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ベリーベリー・ショートケーキ

甘いものはそこまで好きではなかった。チョコレートもクッキーもキャンディーもケーキも、沢山もらってもあまり嬉しくなかった。自分の分を優衣にあげたときの、その幸せそうな顔を見る方が、よっぽど嬉しかった。

「まさくんは何ケーキが好き?」

あれはいつの話だっただろう。クリームを口の端に付けた優衣が、ことりと首を傾げて俺にそう尋ねた。
ケーキなんて別に好きじゃない。そう答えるのは簡単だったのに、俺はふとカレンダーに視線をやって、そういうことかと質問の意図を察した。

「おまえは?」
「わたし?わたしはねえ、いちごがいーっぱいのってるショートケーキが好き!」

優衣が好きだと言ったから、自分もそうだと答えた。
その三日後、予想していた通り、俺の誕生日ケーキだと言って優衣は母親とショートケーキを作った。

「おまえも食べるだろう?」
「いいの!?…あっでも、これまさくんのために作ったから」
「別にそんなこと気にしなくてもいい。父さんと母さんと俺だけじゃ食べきれないから」

そう言ってやれば、優衣は嬉しそうに笑った。



***



「もう、何回言われても行かないってば」

私はガシャガシャと泡だて器を動かしながら、ハンズフリーにしているスマホに向かって投げやりにそう答えた。
今日は10月27日。まさくんの二十歳の誕生日である。
あの夜、みんなの前で泣きながらショートケーキを食べた私は、「今から女子会だからあなたたちは帰りなさい」と男性陣を追い返した望ちゃんによってまさくんとの関係を洗いざらい吐かされた。それから今日に至るまで、何度断ってもまさくんの誕生日会に来いと誘われ続けている。

『気まずいのは分かってるわよ。だけどあなたも少しくらい歩み寄ってもいいんじゃない?折角向こうが距離を詰めようとしてるんだし』
「それが理解不能なんだよねえ。この10年絶縁状態だったのに、一体何を考えているんだか」

別に私は、まさくんにあの日のことを謝ってほしいわけではない。そりゃあ当時は何でどうしてと毎日泣いていたけれど、時間が経つにつれて、遅かれ早かれ私たちは疎遠になっていただろうと思うようになった。クラスの中でも、男子と女子がちょっと仲良くおしゃべりしていただけで、この子はあの子のことが好きだとか、誰と誰が付き合っているとか、揶揄いの言葉が飛び交っていたから。あの日あの子たちに揶揄われなかったとしても、きっと他のタイミングで、別の誰かに揶揄われていたと思う。

「ていうか今日はやることあるからどっちにしろ行けないし」
『……まあ、そういうことにしておいてあげる。私もそろそろ出かけないと遅刻しそうだし』
「いや本当だってば」

呆れたような望ちゃんは、「明日大学で顔を合わせたらおめでとうくらい言うのよ」と言い残して通話を切った。

「あーもう、手が疲れた…。どうしてうちにはハンドミキサーがないんだろう」

まだまだ固まる気配のない生クリームを見下ろして、私は大きく息を吐いた。

何の気の迷いか、ケーキを作っている。お察しの通り、ショートケーキを。
ケーキ作りなんて10年ぶりだし、当時はお母さんと一緒に作っていたので全行程を一人でするのは初めてだ。上手くできるか自信はないが、砂糖と塩を間違えるような典型的なドジはやらかしていないからどうにかなるだろう。さっき味見をした苺がとんでもなくすっぱかったけれど。

途中何度も休憩しながら、どうにかホイップクリームが完成した。午前中に焼いておいたスポンジを半分にスライスして生クリームを塗り広げ、切った苺をのせていく。

『まさくん、喜んでくれるかなあ』

あの頃の私に教えてあげたい。それはただの自己満足だと。まさくんはちっとも喜ばないと。だけど、それでも。少しでもいいから喜んでくれるといいなと思うのは、愚かなことだろうか。
自己満足だなんて百も承知だ。喜んでくれない確率の方が高いなんて、分かりきったことなのに。ケーキを作る手が止まらない。

捨てられるかもしれない。嫌いだと言っただろうって、突き返されるかもしれない。だけどあの時、不味かったわけがないと言ってくれたまさくんの言葉を、嘘でもいいから信じてみたいと思った。



出来上がった不恰好なケーキを箱に入れて、まさくんの家に向かう。
望ちゃんから聞いていた誕生日会の時間はとうに過ぎている。今ならまさくんは留守にしているはずだから、おばさん経由で渡してもらおう。その方が、例え捨てられたとしてもケーキの行く末を知らずに済むし、幾分か傷は浅い。
インターホンを押す指が少し震えた。誤魔化すように何度かグーパーを繰り返していると、インターホン越しに男性の声が聞こえた。まさくんじゃないとすると、おじさんだろうか。

「宮内です。すみません、お渡ししたいものがあるので少しお時間もらえますか」

了承の返事のあと、インターホンが切れて、玄関の向こうからドアが開く音がした。玄関の曇りガラスに映ったシルエットが大きかったので、そのままおじさんが対応してくれるのだろう。おじさんと顔を合わせて話すのは久しぶりだから緊張するなあ。なんて思いながら、玄関の向こうから顔を出したその人の顔を見てーー、

「…………なん、で」

ケーキの箱が手から滑り落ちて足元に転がった。折角頑張って作ったのに!なんて、思う暇もなかった。
どうしてまさくんがこの時間に家にいるの?誕生日会はどうしたの?望ちゃんたちはどうしたの…!?

