せっかく靴まで履いてあとは帰るだけというところだったのに、弁当箱を教室に忘れたことに気がついた。
慌てて取りに戻ったら、もうだれもいないはずの教室に人がいた。
「……」
「あ……」
走って階段を登ったせいで、制服の下には汗が滲んでいた。べたついて気持ち悪いなと思うことも忘れて、立ち尽くす。そういえば、初めて告白した日も教室でふたりきりのときだった。
伊澤は、自分の席にだるそうに座りながらおれを見る。
今日、初めて目があった。
「……」
「…っ、」
何も言わずに見てくるだけで、おれは居心地が悪くなって目を逸らす。
自分の机の中に置いたままだった弁当箱を手にして、早く教室を出ようと思った。離れたところから、ガタッと椅子の引かれる音がした。
「……あ、」
「宮田」
あっという間に、おれの前に伊澤がいて、名前を呼ばれた瞬間に身体が動かなくなった。
話してくれないとさみしいのに、こうやって目の前に来られたら、いつも戸惑ってしまう。
「……っ、」
伊澤の次の言葉を聞くのが怖い。
聞いてしまったら、おれはまた断れない。断れずについていって、あとはいつも通り。


「もう大丈夫なの?」
「……え?」
「風邪。治った?」
「あ、うん……」
そっか、と無表情のまま伊澤が呟いた。こんなふうに伊澤と話すのは、ずいぶん久々だった。
「……宮田」
「……っ」
背の高い伊澤が、背中を曲げて、おれの顔を覗き込んでくる。
いつも、叩かれてばかりいる頬を、とても優しい手つきで撫でられた。
「宮田、ちょっと痩せたね。おれのせいだね、きっと」
「……」

おれの、知っている伊澤だった。
やさしい声に、手つき。
大好きだった。やさしい伊澤が。


「いままでごめんね。おれのこと、殴っていいよ。何なら、殺してくれたってかまわない」
「…っ、」

おれみたいな人間は、きっと生きてる価値なんて、そんなにないんだ。

伊澤が、無表情のままで言った。
おれは何も答えられなかった。
表情はないはずなのに、伊澤の顔が、声が、かなしそうで、つらそうで、それをみてたら、おれまでつらくなった。

「い、いざわ……」
「……」

恐る恐る、目の前の大きな身体にしがみつく。身体を密着させた瞬間、涙が出てきて止まらなくなった。

「……っ、いざわ、…すき、好きだよ伊澤…っ」
「……」
「そんなこと、言わないで…そんな、かなしいこと…っ、」

おれの身体に腕が回される。
そっと、力強く抱きしめられた。
おれはずっと、伊澤から、こんなふうに抱きしめてもらえる日がくることを夢みていた。


「やさしいのは、宮田のほうだね」

腕のなかに包まれて、目を閉じる。
伊澤の、心臓の音がした。

end


 

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