幸せでした | ナノ
※大人

「それじゃあ」

自分の口から出た声はぐずぐずに掠れて崩れて、だからきっと顔もひどいことになってるに違いない。
現にもう目は熱くていっぱいいっぱいで鼻だって啜らないといけなくて。

こんな情けない姿を曝して別れるなんてあんまりだから、最後くらいはかっこよく爽やかに、なんてことないように振る舞いたかったのに、ぜんぜん駄目だなぁと頭の片隅で笑ってしまう。
それでも最後に染岡くんの姿をきちんと記憶に焼き付けておきたかった。

狭いアパートの廊下、ドアの前で並ぶ僕ら。
染岡くんがドアに鍵をかける動作を横で見つめていた。

「おう」

ガチャリと錠が閉ざされた音が嫌に大きく聞こえて、僕の心はよりいっそう悲壮感に包まれた。
この部屋にはきっと永遠に僕らは戻らないだろう。
二人分のたくさんの思い出を閉じ込めたまま、今、時が止まってしまった。

鍵のかかったそこから染岡くんの手は離れていった。
その手がほんの少しだけ名残惜しそうに見えて、それだけで僕は救われる思いがした。
気まずそうに俯いてる染岡くん。
泣き出しそうな僕を見ないよう、気を使ってくれてるんだと分かる。
僕のちっぽけなプライドは彼に駄々漏れなんだろうな。
こんなときまで彼にこんな気を使わせてしまうなんて情けない。
でも、君にそこまで僕のことを知ってもらえて良かったと思う。
それくらい僕らは一緒にいたんだね。
君と一緒にいれて、僕は本当に。

「あ、おい、鍵」

「え」

「・・・返してくれないか」

相変わらず目線を合わせないでいてくれてる染岡くんは、片手を中途半端にこっちに向けながら途切れ途切れにそう言った。

「え、あ、うん。えっと、そうだよね!」

ごめん、ごめんね。
分かっていたことなのに、君にわざわざそれを言わせてしまった僕はとんでもなくバカだ。
しどろもどろになりながら慌ててジャケットからキーケースを取り出す。

黒地に控えめな星のスタッズが飾られてる洒落たこれは染岡くんが同棲をし始めて、最初のクリスマスにくれたものだった。
よく家の鍵を無くす僕だったけど、染岡くんがこれをプレゼントしてくれてからは全く無くさなくなった。
二人で4年も過ごしてきたクリスマスも来年にはきっと僕はひとりだ。
どうしようもないけれど確実にやって来る未来が悲しくて、目頭がぐっと熱くなって視界がもやもやする。

一番大切だった鍵を切り離した。

簡単に外れてしまったそれを握りしめて、染岡くんのほうにつき出す。
早く、開いて、彼の手に落とさなきゃいけないのに。
重なりそうな手と手がもどかしくて、僕の手も染岡くんの手も酷く歪んで見えた。

「うっ・・・うう」

もうだめだった。
視界が一際大きく歪んだ途端に、ずっとこらえていたものがどっと溢れだしてしまった。

「うう、うわあ、やっぱり、やだあああ」

差し出していた手を引っ込めて、鍵を握り締めたまま僕はそれで目を思いきり拭うけど、涙はちっとも止まらない。

やだよ、染岡くん、染岡くん。

もう半ばやけくそで染岡くんに抱きついた。
うおっとひとつ叫んだ染岡くんは軽くよろけたものの、ちゃんと受け止めてくれた。さすが染岡くん。

「うあああ、ぼく、やっぱり無理だ!別れるなんてやだあああ!」

「ちょ、おいこら吹雪!
・・・だから!別れるわけじゃないだろ!このばか!」

廊下で成人した男ふたりが抱きあいながら叫んでるっておかしいだろ!近所迷惑だからやめろ!と染岡くんに言われて、やっと少し気持ちが落ち着いた。
確かにこんな傍目に見たらおかしな現場を目撃されるのは、もうここを離れるとはいえ気まずいし、変な噂がたつのも困る。
いや、見られてなくても、大声を出してた時点でアウトのような気もするけど、見えないことを気にしてもしょうがない。
誰も聞いてなかったことに期待しとく。

しょうがないからおずおずと体を離して、でも悔しいから手だけはちゃっかり握ってしまおう。
手と手の間には鍵の冷たい感触。
染岡くんが僕の顔をやっと見て、なにか言いたげな目をしたけど手は振りほどかないでくれた。
君ってこういうところ、甘いよね。

