会いに来た | ナノ
※大人

ここにいるはずがない人物に出くわしたら、誰だってその場に凍りつくしかないだろう。
今の俺が、まさにその状態だ。
こっちはこんなに驚いてるっていうのに、ふわりと笑うそいつは、もしかしたら夢か幻なのかもしれない。

「ああ、俺、疲れてるんだな」

「ん?ちょっと、何勘違いしてるのか知らないけど、現実だよ、現実」

幻覚としか思えないそれはしっかりとした言葉を発してくるものだから驚きを隠せない。

「そうか・・・随分俺の知り合いにそっくりで、日本語もお上手で・・・」

「染岡くん、何を言ってるの?
僕、吹雪士郎です、君のよく知る」

吹雪士郎と名乗るそいつは、やぁと片手をひらりとふった。
ひどく頭が痛んだ。気がする。
なんでこいつがいるんだ。

「仮に本人だとして、だ。
なんでお前が!こんなところにいるんだよ!」

思わず大声が出た。
聞こえたんだろう、チームの連中がちらちらとこちらを気にしているのが視界の隅で確認できた。
イタリアに来てから穏やかな気候と陽気な国民性に触れているおかげか、今みたいに怒鳴るような機会なんてなかったから驚かれているんだろう。
そう思うと、なんとなくきまずい。
目の前の吹雪のほうは気がついてるのかいないのか、それをちっとも気にしていないのが若干腹立たしい。

「うん、紛れもなく本人なんだけどね。
まぁまぁそんなことどうでもいいでしょ?
せっかく来てあげたんだから、ね、ほら」

そんなことを流暢に言って両手をゆるやかに広げて笑う吹雪に、俺は混乱するばかりだ。

「なんだよ、それ」

動作の意味が分からなくて、ついつっこんでしまった。

「抱き締めてあげる」

つっこまなければ良かったと、すぐに後悔した。

「さぁ、僕の胸に飛び込んでおいで!」

俺からしてみれば心底胡散臭い、でも端からみたらそれはそれは素敵に見えるんだろう笑顔で言いやがった。
意味がわからない。
笑顔が輝いた瞬間に周囲が大きくざわめいたのは多分、チームの練習を見学に来ている女性ファン達のリアクションだ。
こんな優男が来たら贔屓のサッカーチームの練習を応援している最中でも興味は移るものらしい。

「・・・お前の頼りない胸なんか借りてもしょうがないだろ」

「頼れる胸なら借りたいとは思うんだね。
大丈夫、こう見えても僕けっこうたくましくなったんだから。
ほら、試してごらんよ」

精一杯の皮肉は、どうしたら伝わるんだ。
無理矢理作ったこっちの笑顔はひきつってることだろう。

「お前の超解釈ぶりは相変わらずだな、だれも借りたいなんて言ってねぇ。
ほら、周りの女のがよっぽど飛び込みたそうだ」

「見えないなぁ、僕が貸したいのは君だけだよ?」

「・・・」

たちが悪い。
ていうか、なんだよいきなり。
お前北海道で監督始めたんじゃないのか。
いいのかよ、生徒達ほっぽりだして。
サッカー部なんてよっぽど理由が無い限り毎日練習が基本だろうが。
本当に監督してるのか?
もしかして実はまだ無職なんじゃないのか。
大体ここ、イタリアだぞ、意味わかんねぇだろ。
安月給のくせに旅費はいったいどこから出たんだ。
つい一昨日だってくだらない話を電話越しに延々聞かせてきたくせに、一体いつここに来たんだ。
来るなら来るって一言いいやがれ。

「なんだよ、お前。
本当に、何しに来たんだよ」

正直もう混乱に混乱を重ねてパニック寸前だが、どうにかそれだけは口に出すことが出来た。

「だから、言ってるのに。
君を抱き締めにって」

吹雪は不満げに唇をつきだす。
そんな仕草男がしても気持ち悪いだけだ。
呆れ返ってそんなことを思っていると、ふいに吹雪の腕がこちらに伸びてきた。

何をされそうなのか、ワンテンポ思考の遅れた脳がやっと想像をして後ずさってみたが、避け損ねた体は吹雪の両腕に捕まった。

足元に力を込めても強引に抱き寄せられて、見た目とは裏腹に力強い腕力によって体重はあっさり吹雪のほうへ傾く。
背中に回された手は、逃がすまいと言うようにがっちりとホールドしてきた。

あんまりな行動に、溜め息が出た。

そんなに力まなくたって、ここまで来たら逃げる気なんて起きないというのに、大袈裟な奴。

しかし素直に受け入れてしまうには、この状況は恥ずかしくてしょうがない。
周囲の反応が見たくなくて、思わず目の前にあった肩に顔を埋めた。
出会った頃はもっと低い位置にあったはずなのに、伸長さなんて歳をとる度になくなっていった。
程好い高さになったここは、いつの間にか驚くほど居心地が良い場所になっていた。

たくましい胸かどうかは怪しいが、俺ひとりが収まるには充分だった。

周囲から悲鳴のような声が聞こえてくる。
今度は女性達だけじゃなくチームメイトのものも混じっているようだ。
でも、それを聞いても、無理矢理にでも逃げ出そうなんて気はもうこれっぽっちも起きなかった。
だから、たちが悪い。
こいつは俺をほだすことに、恐ろしいくらいに長けているのだから。
俺が吹雪を拒む術なんて、もうずっと昔に忘れたままだ。

