文句を言う婦人の声を背中で聞きながら談話室へとよじ登る。
すっかり人の気配の無い談話室は静かでとても真っ暗だ。
ソファーに座ると自分の体から立ち上る甘ったるい匂い。


「あー…気分悪ぃ」


気を紛らわせようと暖炉に向かって杖を振り、火を点ける。
ついでに薪を足せばパチンと木がはぜる音がした。
別に恋人が欲しい訳じゃ無いけれど、思春期であればそれなりの欲求は生まれる。
丁度良く言い寄って来る女が居て、気が向けば相手をするだけ。
そこに恋愛感情なんて無くて後に残るのはこの何とも言えない脱力感だ。


「こんな時間まで夜遊び?」

「…お前か」

「女の子と遊ぶのは程々にって言った筈だけど」

「お前には関係ねえだろ」


声のする方を睨めば暗闇からスッと名前の姿が現れる。
いつから居たのか解らないけれど、姿を消す事位どうって事無いだろう。
丈の短い貴族服に身を包み、膝まである編み上げブーツを履いている。
俺の目の前で立ち止まると手が伸びてきた。
その爪が真っ黒で長く尖っている事に今気付く。


「気に入らない。私のシリウスに痕跡を残すなんて」

「別に俺はお前のじゃ、っ」


チクリ、と痛みが走って皮膚が切れた事を知らせる。
きっと名前の爪がと皮膚を傷付けたのだろう。
真っ暗な談話室の中で真っ赤に光る名前の瞳が見下ろしている。
首筋を血が流れていく感触がとても気持ち悪い。


「内出血よりは、良いと思わない?」


名前の唇は確かに笑っているのに目は冷え切っている。
更に傷口を押されて痛みが増していく。
手首を掴んで首筋から離すと、名前の白い指先が赤くなっている。
心臓が動くのに合わせるかのように傷口がズキズキと痛む。
名前は指に付いた俺の血をペロリと舐めて今度こそニッコリ笑う。


「良くねえよ。あんなのは放っておけば消える」

「私が気に入らないのよ。まずその甘ったるい香水」


額を名前の指がつついた瞬間、しつこかった匂いが消えた。
あれは俺も気に入らなかったから消えて嬉しい。


「それから、キスマーク」


顔が近付いて来て、抵抗する間も無く名前が首筋を舐めた。
最初はズキッと痛んだけれど段々と痛みが消えていく。
名前の肩を押して引き剥がすともう完全に痛みは無くなっていた。


「全部消したけど、一応確認してね。それとも、確認してあげましょうか?」

「しなくて良い」

「早くシャワー浴びて来なさい」


そう言い残して名前の姿は消え、静かな談話室に戻る。
首筋に手を当ててももう血は出ていないし傷も無かった。
自分で付けた傷を自分で治すなんて、変な奴。


シャワーを浴びて出て来ると今まで来ていた服は無くなっていて代わりにパジャマが置いてあった。
それに袖を通して濡れた髪の毛を拭きながらなるべく静かに部屋へと戻る。
ピーターの鼾にジェームズとリーマスの寝息が聞こえるいつもと変わらない部屋。
この部屋に帰ってくるととてもホッとして心が楽になる。
ホッとした気持ちでベッドへと近付くと、思わず声が出そうになった。


「お帰りなさい」


ホグワーツの制服姿の名前が俺のベッドのシーツを取り替えている。
そしてにっこり優しい笑みを浮かべていた。
瞳はもうすっかり茶色に戻っている。


「お前、何してんだよ」

「何って、ベッドメイク。ちゃんとシーツや枕カバーは取り替えなきゃ。屋敷しもべはこういう所気が利かないわよねぇ」


そう言いながら仕上げだとばかりにパンパンとベッドを叩く。
取り替えた古いシーツや枕カバーは丸めてごみ箱へ捨てられる。
と思ったら次の瞬間にはごみ箱の中身は空っぽだった。


「あら、髪の毛濡れたままなのね。風邪引くわよ?」

「別にこれ位じゃ風邪なんて引かねえよ。それより、お前声が大きい」

「大丈夫よ。ジェームズもリーマスもピーターも聞こえてないから」


確かに変わらずに寝息も鼾も聞こえてきている。
名前が何か魔法を掛けているのだろうが、言って欲しい。
一人声を潜めて喋っていたのが馬鹿みたいじゃないか。
溜息を吐いてベッドへ座れば洗い立てのシーツの匂いがした。
確かに、この匂いは心地良いかもしれない。
名前が隣に座ると僅かにベッドが揺れた。


「髪の毛拭いてあげるわ。タオル貸して」


半ば無理矢理奪い取られたタオルが頭に被せられる。
悪魔とはいえ、誰かに頭を触られるのは心地良い。
いや、もしかしたら悪魔だからだろうか。
名前がそんな魔法を掛けていたとしても不思議じゃない。


「本当、オリオンに似てるわねぇ。髪の質まで一緒だわ」

「…お前、あいつとどんな関係だ」

「んー…どう思う?」

「お前、もしかしてあいつとそういう関係だったとか言わないよな?」

「気になる?」

「気になるだろ!もしあいつとそういう関係だったとか言われたら…俺はあいつと、」


間接キスという言葉がどうしても言えずに口ごもる。
自分の意思では無いけれど、名前とキスをしたのだ。
それがあの父親と、だなんて考えただけで最悪。
それなのに名前はいつものようにクスクスと笑う。
俺は今何とも言えない複雑な気持ちでいるというのに。


「答えろ、名前」

「仕方無いなぁ…オリオンはねぇ、今の貴方と正反対だったのよ」

「正反対?」

「積極的だったの」

「あいつが?お前に?」

「そうよ。でも、私追い掛けられるのって好きじゃないの」


そう言いながら名前の指が首筋を撫でる。
その手を掴むと顔が近付いてきた。
唇が触れるか触れないかのギリギリの所で止まる。
直ぐ近くで見える茶色の瞳に混じる赤色。


「こうやって、迫られた事もあるのよ」

「それで?したのか?」

「キスしてくれたら教えてあげる」

「前のが残ってるだろ。答えろ名前」


顔を離して名前はいじけたような表情を浮かべた。
残念、と呟いて自分の髪をくるくると指に巻き付けて遊ぶ。
手を伸ばして自分と同じ色の髪の毛を何度か撫でてやる。
すると途端に嬉しそうな笑みを浮かべた。


「追い掛けられたら逃げるの」

「してないって事か?」

「そうよ、オリオンとは一度もね」


その言葉にホッとすると急に眠気が襲ってくる。
もう寝ようと首に回された名前の腕を引き剥がす。
ベッドに潜り込むと洗い立てのシーツの匂いと不満そうな名前の声がした。




(20130904)
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