夢見た終わり | ナノ
年老いた指先には、残念なことにもう力は入らない。

なにか掴みたいものがあったような気がするのだけれど、それがなんなのか朦朧とする頭ではハッキリしない。

目線だけそちらに向けると、しわしわで枝のように痩せ細った手が目につく。

身体も、自由が効かない。

もうずっとこうしてベッドに横たわってきたが、それにすら疲れを感じるようになった。

なんだか、すごく眠たい。

目を瞑ろうか。





「待って」

呼ばれた声に反応して、閉じかけた瞼をゆっくり開く。

金色が眩しくて、今の私の眉間には、しわがよっているだろう。

「・・・なんですか」

アフロディ、と呼べばこれはまた眩しい笑顔で彼は微笑んできた。

「眠ってしまうの?」

凜とした声が疲れた身体に心地よく沁みる。

「ええ、もう疲れてしまいました」

比べて、自分の声にはなんて力が無いのだろう。

「そう」

それなら、仕方ないね。

呟く声は笑顔に反してあまりに寂しげだったから、とても申し訳無い気持ちになる。

ぴたりと寄りそう温かさを感じて再び己の手に視線を向けると、アフロディが私の手に手を重ねていた。
私のがさがさの手とは違い、滑らかですべすべとした、丸みの残る発育途中の手。
それはまるで磁器細工のように、清く白い。

「・・・すいません」

「・・・なんでそんなことを言うんだい?」

不思議そうに首を傾げる動作まで品がある彼は、遠い昔と変わらない美しさと幼さをたたえている。

ほんとうに、変わらない。

私がまだ少年で、あなたとサッカーをしていた頃。

「私は、あなたを置いていってしまうのですね」

私ばかりが歳をとってしまった。

いや、私だけではない。

彼以外のすべての時間は等しく正しく流れているのだ。

世間も環境も、あらゆる物事が大きく、小さく、変化していった。

ただ彼独りを残して。

「残念です」

本当に残念だ。

「・・・あなたに寂しい思いをさせてしまう」

此処に来るまでに、既に彼は沢山の大切なものと別れを告げてきた。

先立った知人、好きだった景色、製造中止になったお菓子、崩れた建造物、あなたが気に入っていたあの湖だって、埋め立てられてしまったのはいつだったか。

彼はいつだって、見送る側でいることしか許されなかった。

「私も、あなたを、悲しませてしまうから」

別れる度に深く傷つく表情を、いつだって私は見てきた。

時に隣で、時に斜め後ろから。

その度に、手を握り、背を撫で、寄り添ってきた。

そうすれば、寂しさも悲しみも少しは癒してあげることが出来たから。

でも、今度はもうそうしてあげられない。

今度は、私が彼を置いていくから。

それが、どうしようもなく悲しくて、悔しい。
所詮人の子である自分に与えられた時間には、限りがある。
彼と同じ時間を生きることは出来なかった。

「チャンスウは、優しいね」

アフロディは一際にっこりとした。

細められた紅い瞳は、とても優しい色をしている。

闇夜が迫り来る前のような、淡く悲しい色合いは、まるで終焉の景色。

世界の果てを、そこに見た気がした。

「でもね、僕と違って、ちゃんと歳を重ねていく君の人生は、何より美しいと感じたよ」

「アフロディ・・・」

「君の側にいれて幸せだった」

気味悪がらないでくれてありがとう

側に置いてくれてありがとう

君の尊い人生を、一番近くで見せてくれてありがとう

沢山のありがとうが、アフロディの口から流れ出ては私の胸の中に蓄積されていく。

笑顔だったはずのその表情は、気がつけば今にも泣き出しそうに、苦しそうに歪められていた。

ああ、どうか、泣かないでください。
あなた自慢の美しい顔が台無しですよ。

力の籠らない、頼り無い、持ち上がらない指先がもどかしい。

あなたの手を掴んであげたいのに、その背をさすってあげたいのに、そのこぼれ落ちる涙を拭ってあげたいのに、自分にはもうどれもしてあげることが出来ない。

私の掴みたかったものは、あなたなのに。

もう、もう、叶わない。

では、これからは誰があなたを、あなたの悲しみを共に共有していくのだろう。



ぼんやりと視界が揺らぐ。



水面を通して見ているかのように、ゆれるアフロディの悲しい顔がもう見たくなくて、とうとう私は目を瞑った。

瞑った振動で、一筋の水が頬を伝う感覚を感じた。





おやすみなさい、良い夢を。



遠く聞こえた声は、震えていたような気がした。



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