と同じになる。
同じ様に姿を変える事は出来ても、名前のようにはいかない。


「お前のそれ、簡単で良いな」

「ふふ、でしょ。私の眷属になればシリウスも出来るよ」

「やりたいとは言ってない」

「照れちゃって」


嬉しそうに頬を突っついてくる名前の手を掴む。
相変わらず白くて触り心地の良い手だ。
何となく親指で撫でていたら名前を呼ばれる。
顔を上げると名前は思いの外真剣な顔をしていた。


「行かない方が良い。でも、貴方は素直に言う事を聞くような人じゃないわよね。特に私の言葉は」

「……名前?」

「ちゃんと犬らしくするのよ、パッドフット」

掴んでいた手がするりと抜けていき、頬を撫でられる。
いつもの名前の手よりも冷たくて体がぶるりと震えた。




(20160903)
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