だから今はおやすみ | ナノ
※大学生

ぐったりとテーブルにもたれている風丸君はぴくりとも動かない。
けれど呼吸は正しく一定のリズムで吸われ、吐き出されているから命に別状はない。はず。多分。



明日は一限から講義が入っているから、もう寝ようと思っていた。
スウェットに袖を通し、明日の授業で必要な論文に慎重に目を通して間違いがないことを再三確認して、その内容の完璧具合に満足したところで、欠伸をひとつ。

さあ寝るかと電気を消してすぐだった。

ケータイの画面がけたたましく、ピカピカ光った。

暗闇に浮かび上がったそれに一瞬驚いて、反射的に耳に当てた電話の向こうから聞こえてきたのは、けたけたと笑う声。

静かな笑い声。

それが風丸君の声だと、ほどなく気がつく。

「風丸君?」

どうしたんだと問いかけても、愉快そうな声しか返って来ない。

声に含まれる、ゆるりぐだりとした向こう側の気配に、酔っぱらいだと、勘づく。

・・・放っておいても良かった。
これが南雲あたりなら確実に放置だ。
だって俺はもう寝たい。
寝る準備万端だった。
大丈夫だよ、俺達には沢山の兄弟がいるんだから、根気良く電話していれば一人くらいは助けてくれるよ。

でも生真面目な風丸君がお酒に呑まれているというのは、穏やかじゃなかった。

少なくとも、大人数の呑み会だろうと少数での宅呑みだろうと、彼が羽目を外すところなんて見たことがない。吐くような醜態を見せたこともない。
いつだって彼は、つぶれた奴らを甲斐甲斐しく介抱する側だ。

どうしたの、ねぇ。

再び尋ねたところで、笑い声の余韻を残したまま通話は切れた。

眠気は飛んでいってしまったらしい。

ざわりと波立つ心臓を抱えて、スウェットのまま部屋を飛び出した。



近くに住んでいて良かったと、心底思う。
彼の潔癖の気がある性格も、ありがたい。

つまり、俺の予想は当たった。
風丸君のことだから、人と呑んでいたらまず電話なんて寄越さないだろうし、ひとり外で潰れるなんてしょうもないこともしないはずだと推理した通り、彼は自宅にいた。



学生ばかりが住むアパートの一室の前に立って、インターフォンを鳴らした。
応答はない。
ドアを叩いても返ってくるものは無くて、焦ってノブを回したらあっさりと開いた。
無用心だと思う間もなく部屋に踏み込むと、つけっぱなしだった照明が暗闇を走ってきた目に眩しく刺さった。
それからぐったりとローテーブルに身体を預けた風丸君の姿が視界に入った。

慌てて駆け寄り、その背中に触れてみると、体は呼吸に合わせて微かに上下していて、突っ伏した顔を覗きこんだら眉間にしわを寄せたまま目を閉じていた。
聞き耳をたてると、微かに寝息も聞き取れた。

それでいっきに脱力した。

ただ眠っているだけだと判断を下した時には、自分でもちょっと引くくらい、冷や汗をかいていた。

たかが酔っぱらいでこんなにビビる必要なんか無かったのだ。
本当にシカバネであることなんか、ないだろ。ましてや風丸君だし。
でも、その彼がお酒に呑まれるなんて、まず予想外の出来事だったから。だから必要以上に気が動転してしまった。

厄介者。

電話をする気力があったのなら、せめて俺が来るまで起きていてくれてもいいのに。

笑ってたくせに。

腹いせのつもりで、風丸君の眉間に指を這わせて、眉根のしわをぐいっと伸ばす。
んん、と嫌そうな寝言が聞こえて、俺は笑い声を出したいのをなんとかこらえた。

風丸君の手から滑り落ちたらしい、傍らに落ちているケータイ。

突っ伏した彼の前には、几帳面に並べて積まれた空き缶たち。

そのある一定の秩序を乱すように床に転がっていた缶をひとつ拾うと、それはまだ口が開いていなかった。たぷりとした液体の重みを掌に感じる。

缶を見つめながら、明日の朝の電車の時間と、今の時刻を思い浮かべた。

一限の講義、お気に入りの教授なんだけどな。

聞きたいことが、あったんだけど。

風丸君を見下ろす。

・・・うん、まぁ、いいか。



プルを起こすと、炭酸の弾ける音がした。
ひとつくらい拝借したところで、文句は言われないだろう。というより、気がつかないだろうな。買った数も呑んだ数も把握しているようには見えない。

もう一度、風丸君の顔を覗きこむ。
眉間のしわは、俺が伸ばしてあげたおかげか、無くなっていた。顔色も悪くない。
いよいよ本格的に夢の中らしい。

気持ち良く眠れるのなら、それでいい。

今度こそ安心して、風丸君から離れた。

電気を消してから壁にもたれて座り、一口煽る。
苦いのに甘ったるいという、矛盾している液体が喉をちくちくと刺激した。

照明を落とした部屋には、街灯の頼りない灯りだけが窓からうっすらと入り込む。
普段はどこかしら騒がしさのあるこのアパートが今日はやけに静かで、風丸君の微かな寝息と、自分がアルコールを飲み下す音だけが耳につく。

