起き上がった瞬間目眩に襲われてベッドへ逆戻りする。
体は横たわっているのに世界が揺れていて気持ちが悪い。
意味は無いけれど掌で目を覆ってみる。
じっと目を閉じて揺れる世界をただ耐えるだけ。
急に眩しさを感じて目を開ける。
そこにあったのは久しぶりに見る、エジプトの部屋。
何も変わらない、一人暮らしの空間。
まさか、と呟いた筈なのに声は出なかった。
どうして、何で、そんな言葉ばかりが浮かぶ。
だって、まだ伝えたい事は沢山あるのに。
ぐらり、また世界が大きく揺れて気持ち悪さが増す。
目眩は一向に治まる気配が無い。
こんな時に浮かぶのは、前は家族だった。
でも今、一番に浮かぶのは、
「ビル」
声が聞こえて、気が付けば揺れていた世界は治まっている。
目を開けると心配そうに覗き込む名前の顔が見えた。
手を伸ばして頬に触れてみる。
「大丈夫?」
「名前」
「ん?」
名前の背中に腕を回して抱き寄せると戸惑う声が聞こえた。
倒れ込んできた衝撃なんて今はどうでも良い。
ぎゅっと抱き締めて、呼吸を整える。
自分でも驚いてしまう程、呼吸が乱れていた。
抱き締める力を少し強めて、目の前にある名前の肩に額をくっつける。
「ビル、どうしたの?」
「…もう、会えないかと、思った」
あの部屋を見た時、会えないという事がとても恐くて、寂しかった。
今も、ドキドキと不安で心臓が早く動く。
確かに名前を抱き締めているのに消えない。
「ごめん、落ち着くまで、こうさせて」
「うん…うん、良いよ」
大きく息を吸うとすっかり慣れた名前の香りがした。
名前が淹れてくれた紅茶を飲みながらぼんやりと名前の背中を眺める。
メールだけ、と言った名前はパソコンに向かっていた。
一瞬の、あのエジプトの部屋は、きっと夢じゃない。
説明出来るかと言われたら出来ないのだけど。
「お待たせ。朝ご飯、食べられそう?」
「うん、大丈夫」
「じゃあ、直ぐ作るね」
いつもと変わらない笑顔を浮かべてキッチンへ入る。
聞こえてくるのは冷蔵庫を開ける音や包丁の音。
名前が居るのだと解る、その音がとても安心出来る。
いつかに下から見上げたこの部屋の灯りのようだった。
「名前」
「なあに?食べたい物があったりする?」
「ん、それはお任せで大丈夫」
「どうしたの?」
「呼んだだけ」
そっか、と笑って名前は止めていた手をまた動かし始める。
今日は香りがするからミソシルなのだろう。
鍋を覗き込んでいたと思ったら今度手に取ったのはフライパン。
名前は魔法なんか無くても、次々と料理を作ってしまう。
それでも料理は下手なのだと言うからとても信じられない。
立ち上がってキッチンの向かい側に立つと名前が顔を上げた。
もう少し待っててね、と笑う名前に笑顔を返す。
「あのね、名前」
「ん?」
「…朝ご飯、楽しみ」
「じゃあ、今日も美味しいと良いなぁ」
本当は、違う事を言おうと思っていたけれど、急に恐くなった。
一瞬でも元の世界に帰ったのだと言ったらどんな反応をするだろう。
悲しい顔を、させたくないし見たくない。
我儘だと、自分で呆れてしまう位に。
(20140203)
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