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先輩に一生のお願いがあります、なんて春奈さんが改まって言うものだから、わたしもタオルを畳む手を止めて自然と姿勢を正した。
放課後、サッカー部の部室。
皆はグラウンドで元気に走り込み。
わたしと春奈さんは戻ってくるまでにと、ドリンクとタオルの準備をしている最中だった。
春奈さんはひどく深刻な面持ちで手に持っていたドリンクホルダーを机に置いてから、わたしを真正面からじっと見つめてくる。
すうっと、可愛らしい唇が開いて、思わず身構えた。
「先輩、わたしとキスしてください」
その台詞は、わたしが曖昧に想像していたものと違うもので。
思わずぷっと噴き出してしまうと、春奈さんはもうっと頬を膨らませた。
「先輩たら!なんで笑うんですか!」
「ご、ごめんなさい。
てっきり深刻な話だと思ったから・・・」
「わたしにとっては大事なことです!」
ぷりぷりと怒る春奈さんには悪いけど、ちっとも怖くない。
わたしの頬は緩みっぱなしだ。
「ねぇ、いきなりどうしたの?」
春奈さんとわたしは皆には内緒で付き合っている。
こんなことは今更改まってお願いされるようなことじゃないはず。
というか、彼女はいつもわたしに許可なんて無しに唐突にキスをしかけてくるんだから、今更どういうわけか分からない。
その疑問を彼女にぶつけると、うーんとひとつ唸った。
「えーとですね、確かにキスはしてますけど」
「先輩から、してほしいなぁ、なんて」
春奈さんに上目使いで覗きこまれて、その途端に、頬に熱がたまっていくのが分かった。
言われてみれば、そうでした。
いつも春奈さんから不意打ちにしてきて、わたしはそれを受け入れるだけ。
告白をしてくれたのも彼女から、キスも彼女から。
自分はいつでも受け身だった。
それがあまりに自然で、どこかそれを当たり前に思っていたことに気がつく。
「・・・ええっと、そうだよね」
なんとか答えようとして、だけど口ごもってしまう。
改めてそんなことを言われてしまうとすごく意識してしまって、ダメだ。
春奈さんの垂れがちな優しい目も、いつもにこにこしている愛らしい唇も見てられなくて、失礼とは分かっていてもわたしは俯いてしまった。
自分からなんて、そんな。
それにここは部室で、今は部活中で。
走りに行っているサッカー部の皆がいつ戻ってくるか分からない。
「いまは、ちょっと・・・」
言いかけたら、ぐいっと両頬を手のひらで包まれた。
驚いていると、ほんとに目と鼻のさきには春奈さんの笑顔。
でも、それはいつもの天真爛漫としたものじゃなくて、どこか不安と期待を含んだみたいな、曖昧な微笑み。
淡いピンク色の頬に、真剣そのものの瞳で見つめられる。
そんな顔をされたら、どうしたら良いのか余計に分からなくなる。
胸の奥がぎゅっとした。
「先輩、お願いです」
囁くように言われて、心臓が大きく動く。
この目の前の可愛い女の子は、どこでそんな艶っぽい声の出し方を覚えたの。
「わたし、先輩とちゃんと両想いなのかなって、ときどき不安なんです」
「え・・・」
思いがけない言葉に、驚いた。
「わたしばっかり先輩を欲しがってないかなって」
ねぇ、どうなんでしょう。
そう訊ねてくる声は、わたしの心臓の音をどんどん早くさせる。
「せんぱ、」
我慢できなくなって、わたしの名前を呼び掛けた唇をふさいだ。
ふに、と柔らかくくっついて。
彼女がいつもそうしてくれるように、ちゅ、と控えめな音を立てて、離す。
やっぱり恥ずかしい。
心臓は物凄くうるさい。
でもね。
「わたし、春奈さんのこと大好きだよ」
きっと顔は真っ赤だから恥ずかしいけど、わたしは目の前にいるこの子が好きで好きでしょうがないんだ。
そうじゃなかったら告白にOKなんてしないし、キスだって受け入れたりしないのに。
でも、それじゃあ伝わるものはとても少ないんだと思い知った。
不安にさせてしまうのなんて望んでないし、悲しいし、そんなことを言わせてしまう態度だったことを思うと申し訳ない。
わたしも真似て、彼女の両頬を手のひらで包み込んでみるとそこはじんわり熱を帯びていて、春奈さんも照れているんだって分かった。
わたしたち今、同じ気持ちでいるんだと思う。
それは嬉しいとか、幸せとか、そういう気持ち。
「木野先輩・・・」
「うん?」
「たった今、わたしの不安、どこかに吹き飛んじゃいました」
春奈さんがはにかむ。
つられて、わたしも目を細めた。
「うん、良かった」
先輩のほっぺた熱いです、と呟かれたから春奈さんもだよと返したら、お揃いですねなんて可愛く言われてしまって。
もう少しこうしていたいから、皆が帰ってくるのが少し遅くなりますようにと願った。