浸透 | ナノ
※大学生
まだ6月なのに、すでに暑い日が続いている。
一年中涼しいところで長年過ごしてきた僕には、アスファルトの照り返しは少々厳しい。
もう夕方なのにあたりはまだ随分明るくて日が延びたことを実感する。
真夏にはどうなっちゃうんだろう。
熱帯夜はいやだな。
バイトが終わったその足で向かったのは自分のアパートじゃなく染岡くんのアパート。
古びた階段を上がって、二階の一番はじっこ、ジーンズに繋いだカラビナに手を伸ばした。
ジャラリと音を立てたそこから鍵をひとつ選ぶ。
お邪魔しまあす、とドアに向かって呟きながら差し込んだ鍵を捻ると簡単に音を立てた。
そっと開けて覗けば、正面の奥。
ベランダに出る窓を開け放して地べたに座る染岡くんを見つけると僕は途端に嬉しくなる。
ここは彼の部屋なんだから、彼がそこにいるのは当然当たり前のことなんだけど、その当たり前をこうして見るたびに安心するこの気持ちはなんだろう。
この光景が好きで、なかなか部屋に踏み入る気になれない。
もう少し見ていたいと思ったら、染岡くんが急にこっちを振り向いたからすごくびっくりした。
バッチリ目が合って何も言えずに挙動不審になる僕に向かって、口を開いた。
「んなとこで何してんだよ・・・」
入ってこねーのかと聞かれて、ああっと慌てて敷居をまたいだ。
なんだ、気がついてたの。
「気付いてないと思って」
「そんなにボケてねーよ、つーか、階段上る音聞こえてたし」
「あれ、もしかして僕が来るの聞き耳たてて待っててくれた?」
そう聞くと、バカ言うなと普通に笑われてしまってちょっとガッカリ。
嘘でもうんって言ってくれたって良いのになぁ。
でもそんなのは染岡くんらしくないと考え直す。
すぐ側まで近付いて、見下ろしたら気づいたのは、彼の口の端についた白い何か。
さらに観察すると、右手には細い木の棒が握られていた。
「アイス食べてたの?」
「あ?あー、今日暑かったから。さっきコンビニ行ってきたんだよ」
お前良いタイミングで来たなと笑う染岡くんの顔をじぃっと見る。
口のはしっこについた白色が気になって、芽生えた悪戯心が身体を動かした。
染岡くんにぴったり身体を寄せて隣に膝をついて、そこをべろりと舐め上げるとバニラ味が舌に染み込んだ。
ぼんやりとしたぬるい甘さ。
甘いアイスを買うなんて、染岡くんにしては珍しい。
いつもソーダとかコーラのシャーベット系を買うのに。
それだけじゃ満足出来なくて、そのまま下唇に極力優しく歯を立てて口に含むと、食べ終わったばっかりだったんだろう。
今度は僅かに冷たくて、はっきり甘い。
もっと、と思って舌を入れようとしたらぐいっと額を押されてあああ・・・と嘆くうちに距離を離されてしまった。
「っ、お前なぁ」
アイスならもうねえぞ、と呆れた顔をして染岡くんは手に持つ棒をひらひらと振ってみせた。
昔はよく何事か仕掛ける度に赤面してたのに、もうキスひとつくらいじゃ動揺しない。
少しずついろんなことが当たり前になっていくんだって、思った。
(そうじゃないんだけどね)
アイスが欲しかったんじゃなくて、ただ君にじゃれたかっただけの気まぐれ。
なら僕は今みたいな時、昔ならどうしただろう。
もっとワガママに感情をぶつけていただろうか。
良く言えば素直で、悪く言えば自分勝手に。
僕は押された額を撫でながら頬をわざとらしく膨らませて彼の言葉に乗っかることにした。
「染岡くんだけずるい」
「なんだよずるいって」
「僕の分も買っておいてくれたら良いのに・・・」
「いつも来るのが唐突過ぎる奴の分なんて誰が用意するかよ」
「・・・」
「・・・」
「・・・」
「・・・あああもう、しょうがねぇなぁ!」
沈黙の攻防で先に折れたのは染岡くんだった。
ほんとお前めんどくせぇって失礼なことを呟きながら勢いよく立ち上がる染岡くんを見上げる。
本気で言ってるんじゃないのは分かってるから、僕はついにこにこしてしまう。
こういうやり取りは、きっと変わらないところ。
「どうせ泊まってくんだろ、ならコンビニじゃなくてスーパー行って夕飯も買おうぜ」
その言葉に頷きながら、僕も立ち上がった。
「久しぶりに染岡くんの作るチャーハンが食べたいなぁ」
「あんな簡単なのでいいのかよ」
「だって美味しいじゃない」
彼の料理は基本ざっくりしているけど、味付けが絶妙で本当に美味しいんだ。
暑いから絶対美味しいよ。じゃあビールもだな。
笑い合いながら並んで玄関に向かった。