瀬戸くんのひみつ。



真夜中だった。

昨夜は、瀬戸があまりする気分じゃなかったらしく、のしかかったらすこしだけ、疲れたような顔をした。「しんどい?」と聞いてみると、案の定遠慮がちに頷いた。なので「じゃあ今日はちゅーだけね、」と軽く唇を重ねる程度のキスをして、眠りについた。

……のだが。

「……、っ、う、ぅ……っ」

すすり泣くような声がする。
どこから聞こえるものなのか、わからなかった。やがて、ぼんやりとしていた意識が、現実に戻ってくる。
声は隣から聞こえるものだと、目を覚ましてからわかった。

「……瀬戸?」

上体を起こし、小さく呼んでみる。が、反応はない。おれに背中を向けているから、表情もうかがえない。どうしたのか気になって、覗き込んだら、目はしっかりと閉じられていた。

(寝言……?)

怖い夢でも見ているのか。瀬戸は眠りながら、しくしくと泣く。
起こしたほうがいいのかどうか、迷いつつ、後ろから抱きしめるだけにしておいた。相変わらず、細くて頼りない身体してる。





「昨日、なんか夢見てた?」
「!」

お決まりの遅めの昼食中に、唐突に聞いてみた。瀬戸が、はっと顔を上げる。

「……なんで」
「んー?いや、なんか寝ながら泣いてたからさ。怖い夢でも見てたのかなあって」
「……、…」

瀬戸が食べ進めていた箸を止める。
考え込むみたいな表情をして、テーブルとにらめっこ。

「……、どした?」
「……」

なんか地雷でも踏んだか、と内心慌てるおれ。瀬戸はそれ以上、飯を食わなくなってしまった。
心配になって、瀬戸を見つめるけど、その顔からは感情が読み取れない。



「……、…変態の、夢みた」

それから、うつむいてしまった瀬戸がぼそっと零した。


変態。……変態?


「えっ……お、おれ?」

自分が変態だという意識は十分あった。
それに、散々瀬戸の嫌がることばかりしてきた。一度くらい、嫌な夢としておれが登場してもおかしくはないはずだ。少々、そわそわしながら瀬戸に問う。頭を横に振って「ちがう」と答えた。なんだ、違うのか。よかった。


「おまえじゃない、……兄貴のほう……」
「兄貴……?瀬戸、兄ちゃんいるの?」
「……いる。けど、血は繋がってない」
「へえ……」

瀬戸から、自分の話しを聞くのは初めてだった。興味深い。けど、問題はその兄貴。

「で、そのお兄さんが変態……?って、どういう……」
「……」
「……?」

うつむいて、何かに耐えているような表情。なんとなくだが、もうこれ以上聞かないほうがいいような予感がした。

「あーいいよ、言いづらいなら言わなくて。まあ……いろいろあるよね」

うんうん、と頷き、昼食の残りを食べることに専念する。やっぱりこの話題には触れないほうがよかったかもしれない。
瀬戸のことをもっと知りたいと思う反面、知ってしまうのが怖い気もした。

なぜならおれは、これまで浅い人付き合いしかしてこなかったし、他人の過去を不用意に聞いたこともない。知る必要もないと思って生きてきた。
人には必ず、自分以外はだれも足を踏み入れられない、禁断の領域みたいなものが存在するんじゃないかと思う。そこに片足を突っ込めば、もう後には引けない。互いが深く近くなりすぎて、複雑に壊れていくのを待つだけ。
そんな面倒な関係性、おれには必要なかった。

いま、こうして瀬戸と暮らしているのだって、元を正せば、おれの単純で歪んだ欲求を満たすため。それ以上でも以下でもない。
瀬戸のことは好きだし、大切だなあとは思う。だけど、瀬戸の過去まで、おれが知る必要なんてない。……ないはずだ。

普段あまり使わない頭をぐるぐる回して、考えを巡らせた結果。自分でも呆れるくらい、言い訳がましい結論にたどり着いた。ようするに、おれはただの臆病者ってことだ。


瀬戸の前に、半分以上残された昼食。
本人は神妙な顔つきでそれを眺めてる。
きっと、いまからおれに何をどう話そうかと悩んでいるんだ。中途半端に話してしまったから、もう後戻りできないってことなのか。そんなこと気にしなくていいのに。瀬戸って意外と、真面目なのかもしれない。


