片付け終わった部屋で一息吐こうとカップを出した時だった。
コツンと音がしたような気がして部屋を見渡す。
「ふふ、こっちよ」
声のする方へと目を向けると窓枠に座って足をぶらぶらさせている一人の女の子。
グリフィンドールのローブを着ているけれど、生徒ではない。
昔懐かしい、まだ自分がグリフィンドールのローブを着ていた頃の事。
一年間確かに側に居たのにいつの間にか記憶からは消えていた。
それを思い出したのは卒業して暫く経った頃。
白い肌に黒くて長い髪、茶色の瞳の名前が当時の姿そのままで今目の前に居る。
「久しぶりね、リーマス。それとも、ルーピン先生?」
「やあ、久しぶり。リーマスで良いよ。紅茶はどうかな?」
「じゃあ、チョコレートを用意するわ」
窓枠から降りた名前の靴が床を打つ。
紅茶を淹れてテーブルにカップを置くとチョコレートが現れた。
向かい側に座った名前の白い手がチョコレートを一つ摘む。
「フランスのチョコレートなの。美味しいわよ」
「有難う。いただくよ」
一つ、口の中に放り込んで自分の熱で溶かす。
その間にも名前は一つ、また一つと食べていく。
ジッと見てもあの頃と変わったところは無い。
悪魔というのが事実か、それとも何か魔法をかけているのか。
「名前、君は今まで何処に居たんだい?」
「自分の城よ。まあ、色々出掛けてはいたけど」
「そうか。やっぱり君は悪魔なんだね?」
「あら、疑ってたの?この姿を見て信じてくれたかと思ったのに」
こてんと首を傾けて此方を見上げる名前はあの頃と変わらず可愛い。
悪魔は魅力的な姿で誘惑するというから可愛くて当たり前だろう。
本当の姿は蝙蝠のようだとも蛇のようだとも言うけれど。
「それは、本当の姿?」
「んー…まあ、本当の姿かしら。正確にはこうなんだけど」
そう言って瞬きをすると茶色だった瞳が赤に変わっていた。
ああ、そういえばこの瞳は見た事がある。
「昔、薬をくれたの覚えてるかい?」
「ええ。私にとってはそんなに昔じゃないし」
「そうだね。あれは、誰かに頼まれた?それとも、君の気紛れ?」
「頼まれたの。誰からか、聞きたい?」
「いや、私が人狼だと知っている人間は限られている。あの頃君に頼むとするとダンブルドア位しか居ないだろう」
その言葉に名前は何も反応しなかったけれど、事実なんじゃないかと思う。
あの頃ジェームズ達が知っていたらアニメーガスにはならなかったような気がする。
ダンブルドアは一体何処まで知っているのだろう。
シリウス・ブラックのアニメーガスの事を言うべきか言わざるべきか。
「今は脱狼薬があるものね。私の出番は無いわねぇ」
「それでも、狼にはなるよ」
「そうねぇ。私なら貴方を普通の人間にしてあげられるけど?」
「遠慮しておくよ。今の私にはこの仕事があるしね」
「そう?気が変わったら言ってね」
白い手がまた一つチョコレートを摘んで口へと運ぶ。
同じ様にチョコレートを一つ口へ放り込むと甘さが広がった。
いつだって名前の用意してくれるチョコレートは美味しい。
一瞬、あの時の談話室なんじゃないかと錯覚する。
名前の隣に渋い顔をしたシリウスが座っていて、その横にはリリーの魅力を語るジェームズが居て、僕の隣で名前に教えて貰いながら勉強をしているピーターが居て。
あの時間は夢のようだと、とても幸せだったと今になって思う。
「君はアズカバンにも出入りが出来る?」
「あら、気になる?私がシリウスと会っているかどうか」
「気にならないと言えば嘘になる。君は、彼に好意を持っていただろう?本物かどうかは、知らないけれど」
昔は本当に名前がシリウスに好意を持っているのだと思っていた。
それも悪魔だと知って本当はどうなんだと思うようになったのだけど。
名前は目を伏せてカップの中を見つめ、カップの縁を親指でなぞる。
「好意、ね。確かに私はシリウスが好きよ」
「それは、名前・ブラックとして?それとも悪魔として?」
「両方よ」
そう言って此方を向いた名前の瞳はいつの間にか茶色に戻っていた。
そして飲んでいた筈の紅茶はすっかり空っぽになっている。
お代わりを注ごうとポットに手を伸ばすと名前が首を横に振った。
「リーマスは、シリウスのあの記事を信じているのね?」
「…そうだね。それしか、私には判断材料が無い」
「本当に?貴方はシリウス・ブラックがどんな人間かよく知ってるんじゃない?」
ドキリ、と心臓が音を立てる。
ずっと頭の片隅に潜んでいた一つの疑問。
確かに学生時代のシリウス・ブラックをよく知っている。
闇の魔術が嫌いで、純血主義の家に反発していた。
そのシリウス・ブラックがヴォルデモートに従うだろうか。
ジェームズとはまるで兄弟のように仲の良かった。
そんなジェームズを果たして裏切るのか。
「でも、あの時代は、誰も信頼出来なかった。誰が裏切ってもおかしくない」
「だから、シリウスが裏切った?」
「…その可能性もある」
そうだ、誰が裏切ってもおかしくない時代だった。
あの頃はシリウスがスパイかもしれないと疑っていたのもおかしくない。
だから裏切り者がシリウスだと聞いてやっぱりと思ったのだ。
法廷で死喰い人だと判断されたのなら、それはきっと正しい。
「まあ、貴方がどう思っていようがどうでも良いわ。私はリーマスがどうしようが興味無いし」
「随分…厳しいね」
「私はリーマスとこうして甘い物が食べられたらそれで良いもの」
そう言ってチョコレートを摘む姿があの日の光景を思い出させる。
嬉しくて堪らなかった人間だと思っていた名前の言葉。
それが今悪魔だと知った名前の口から同じ言葉が出て来た。
年甲斐も無く、泣きそうになってしまって慌ててチョコレートを放り込んだ。
甘くて甘くてとても美味しいのに、少しほろ苦い。
「名前・名字」
「え?」
「私の名前。リーマスには特別に教えてあげる。甘い物食べたくなったら呼んで」
にっこりしながら手をひらひらとさせて名前の姿が消えた。
(20140501)
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