あいつらに何て言い訳すっかな、なんて、こっちは内心焦っているのに吹雪はクスクスと笑っている。
この状況が楽しくてしょうがないんだろう。
独占欲の強い、吹雪らしい反応だと思った。
しかしそれを嫌だとは感じない自分は、もう本当に、よくこいつに懐柔されている。

「お前なぁ・・・」

それでも、文句のひとつでも言わなければこいつが調子に乗るだけだ。
それは面白くない。
咎めるようにわざときつめに吐き出した音は、しかし、染岡くんさぁ、と呑気に言う吹雪の声に遮られてしまった。

「不調なんでしょ?」


続いた言葉に、唖然とした。

こいつは何を言っているんだろう、と思った直後に自身の現状を思い出して、そしたら声が詰まって出てこなくなった。

言われると思っていなかった一言。

でも、たったその一言で、こいつがなんでここに来たのか、その理由がやっと理解出来た。

自分が今ここで、どういう状態でいたのか、こいつは、分かったっていうのか。

急に、回りの声が聞こえなくなったような気がした。
変わりに自分の心臓の音が、やけにうるさく感じる。

「なんで、分かった」

ようやくそれだけ声に出すことが出来た。
動揺しているのがバレバレな、弱気な声だったから舌打ちしたくなる。
吹雪は愉快そうに耳元で笑いながら背中をトントンと叩いてきた。

「分かるよ、染岡くんのことなら何でも。
声聞いただけで分かる」

「お前、ほんっときもいな」

こんなときに憎まれ口を叩く自分はイヤな奴だな、なんて思った。
でも、そんなことを言っていないと、ぽっきりと折れてしまいそうだった。
自分の中の意地とか何か、そんなものが。
顔をうずめたままだから分からないが、きっと吹雪の表情はゆるやかに笑ってるんだろう。
なにもかも分かってる顔をして。
そしてそれは多分その通りだから、少し悔しい。

「失礼だなぁ」

「しかも、バカだよ」

「バカって、染岡くん」

「バカだって。
たったそれだけで、こんなところまで来る奴がいるかよ」

「僕がいる」

「・・・」

「負けん気強くて意地っ張りで甘えるのが下手くそでひとりで誰にも相談せずにくよくよ悩む君を無理矢理にでも抱き締められるのは、僕だけでしょ?」

「・・・すっげー自信」

聞かされるこっちはただただ恥ずかしい。
勘弁して欲しい。

「何年君を愛してると思ってるのさ」

トドメを刺すように囁く低音は、すっと体の奥底に染み込んでいった。

ゆるりと背中をさすられると駄目だった。
久しぶりの恋人の生の声に、動作に、思わず目頭が熱くなってきて、焦る。

ここまで独り、突っぱねてきた意地が簡単に崩れてしまいそうで、でもそれじゃあ俺のプライドが許さない。
こいつだってひとり北海道で頑張っているのに、少しプレーが上手くいかないくらいで弱音なんて吐きたくなかった。

それなのにこんなにあっさりとバレた挙げ句にこんなところにまで来させて、俺は一体何をしているんだろう。

「よしよし、泣いてもいいんだよ?」

「・・・誰が泣くか」

情けないやら嬉しいやらで、鼻がつんとした。
ごまかすために笑うと、人前ではさすがにイヤ?とか言って茶化してくるから、反抗するために二の腕のあたりを指で思いきりつねってやった。
痛いってばと抗議する声には、聞こえないふりをした。

慎重に息をついて、次に言うべきことを探す。

こいつはここまで来てしまった。
それはもう、素直に受け入れるしかない。

「お前、どうせホテルなんか予約してねぇんだろ?
まだ練習があるから、俺んちで待ってろ。
場所は、覚えてるよな?」

顔をあげて、吹雪の顔を真っ直ぐに見た。
予想通りの、やわやわとした笑顔がそこにはあった。
頼りにならなそうな、淡ゆるい頬。
でもそれが、何より安心できる表情。

「もちろん、最初からそのつもりだった」

いつの間に取り出したのか、片手に俺の部屋の鍵をぶらつかせて調子良く笑う吹雪は、ようやく体を解放してくれた。

イタリアでの生活の拠点が決まった時、お守りにしたいからと散々ねだられた合鍵。
鍵は吹雪のと自分のを合わせて2つしかないから、どうせ無くすだろと断ってきたものの結局根負けして、こっちに来る直前に投げつけてやった。
その時は、こいつは俺に限ってありもしない女に渡せるようなものを奪っておきたかったんじゃないかと想像していたが。

まさかこんな時のことを想定して欲したんだろうか。

いや、そんなまさか。

「それじゃあまたあとでね!」

「おう、わりぃな」

・・・練習帰りにしこたま酒を買って帰ろう。
それで、これでもかってくらい酔っぱらって、弱音を吐きやすくして、愚痴でも泣き言でもなんでも聞かせてしまえばいい。
ゆるーい顔が不機嫌な色を見せるくらいにくだ巻いてしまえばいい。
それで、望み通りに慰めてもらって最後は笑って安心させて、翌日には日本へ追い返すんだ。

明日までの奴との過ごし方と、それから、このあとに言わなければいけないチームメイトへの言い訳を急いで考えながら、吹雪のうきうきとした背中を見送った。
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