焦っていた気持ちはすっかり落ち着いてしまった。
アルコールの影響もあってか、今になって風丸君の意外な一面を見れてしまったことがだんだんと愉快になってきた。

なんていうか、こう、ちょっとずるいくらいに、彼は皆の前でへまをしないから。
ブレーキをかけるのが上手で、そう、保護者みたいな。
でも、だから他のみんなが気持ち良くバカなことを出来るのかもしれない。
長い付き合いの仲間内で集まると特にそんな空気が色濃くなる。
風丸君が見てれば大丈夫だろう、という安心感が染み付いている。
そしてその通り、何かトラブルが起きたとき、呆れた顔をしながらも、決して放っておいたりはしないのが風丸君だ。

酔っぱらいなんて面倒で厄介なだけだ。
自分だったら被害を被らないところまで退避して、遠くから面白おかしく眺めている方が良い。

ついこの間だって居酒屋で呑んだとき。
あの時は誰だっけ、ああそう、綱海君だ。沖縄から遥々遊びにきて、どうせだからとFFIの面子で集まった。
手洗いまでもたずに廊下で盛大にリバースして、横で支えていた風丸君の服が当事者より悲惨なことになったあの時も、彼は笑いながら手際よく処理をしていた。
風丸君のお節介具合は、俺には時たま理解しがたい。けれど、俺も回りと同じくらいそれに甘んじてもいる自覚もある。
彼のそういう優しいところを、なかなか気に入っているのだ。



(いやー、酔いつぶれの風丸君なんて、見たことある人いるのかな)

珍しい。面白い。

彼、起きたらどんなリアクションをするんだろう。
二日酔いに頭を痛めるのだろうか。
記憶が消える派なのか残る派なのか。
消えていたとしても、ケータイの着信履歴は嘘をつかないのだから、それを見せて思う存分笑ってやろうかな。
怒るだろうか、恥ずかしがるだろうか。
なんだかどれもしっくり来ない。
傷つきやすくて繊細なところがある彼を起きがけすぐに笑い者になんてしたら、しばらく口を聞いてくれなくなる可能性がある。
いや。
もしかしたら、怒るよりも俺に迷惑をかけたことに対して大げさなくらい気に病んで、見てるこっちが気の毒になるくらい、しょんぼりしてしまうかもしれない。
なんだかそれが一番想像しやすい。

ケータイで時間を確認した。

アルコールは気持ち良く回っているけど、これくらいなら朝まで残らない。
乗るべき電車に間に合うように起きれそうだ。

風丸君はよく眠れているみたいだし、側にいなくても大丈夫だろう。
むしろいないほうが、目覚めた時に彼が気負いせずに済みそうだ。



残りを一気に飲み干して、帰ろうと腰を浮かせたとき、ぼそりと、何事か聞こえた。

(・・・?)

音の発信者はひとりしか思い当たらない。

もしかして起きたのだろうか。

「・・・風丸君?大丈夫?」

応答はない。

気のせいだったかなと思ったとき、再び音は発せられた。

弱々しいそれは、でも、今度はしっかり聞き取れてしまった。

俺は中途半端な体制のまま、動けなくなった。



えんどう。



風丸君は、確かにそう言った。

それがどこか、ぐずるような寂しい声だったものだから、収まったはずの心拍は思い出したように変に上がってしまった。



そうだ、風丸君が、あの風丸君が、理由もなく潰れるはずなんて無いんだ。

なんでこんな簡単なことに気がつかなかったんだろう。

心臓がどくどくとうるさい。

何かなければ、お酒を買い込んで人目のつかないところで呑もうなんて。
そんな寂しいこと、風丸君に限らず、普通はやらない。


円堂君と、何かあったの。


疑問は飲み込んだ。
言ったところで返事はないのだから、聞くだけムダだ。

あの一言きり、それ以上風丸君が何か言い出す気配はなく、また規則正しい寝息だけが淡々と聞こえてくる。

俺は浮かせていた腰を、再びおろした。

明日のことはもういい。
教授には翌週の講義の時にだって会える。普段真面目に出席しているおかげで一コマ休んだくらいじゃ単位の取得に響きはしない。せっかくだからあの論文にもう少し手を加えたっていい。

ここに残って、風丸君が起きるのを待って、起きたら存分に笑ってやろうと決めた。

風丸君が余計なことを考えなくてすむくらいにいじって、困らせよう。怒らせてしまっても構わない。
寝言のことには触れずに、酔いつぶれた理由も聞かずに、ただ彼の失態にだけ突っかかって、二日酔いで痛い頭を余計痛くしてやる。
それでもし本当に機嫌をすごく損ねてしまったとしても。
きっと優しい彼のことだ。
最後は諦めて、困ったふうに笑って許してくれるはずだ。

なんで俺にわざわざ電話なんてかけてきたのかは分からない。
まさかア行とカ行を間違えたなんてことがあったらどうしようも無いんだけど。
本当は円堂君を呼び出したかったんだったら、俺も風丸君も気まずくなる。
そうだったらやだなぁ、と思いつつ。
でも、わざわざ独り自室でこっそり落ち込んで、人目につかないところで酔うことを選んだ人がわざわざ電話なんて寄越したのは。

それが酔った勢いの行動だったとしても、心のどこかで、誰かに何か吐き出したかったからじゃないだろうか。

本当は誰かに、助けて欲しいと思っていたんじゃないだろうか。

理由ななんであれ、弱みを見せない彼が、ほんの少しの弱さを見せた。

電話が彼なりの、なんらかのSOSだったのなら。

起きたらいろんなことを思い出して、それから、何か言いたくなるかもしれない。
少し零した弱さから、もういいやと開き直れたとしたら。
そのときはどんな話でも聞いてあげたい。
面倒なことって遠慮したいんだけど、風丸君の話だったら面倒ごとでも、聞いてもいいと思えた。


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