「……、…兄貴、変態だった。ガキのころ、ずっと、やられてた」


なにを、とは聞かなかった。
だいたい想像はついていたから。
泣いてこそいないけど、見たことないくらい暗い顔。

「……それ、だれかに相談した?」
「してない。だれにも言ってねえから」
「……そっか」

おれたちのあいだには、いままで感じたことのない、張りつめた空気が漂う。
次の言葉を選ぶのに、やけに慎重になってしまう。

「……」
「…あー、あのさ、……」
「……」
「何でそれ、おれなんかに言おうと思ったの?」


皮肉にもおれは、その変態の兄貴とやらと、さして変わらないことを瀬戸にした。しかも現在進行形で。もしかすると、それよりもひどいかもしれない。
監禁、暴行、強姦。訴えられたらきっと、おれは何年も高い塀の向こうで暮らすことになるだろう。犯罪者予備軍のおれを前にして、どうしてそんな重要な秘密を暴露したりするのか、理解できなかった。

「……べつに、…なんとなく、言っただけ。大したことじゃねえし、もう忘れていい」

機械がしゃべるみたいな口調で、瀬戸が言った。「ごちそうさま」ともう一言付け加えてから、食器を持って立ち上がり、キッチンへと向かう。その背中を目で追った。


「……」

水を流す音が聞こえてくる。
まるで何事もなかったかのように、瀬戸が食器を洗ってる。

「ごちそうさま」なんて言葉、瀬戸の口から初めて聞いた。


「……」


なあ、瀬戸。
おまえいま、何考えてる。

どんな気持ちで「大したことない」なんて言った。
きっともう何年も経ってるはずなのに、いまだ夢にみるほど鮮明な記憶が、大したことないわけない。うなされて、涙まで流していたくせに。
それが瀬戸の過去を暗くしてることくらい、クズのおれにだってわかるよ。


「……瀬戸、」
「!」

流れる蛇口を止めて、後ろから抱きしめた。肩を揺らして驚く瀬戸。「なんだよ」といつもの調子で言う。


「おれさ、謝るの、苦手なんだ。何言ったって、言い訳にしか聞こえない気がするから……、だから、おれは瀬戸になにをしたらいい?」
「……」


醜い罪滅ぼしみたいなおれの言葉に、答えはすぐに返ってくることはなかった。頭のなかは、瀬戸にしたことへの反省と、言い訳でごちゃごちゃになる。


「おれと一緒にいるの嫌だったらさ……出てっていいよ。警察行って、ぜんぶ話していい。そこでいっぱい反省するよ。…でも、おれ……」
「……」
「瀬戸のこと、ちゃんと、本気で好きだよ」



おれはとても、単純で、最低な野郎だ。

瀬戸の兄貴みたく変態で、瀬戸を傷つけることでしか、自分の価値を見出せないような人間。おれみたいなやつの言う「本気」なんて、たかが知れてる。わかってる。でも、これがきっと最初で最後の、一番の本気。

自分じゃないだれかのことを、心の底から知って、守りたいと思ったのは生まれて初めてだった。


どうすれば、気持ちが伝わるのかわからなくて、ただひたすら強く、瀬戸を抱きしめる。
瀬戸が喋らない理由は知っている。
細い腰に回した腕へと、ぽたぽたと降ってくる雫が、その答えだ。


「…っ…やっぱり、最低だ、おまえ…っ」


最低だ、最悪だ、とうわごとみたいに言う。ほんとうに瀬戸の言うとおりで反論する気も起こらない。

「本気で好きなやつ、追い出すつもりかよ……」
「……」

ただ黙って聞いていた。おれに背中を向ける瀬戸が、もぞもぞと、腕のなかで身体を反転させた。

そして、涙目でにらみながら、おれに言った。

「……ぜったい出ていってやらない。責任取って、おまえ、おれのこと、ずっと世話しろ」

そしたら、許してやってもいい。



瀬戸が神様か、天使に見えた。









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