「シリウス・ブラックの事もご存知なのでしょう?」
耳元でつい先程聞いたハリーの声が蘇る。
いつか聞かれるのではないかと思っていた。
ジェームズについて話す時、シリウス・ブラックの話も必ず付いて来る。
学生時代のあの二人は殆どの時間一緒に居た。
今でもあの兄弟のような二人を思い出せる。
あんな事が無ければ今も一緒に居たんじゃないだろうか。
「こんばんは、狼さん」
突然聞こえてきた声のした方へ振り向けばグリフィンドールの制服を纏った名前が立っていた。
名前は気が向いた時に色々なお菓子を手にやって来る。
今日も気が向いたらしく何か箱を抱えていた。
それを机に置くとボガートの入った箱を興味深そうに観察し始める。
名前が顔を近付けるとガタガタと箱が揺れ出す。
「これ、なぁに?」
「ボガートだよ。君は見た事無いかい?」
「ああ、貴方の初授業の時の」
名前が指で箱をつつくと更に箱は激しく揺れる。
悪魔である名前の前だとボガートは何に変身するのだろう。
そもそも悪魔にとって恐怖とは何になるのか。
文献によれば聖書の言葉や十字架になるだろう。
しかし名前にはどれも効きそうにないイメージだ。
「出て来てくれないみたい」
「対峙したいの?」
「何に変身するか興味あるわ」
「何か恐い物はあるの?」
相変わらず箱をつつきながら名前はうーんと考え始める。
ガタガタと揺れていた箱はいつの間にか大人しくなっていた。
その箱を持ち上げて中の様子を窺う。
どうやらボガートは無事なようでホッと息を吐いた。
「あら、部屋に戻るの?」
「名前も来る?」
「勿論行くわ。今日はワッフルよ」
ベルギーのワッフルで、と嬉しそうに話し出す。
こうして見ているとやっぱり人間と全く変わらない。
しかしあの赤い瞳もしっかりと記憶に残っている。
吸血鬼やグールが居るのだから悪魔が居てもおかしくはないだろう。
特に魔法界ではドラゴンもユニコーンも存在している。
それでも何処かで信じられない気持ちがあるのは学生時代の記憶があるからかもしれない。
「ところで名前、今日はどうしてその姿?」
「んー?気分よ。なんなら、顔も変えられるけど」
「誰になるつもりかな?」
「学生時代の貴方とかどうかしら」
「いや、そのままで良いよ」
クスクスと笑い始めた名前と共に部屋に入る。
ボガートの箱を置いてティーセットを手に取った。
少し悩んで名前が置いていったアールグレイの缶を開ける。
ガタガタと騒がしいボガートの箱がまた静かになった。
振り返って見ると案の定名前が箱をつついている。
「恐い物、思いついた?」
「上、かしら」
「上?」
聞き返してみたけれど名前は頷くだけで続けようとはしなかった。
上というのはどういう意味で上なんだろうか。
上という単語だけでは範囲が広すぎて絞りきれない。
カップに紅茶を注ぐ音が合図になったのか名前は興味を無くしたように箱から離れた。
そしてワッフルの箱を開け、何処かから現れたお皿に取り分け始める。
「アールグレイね」
「ミルクと砂糖は好きなだけどうぞ」
白い手がミルクをたっぷりと注ぐのを見ながら自分のカップに角砂糖を落とす。
くるくるとティースプーンでかき混ぜながら名前の様子を窺う。
美味しそうに紅茶を飲み、ワッフルを口に運ぶ。
今日もいつものように暇潰しにやってきたのだろうか。
「ハリーは優秀な子ね。ジェームズとリリーの子だわ」
「やっぱり見ていたのか」
「ちょっとだけね」
「そういえば、君はハリーとは会ったのかい?」
「会えないの。私は悪影響だからって」
子供みたいに頬を膨らませる名前に首を傾げる。
会えない、だなんて名前にしたらおかしな話だ。
その気になれば同級生にも親友にもなれるだろう。
それこそ学生時代に溶け込んでいたように。
もしかしたら、またダンブルドアに何か言われたのかもしれない。
「そうそう、この間フランスに行ってきたんだけど」
明るいその声に考え込んでいた事に気付く。
すっかり話題は変わりお菓子の事になっている。
あそこのお店が美味しいとかあそこはイマイチだとかかなり詳しい。
こうしていると昔に戻ったみたいでほんの少し、ホッとする。
次も、そのまた次も、ハリーとの練習後に毎回名前は現れた。
今日はアメリカでカップケーキを買ってきたらしい。
テーブルの上が色鮮やかなカップケーキで埋め尽くされている。
「君は今暇なの?」
「うん。特にやる事も無いし」
そう言って名前は緑色のクリームのカップケーキを口に放り込む。
相変わらず美味しそうに食べるから、つられてしまう。
オレンジ色のクリームを選んで一口かじる。
やっぱり、名前が買ってくるお菓子は昔からとても美味しい。
「そういえば、新聞読んだ?」
「シリウス・ブラックの記事?」
「そう。あの気味悪ーいののキスの事」
「聞くだろうと思った」
食べかけのカップケーキを置いて紅茶を飲む。
甘いカップケーキの後では砂糖を入れた紅茶も甘くない。
一つ砂糖を足そうか考えて、辞めた。
「そこまで望んでいる訳じゃない。シリウス・ブラックは、犯罪者だけど」
「親友だった?」
「そうだね。その記憶があるから、簡単じゃない」
だからと言ってその記憶が無くなって欲しいとは思わない。
今でもあの頃が人生の中で一番幸せだったと思う。
学校に通えて、親友が三人も居て、確かに幸せだった。
だから、今もダンブルドアに話せないでいる。
悩む事すら放棄したくなるような、大変な隠し事。
シリウス・ブラックは、入り込むのにアニメーガスを使ったんじゃない。
「もし、シリウスがそうなったとして」
はっきりとした声に意識を名前に戻す。
しかし名前はカップを見つめていて視線は合わない。
角砂糖を落とす音がした。
「渡さないわ、絶対」
「え?」
「シリウスはあんな奴らには渡さない」
顔を上げ、そう言って名前は笑みを浮かべる。
何処か恐怖を覚える笑み。
茶色だった瞳はいつの間にか赤色だった。
(20141110)
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