小さな魔法 | ナノ
それじゃあお留守番、よろしくね

それからお寝坊さんのアツヤのことも



母さんの言葉にまかせてよと頷くと、頼もしいわと母さんは笑って出掛けていった。

ザアザアと強く降る雨の音は、ドアが閉まるのに合わせて小さくなった。

閉まりきると途端に、しん、とする玄関。

留守番はもう何度もしてきたけれど、いつもならアツヤと二人並んでいってらっしゃいを言うから、なんだかどうしてか、いつもよりちょっと物足りない感じがした。

雨のせいなのかな。
静かな廊下に、遠く聞こえる外の雨音。

少し寒さを感じて、体がぶるりと震えた。

独りきりのここは、もう夏も近いのに涼しい、というより冷たい。

そうだ、アツヤを起こさなきゃ。

いつもなら僕よりムダに早起きで騒がしいくらいなのに、弟のくせに兄ちゃんのことは俺にまかせろなんて偉そうに胸をはるのに、今日はなぜだか起きてこなかった。



「アツヤ、アツヤ」

寒さをごまかすように腕を擦り、名前を呼びながら階段を登って家族四人でいつも寝ている部屋を覗けば、ちょこんと布団が小さく丸まっているのを見つけた。

「アツヤ」

そこにいるんでしょ?
もう起きなよ、母さんもう出掛けちゃったよ?

そう言いながらかたまりに近づくと、うんうんと唸る小さい声がするから、僕は首を傾げた。

「アツヤ?どうしたの?」

そっと布団に手をのせてゆすると、そこはもぞりと動いて、掛け布団からアツヤが少しだけ顔を覗かせた。

でもその顔はいつもの強気で生意気そうな表情じゃなくて、困ったように今にも泣き出しそうな顔をしているから、どきりとする。

「兄ちゃん・・・」

僕を読んだ弱々しい声に、胸がざわざわした。

「怖い夢でも見たの?」

聞くと、アツヤはふるふると首を横にふる。

「頭、痛い」

それでやっと、ああっと僕は理解出来た。

アツヤはよく、雨の日に頭が痛くなる。
それはちょっとだったり、ひどかったり、その時によって度合いは違うのだけど。
確か母さんはそれを、テイキアツのせい、とか言ってたっけ。

アツヤが苦しんでるのはそいつのせいだ。

「ええっと、どうすれば・・・?」

どうやら今日は起きるのも辛いくらいに痛むみたいだ。
救急箱が必要なのかな。
でも、勝手にお薬を触っちゃだめって言われている。
それに、持って来たところでどれが頭痛に効くのかは分からない。

頭は冷やすの?温めるの?

アツヤの辛そうな顔を見ていたら鼻の奥がツンとしてきた。

僕にはアツヤの痛みが分からない。
今、どんなに苦しいんだろう。
こんなに近くにいるのに、何もしてあげられない。

僕は母さんに、まかせてなんて言ったのに。

「うう・・・」

何も出来ないことが悲しくてしょうがなくて、気がついた時にはもう両目から涙が溢れてきてしまっていた。
泣き出した僕を見たアツヤは、くりくりとした大きな目をもっと大きくした。

ああもう、こんなのじゃお兄ちゃん失格だ。
僕、すっごく格好わるい。

「兄ちゃん、泣くなよっ」

慌てたようにアツヤが涙をぬぐう僕の手をつかんだけど、涙は全然止まってくれないから、拭き取る手が無くなった雫は、ぽろぽろとほっぺを静かに流れていく。

「だって、僕、アツヤに何もしてあげられない・・・」

ひくり、と喉がつっかえた。

すると涙でゆらゆらするアツヤの瞳もウルリとして、でも、今にも泣き出したいのをこらえるようにアツヤは眉をぐっとつり上げた。
その仕草が僕よりお兄ちゃんらしく見えて、少し悔しいと思った。

そんなアツヤが、突然何かひらめいたような表情に変わった。

「・・・こういうとき、いつも母さんが、魔法をかけてくれるんだよ」

「・・・魔法?」

「うん、おでこにチュッてすんの」

「・・・それで、アツヤの痛いの、治る?」

僕、母さんじゃないけど、効き目あるのかな。

「うーん、分かんない」

僕は不安げな顔をしているんだろう。
アツヤも自信無さげに答えて、でも、と声をあげた。

「でも、兄ちゃんだから、大丈夫だと思う」

「どうして?」

「だって、兄ちゃんは俺の兄ちゃんだろ」

「なんだよそれ・・・変なの」

どこか偉そうにそう言ったアツヤの様子がおかしくて、思わず笑って目を細めた拍子にポロリとひとつ、また涙が零れたけど、それが最後。
僕の目はもう濡れていなかった。

「・・・じゃあ、やってみる」

よし、と決意して流れた涙の痕を消すように頬をぐいっと擦る間に、アツヤは慎重に上体を起こして、僕に向き合った。

僕と同じ高さになった桃色の髪の毛を少し撫でて、それから、恐る恐る白いおでこに、目を閉じて唇を寄せた。


アツヤの痛いのが、早く、早く、出来るだけ今すぐ、治りますように。
神様どうか、お願いします。


そうやって強く強く頭の中で考えながら、なるべく優しく。


アツヤの痛いのが治るのなら、僕は好き嫌いをやめるから。


数秒そうしてから、ゆっくりと離した。

「・・・どう、かな。僕にも、出来たかな?」

緊張しながらアツヤの顔を覗きこむと、橙色の瞳がきらりと嬉しそうに輝いていたから、それを見て、僕の緊張は一気に溶けた。
ふう、と息をつく。

「兄ちゃんすげえ!」

痛くない!ってきゃあきゃあと騒ぐアツヤは、いつも通りの元気いっぱいなアツヤだ。
一生懸命お願いして良かった。
元気の無いアツヤなんて、僕は見たくないもの。

「ね、ご飯食べよう。お腹空いたでしょ?母さんがオムライス作っていってくれたから」

「やった!あ、なぁ、食べ終わったらサッカーしよう!」

「ダメだよ、今日、外雨だもん」

「えぇーなんだよー」

「食べながら、何して遊ぶか決めよう?」

ほら行こうって手を差し出せば、わあっと勢い良く握られた。
アツヤがじゃれるように体をくっつけてきて、体温の高い手をぎゅーっとしあう。
その温かさに、僕は心底安心する。

「兄ちゃんの手あったかーい」

嬉しそうにアツヤが言って、僕は、アツヤの手もだよ、と笑った。

オムライスに入っているだろう、グリンピースは避けないで食べなくちゃいけないのはちょっと嫌だけど、なんてこと無い顔をして食べてみせよう。
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