可燃性鉱物の彼に似た哀れがられた末路

私の書く文章はもっぱら人が死ぬと、
さんざ友人殿にいわれてきたのですが、
実際、
高校時代に書いたのを読み返してみたら、
確かに高確率でぽしゃってました。
別に中二病全開な文章を書いているわけではないのですが、
なぜか一人は犠牲者様がいらっしゃいます。
病んでる、とかではないと思うのですが。
でも、
「人の死」って経験として
特異性が強すぎて
ネタにしやすいというのはあるかもしれません。
なんていうと、不謹慎ですか?
自由創作ということでお目こぼしをば
別に危険思想とかじゃないんですよ……!


人が死ぬって大概のことですよ
近しい人が死んだらと想像するだけで
泣いたことがあります。っていうか、普通に泣きますよ。想像でだけでも。
今のところ、
近親者はみんなぴんぴんしておりますので今一「死」なんて言われても
ぴんとこないのですが(この状況が永遠に続けと思います。私より先に死んで欲しくないですよね)、
それでもこのまま年齢順に行けば
私が近親者、ほぼすべての死に立ち会うのは確実なわけで。
死。死んじゃうのかあ。
死んじゃ、やだなあ
会えなくなるから寂しい、じゃなくて、
なにより更新できなくなるのがつらいと思います。あくまで想像ですが。
会えなくなるっつったって、
今だって自由に会えるわけではない方もいらっしゃるわけで、
そんな人でも死んで欲しくない、というのは、
いつか会えるという希望すら無くなってしまうことが、
その人を完璧に過去にして、
自己完結的に記憶の中に囲ってしまうのが、嫌だからではないかと、
若輩ながら思う訳であります。
変なこと言ってるとは思います。
他人を過去にしてしまうということは、
他人をある意味自分の記憶の中に押し込めて、所有してしまって、
その人を知る機会を永久に無くしてしまうような気がします。
昔の彼はこうだった、今の彼はあんな感じで、ここが変わったんだね、とか
ここは変わらないねとか。
そういうことが全然わからなくなっちゃいます。
誰かが死んじゃうと。
面と向かって会えなくなっちゃうから。
その人の記憶は確実に過去になって、
未来を失って、
更新されることもなく
意識的/無意識的に記憶のホルダーである私がその記憶を改変してしまったりして、
その人を誤解してしまったり、
その人を勘違いしてしまったりすることは
酷く悲しい事のように思います。
そして、死んじゃうとその間違いを訂正することもできなくなってしまうんですよね。
私の中で死者は生き続けるとともに
凌辱され続けているのかもしれない。
そう思うとあまりにも私は間抜けで愚かしく、
死ぬことは恐ろしいです。
と、こういうと自己愛が過剰に出ていて、
酷く滑稽に見えますね。


やっぱり、「死ぬこと」なんて考えても、
十代の世間知らずの脳じゃしっぽをつかむことすら難しいのかな。
なんてね。
扨。
今日は寝ますです。
おやすみなさいませ。
良い夢を。


[2013.0927]




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