※死ネタ気味。
あるところにとてもとてもかわいらしいおひめさまがいました。そのおひめさまのえみはまるではなのつぼみがほころぶよう。みるものすべてのえみをさそいます。しかしそんなかわいらしいおかおとうらはらに、おひめさまのからだにはたくさんのほうたいがまかれていたのです。よくみると、それだけではありません。ほうたいがまかれていないばしょにもがーぜなどがあてられ、むすうのきずがおひめさまのからだをおおっていたのです。
それはおひめさまがたくさんのしゅくふくにつつまれておうまれになったときにさかのぼります。このくににたったひとりだけ、おひめさまのたんじょうをよくはおもわないひとがいたのです。それは、むかしからくにのはずれのもりにすむまじょでした。そのまじょはおうさまとひみつのかんけいをもっていました。かなわないこいだからこそふたりのあいはふかく、それはしょうがいつづくものだろうとまじょはしんじていたのです。しかしそんなふたりのかんけいはよきせぬかたちでかんたんにおわってしまいました。おうさまのこんやくしゃのじょうおうさまにおこがやどったのです。もともとおうさまはまじょとのかんけいがつづくいっぽうで、やさしくかわいらしいじょうおうさまにこころひかれていました。そんななかにふたりのあいのけっしょうでもあるこができたのです。あたらしいいのちのたんじょうをめのまえにしておうさまはおもいました。このままではいけない。じぶんはこのことつまだけをせいいっぱいあいしてやらなければならないのだ、と。そうしてとうとつにつげられたわかれにまじょはなみだしました。かなしい。くやしい。けれどもおうさまをあいするきもちだけはかわらず、じょうおうさまがどれだけすてきなじんぶつかをまじょはしっていたのです。だからまじょはふたりにはてをくだすことができませんでした。しかしかなしみはいえず、それはどんどんとにくしみへとすがたをかえていきます。いちどはじぶんがしぬことをかんがえました。いちどはおうさまを、じょうおうさまをころすことをかんがえました。そしていつしかそのおもいのほこさきはおひめさまにむいたのです。まだみぬおひめさまにはふこうをさしあげましょう。わたしからおうさまをうばったにくきあなたにはいっしょうこうふくになんてなれないまほうを。
そうしてうまれたおひめさまはたくさんのきずをせおってうまれました。くちにだすのもおぞましい。たくさん、たくさんのきずを。しかしそれでもおひめさまはしあわせでした。いえないきずをおういっぽうで、こころだけはいつだってむきずだったのです。こんなきずまみれのわたしを、あいしてくれるひとがいっぱいいる。やさしいおとうさまもおかあさまもいて、なにをふこうにおもうことがあるのか。おひめさまはまじょのおもいどおりにはならず、しあわせにそだったのです。しかしそんなしあわせなひびをおくるおひめさまのまえに、ふこうはいきなりおとずれました。だいすきなおかあさまがびょうきでなくなってしまったのです。じつはじょうおうさまはむかしからおおきなやまいをわずらっていました。おひめさまをうむことができたことも、こうしておひめさまとおなじときをすごすことができたことも、ほとんどきせきにちかいことだったのです。おひめさまはかなしくて、かなしくて、なきました。おうさまもかなしくて、かなしくて、なきました。けれどもみんな、きせきをよろこびました。ありがとう。そう、かんしゃしました。だからじょうおうさまがなくなってからも、おひめさまはしあわせなひびをおくりつづけることができたのです。おかあさまのしはかなしかった。かなしかったけれどもみとめられた。うけいれることができた。だからそれはふこうとはよべませんでした。そう、ほんとうのふこうは、ちがったのです。
あるとききずだらけのおひめさまのおはなしをおききになったとなりのくにのおうじさまが、おひめさまのもとへとおとずれました。かれはおうじさまでありながら、まほうやまじゅつのほうめんにくわしいとしてゆうめいなひとでした。そんなおうじさまはいいます。あなたにかかったまほうをときましょう。わたしにならそれができます。そしてまほうがとけたなら、わたしと、しあわせにくらしましょう、と。それはぷろぽーずのことばでした。しかしふるふると、おひめさまはくびをふります。ちがうの、と。なにがちがうものか。そんなおひめさまのことばに、おうじさまはじぶんのちからがみとめられていないとかんじ、くやしかったのでしょう。だからどうぞみててください。そういってなにかをとなえます。だめよ、だめ、だめなの。そのことばはだれのものだったのでしょうか。おうじさまのじゅもん、だれかのさけび。おわりとともに、おひめさまにかかったまほうはとけました。
いっしょうをかけてあなたをのろいます。いっしょうをかけてあなたはのろわれてください。いのちみじかしははぎみとは、おなじやまいなんかでしなせませんよ。あなたはいきなければならないのです。わたしのあいするかたにあいされたぶん、たくさんたくさんいきなければいけないのです。しあわせでいてください。そのためいくらそのよりしろがくずれようともこころだけはいつも、しあわせに。
さけびは、まじょのものでした。
そうしておひめさまはなくなりました。まじょのまほうがとけたことによって、ずっとからだのなかにあったおかあさまとおなじびょうきが、はっしょうしてしまったのです。しかしのろいがとけたおひめさまのからだはきれいなものでした。うまれてからでいちばん、きれいなすがたでおひめさまはたびだったのです。だいすきな、たいせつな、いとしい、おひめさま。そこにはかなしみがいっぱいにひろがりました。しとしと、しとしと、ふるあめは、さいごまですがたをあらわさなかったまじょのものだろう。そうおうさまだけがおもいました。
のろいがとけたら、しんだ。
ああ、なんて
しあわせなおひめさま
100706