ほんの少しだけ仕事を減らして少しずつ色んな事をビルと一緒にやるようにした。
いつ帰る事になるか解らないビルと少しでも多くの時間を一緒に過ごす為に。
私に出来る事はそれ位で、後はビルが笑ってと言うから毎日を笑顔で過ごす事。
ふわぁ、と欠伸をしながらリビングに入るとテーブルの上に薔薇の花束が置いてあるのが見えた。
薔薇の花束にはカードが添えられていてそこには間違いなく私の名前が書かれている。
折り畳まれていたカードを開くとそこには書き慣れていないであろう平仮名が並んでいた。
「愛する名前へ」
声に出して読むと何だか気恥ずかしい。
差出人は書かれていないけれど、間違いなくビルだ。
日本と外国では習慣が違うというのは知っている。
日本のバレンタインは販促として始まったチョコレートの日。
女性から男性へが当たり前だというのも日本独自の物。
だから、バレンタインの日にこんな薔薇の花束なんて貰ったのは初めてだった。
それに、日本語は全く出来ない筈のビルが平仮名でカードを書いてくれている。
それだけで嬉しくて、まだビルが起きてきていなくて良かったと思う。
きっと今私の顔は嬉しさで緩みきってしまっているから。
花瓶を探し出し、薔薇の花をテーブルの上に飾る。
カードはどうしようか悩んだ末パソコンのモニターの下に飾った。
仕事中にふと目に入ったら大変そうだけど、此処意外思い付かない。
朝食を作ろうと立ち上がると同時にビルが起きてきた。
「おはよう」
「おはようビル。薔薇、有難う!凄く嬉しい」
「うん」
ふわり、と柔らかくビルが笑う。
目の前まで歩いてきたビルはモニターをチラッと見た。
「文字、合ってた?」
「バッチリ。いつの間に書いたの?」
「昨日、名前が寝てから」
「秘密で?」
「秘密で」
はにかむように笑うビルにドキドキと鳴る心臓。
自然と上がってしまう口角に逆らう事は辞めた。
ビルの顔を見たら、先程よりもっともっと嬉しさが増す。
擽ったくて嬉しくて温かくて、だから笑ってしまう。
「朝ご飯、作ろっか」
「うん」
二人で並んでキッチンに立って朝食を作る。
その間もやっぱり私の口角は下がる事は無かった。
仕事を切り上げて振り返るとビルと目が合う。
読み終わったのか閉じられた本が膝の上に乗っている。
「お疲れ様。紅茶淹れようか?」
「あ、今日は私が淹れるから座ってて」
立ち上がろうとしたビルの肩を押してソファーへ押し戻す。
じゃあ、と頷いてくれたのを確認してキッチンに立つ。
そういえば紅茶を淹れるのは久しぶりだ。
紅茶を淹れるのはやっぱりビルの方が上手でいつも任せっきり。
ビルも何も言わずに淹れてくれるから、つい甘えてしまう。
カップを二つとポット、それから綺麗に包装された箱をトレーに乗せる。
お待たせ、と言いながらビルの前にカップを置いた。
お礼を言ったビルの目はカップからトレーの上へと動く。
「あのね、日本ではバレンタインには女の子が好きな人にチョコレートを渡す日なの」
「チョコレート?」
「うん。まあ、細かい事は気にしないで。これ、良かったら」
「…僕に?」
自分を指差して首を傾げるビルに頷いてみせる。
こっそりと買ってきた外国のメーカーのチョコレート。
本当は作るのが一番なのだけど、チョコレート作りは得意では無かった。
それに作っているとビルにバレてしまうから、それではつまらない。
「好きな人に渡すんだよね?」
「うん、そうだよ」
「そっか」
きょとんとしていた様子から一転、ふふふ、と嬉しそうに笑ったビルはチョコレートへと手を伸ばす。
受け取るのかと思ったらチョコレートを通り過ぎ、手首を掴まれて引き寄せられる。
背中に回された腕にぎゅっと力が込められたと思ったら体が浮いた。
慌ててビルの首に腕を回すと、くすくすと笑い声が聞こえてくる。
ビル?と声を掛けるとごめんねと謝りながらそっと床に降ろしてくれた。
でもまだ抱き締められたままで、私にはビルの肩が見えている。
「バレンタインに花束を貰う女の子ってこんな気持ちなのかな」
「え?」
「幸せ」
頭の片隅で紅茶が冷めてしまう、なんて事を考えているけれど、今はもう少しだけビルに抱き締められたままが良い。
(20140320)
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