「…あっ、えっと、間違えまし」

間違えました。最後まで言うことができなかったのは、まさくんが足元に転がった箱を拾い上げたからだった。
驚きのあまり反応が遅れてしまった。止める間も無くまさくんがその場でケーキの箱を開けてしまう。
呆気に取られている間に、箱を開けた拍子に指に付いてしまった生クリームを、まさくんがペロリと舐める。真っ白な生クリームと唇から覗いた赤い舌のコントラストが何故かとても生々しく見えて、私は腰を抜かしそうになった。

「……って、何勝手に開けてるの!?」

腰が抜けそうになりつつも慌てて正気に戻った私は、叫ぶようにそう言ってケーキを取り返そうとする。が、まさくんが私の手の届かないところまでケーキを持ち上げて、しれっとした顔で言った。

「くれるんじゃないのか?」
「誰もまさくんにあげるなんて言ってないじゃん!誕生日だからって自意識過剰すぎ!」

憤慨する私を見下ろして、まさくんは一瞬目を見開いた。だけどすぐに口元を緩めて、小さな笑みを零す。思わず固まった私を迎え入れるように、まさくんは玄関のドアを大きく開いた。

「な、ん……」
「食べるだろう?」

何なんだこの男…!余裕そうな顔で!誰のせいでこんな思いをしなきゃいけないと思ってるんだ!なんて、文句の一つや二つ言ってやりたいのに、開いた口から零れたのは、情けないほど震えた声だった。

「…………いい、の?そんな、ぐちゃぐちゃで……今回もきっと、しょっぱいのに」

視界がぼやける。鼻の奥がツンとする。涙が溢れないようにと目に力を入れてまさくんを見上げると、まさくんは一瞬気まずそうな顔をして、絞り出すように言った。

「崩れても味は同じだろう。それに、おまえが泣きながら食べるから塩辛く感じるんだ」

あのね、まさくん。それは今じゃなくてあの時言って欲しかった。そのセリフを言うのに10年もかかるなんて遅すぎると思うよ。
私は心の中で文句を並べつつ、促されるまま、10年ぶりにまさくんの家に足を踏み入れる。

「優衣」

久しく聞いていなかった私の名前を呼ぶ幼馴染みの声は、記憶していたよりもずっと低くて深みがあった。私は弾かれたように顔を上げたが、まさくんは完全に顔を背けていて、今彼がどんな表情をしているのか読み取ることができない。

「……飲み物、は?何がいいんだ。オレンジもあるが」

らしくもなく言葉に詰まったまさくんを見上げる。心なしか耳が赤いような気がする。ケーキを持つ手とは反対側の手が、白くなるほど硬く握られている。平然としていたように見えたけれど、この男も存外緊張していたらしい。そう思うと何だか少し笑えてくる。

「……コーヒー、かな。ケーキが甘いから、オレンジジュースはすっぱくなっちゃう」
「……ああ、そういえばおまえ、コーヒー飲めるようになったんだな。昔は泥みたいで絶対飲みたくないとか言っていたくせに」
「やめてよ、それ子供の頃の話でしょ」

硬く握られた拳に指を伸ばす。人差し指が触れた瞬間、動揺したように拳がビクリと跳ねたけれど、そのまま脱力したように力が抜けた。

「コーヒーにはミルクとお砂糖を沢山入れてね?まさくん」

まさくんがようやくこちらに顔を向けた。呆れたような顔をしているように見えるけれど、心なしか口元が緩んでいるようにも見える。

「……相変わらず甘党だな」

私が好きなものは、10年前とほとんど変わらない。チョコレートもクッキーもキャンディーもケーキも、甘いものはみんな大好き。流石に甘いものを食べるときはコーヒーを飲むようになったけど、オレンジジュースだってよく飲んでいる。初恋の幼馴染みの男の子のことだって、未だに大好きだ。そうじゃなきゃ、気まずいのに誕生日ケーキを作るなんて、普通に考えて有り得ない。

「まさくん、お誕生日おめでとう」
「……ああ」

だからきっと、あの日以来苦手になってしまっていたショートケーキだって、また好きになれるよ。まさくんが一緒に食べてくれるなら、あの頃以上に。

title/花洩


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