「4年も、一緒だったんだから、別れるみたいなもんじゃない・・・」

今さらはる虚勢も何も無いからだめ押しで駄々をこねてみせると、染岡くんは心から呆れたという顔をして僕を見た。

「お前なぁ・・・」

「・・・ごめん、分かってる。
でも・・・またひとりで暮らしていくのが、怖いんだ」

どうしようもない弱音を今さら吐いてる自分が嫌で、でも言わずにはいれなかった。
染岡くんと過ごした日々の心地よさは同時にたしかな恐怖心も植え付けた。
またひとりになったとき、果たして僕はどうなるだろう。

「お前にとっては、それが深刻な問題だってのは理解してる」

染岡くんがまっすぐに僕を見つめた。

「それでも、お前はもう、昔の小さくて無力だった子供じゃない」

「・・・うん」

「俺は海外、お前は北海道に呼ばれた。
それはお互い、ちゃんと自分達のやりたいことを、やるべきことをやろうって頑張ってきたその結果だろ?
あー、もう、ほら、泣くな。
・・・寂しいさ俺だって。
寂しいよ。
ずっと一緒に住んできたんだからな。
寂しいけど、でも悲しいことじゃねぇ。
この4年でしっかり自分のやりたいこと見つけて、そのために頑張ってきて、結果のついてきたお前は強い奴だよ」

「・・・うん」

「ほら、アツヤの側で頑張るんだろ?そう言ってたよな」

「うん」

「なら、泣いてられねーだろ、そんなんじゃアツヤに笑われちまうぞ」

「それは、やだなぁ」

染岡くんは世界で活躍するプロ選手になるために、僕はまた白恋でアツヤが愛したサッカーをするために。
二人でいつからか語り合ってきた夢を叶えるためにここまでやってきた。
夢が叶ったらそれぞれの場所で生きていくために、今日まで二人で支え合ってきたんだから。

「俺だって不安だよ、知らない土地で知らない選手達とまた1から信頼を築いて、でも自分のサッカーを貫かなきゃいけない。
もしかしたら活躍なんて出来ないまま終わるかもしれない。
誰も俺なんて見てくれないかもしれない。
でも、お前と過ごしてきた四年間があるから、それを糧に踏ん張れるって信じてる」

「う、ん」

「お前と過ごしてきた、バカやって、騒いで、楽しかった日々を思い出しながら、それを支えにして向こうで頑張ってみせるから。
だからお前も、もう泣くな」

そう言って笑ってくれた染岡くんの目がきらりと光ったのは気のせいだったのか。
でももし彼も泣きそうになってるなら、少し嬉しい。

「うん・・・ありがとう」

「おう」

「あの、電話するから。
手紙も書くし、試合、全部観るよ、雑誌も新聞も買う。
君が載るものぜんぶ見るよ。
ぜんぶぜんぶ、ちゃんと見てるからね、応援してるから」

「ああ、ありがとう」

「だから、ちゃんと、活躍してきて。
僕が遠くにいても君のこと見つけられるくらい、一番輝いてきて」

「約束する」

「うん、約束」

涙はまだ流れてるけど、大丈夫、ちゃんと泣き止むよ。

強く手を握る。

ゆるやかに笑っている染岡くんの唇に軽くキスを落とした。
一瞬ぽかんとして、それからすぐに赤くなった染岡くんを見て笑う。
いつも通りの僕らだ。
大丈夫だよね。

ゆっくり手を離す。

離すときに、さりげなく染岡くんの手に鍵を渡すと、なにも言わずに受け取ってくれた。

「ねぇ、いつかまた、違うところでもさ、また住めたらいいよね、一緒に」

「じゃあ次の目標、それにしようぜ」

「それ、すごくいい」

僕も、君との思い出を胸にいきていくよ。
手にするより失うことのほうが縁のあったように思う僕の人生は、君と出会ったことで沢山のものを手に入れたんだ。
僕が君にどれだけ感謝しているかなんて、君はきっとぜんぶは分からないままだろうけど、本当に僕は君に救われてきた。
本当だよ。
言葉には出来ないけど、もし言葉にするなら、君は僕にとって友人であり恋人であり、家族であり兄弟だった。

今日、今をもって僕らはまた離れ離れになって行くけど、それは変わらないって信じていきたい。
ねぇ、僕は君と過ごせて、本当に幸せだったよ。
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