もう会えない | ナノ
※成人・円←ヒロト+風丸、分かりずらい事後描写有り
全身が気だるい、動きたくない。
はあ、とついた息は自分で聞いても熱っぽかった。
手足をだらりとさせて仰向けになる。
俺に覆い被さっていたヒロトは横に退くと、俯せに。
肌と肌がぎりぎり触れるか触れないかの距離を保って汗ばんだ身体を横たえる俺達の間には、ついさっきまでの異様な体温が漂ってる。
「あっつ」
「水いる?」
「ん」
サイドテーブルに置いていたペットボトルを受け取った。
「サンキュ」
「うん」
受け取ったもののなんとなく飲む気にはならなくて、そのまま額にあてて目をつむる。
ひんやりとしたそれが気持ちよくて、身体の熱が少しだけ外に溶けていく気がした。
それからひとつ深く息を吸い込むと、安っぽいホテル独特の排他的な空気と吐き出された性の匂いが体内に充満する錯覚を覚えて少し気持ち悪い。
「ねえ、風丸くんのところにも来たよね?」
「・・・来たって?」
やだなぁとぼけないでよと笑われた。
「円堂くんから、結婚式の招待状」
言われて、ああ、まあと曖昧に答えた。
たった昨日の夜のことだ。
いつも通り残業から疲れて帰ってきたところに見つけた、ポストに投函されていた一通のハガキ。
親しかった、いや今でも親しいつもりだろう幼なじみの名前と、中学時代に自分達も世話になったマネージャーの名前が並ぶそれ。
白地に控え目な花の絵柄で飾られているそれを見て、ああとうとう来ちゃったなと思った。
高校時代に知り合った奴が結婚の報告をしてきたときも確かこんなハガキだったから、思い当たることなんてひとつしかない。
裏返す手は僅かに震えてて、情けなかった。
こういう日が来ることは覚悟していたはずなのに。
裏返したそこには事務的でありきたりなおめでたい定型文に続いて、元気にしてるのか・会おうぜ・是非出席してくれという旨の、汚い、でもとても懐かしい気持ちにさせる手書きの言葉が大きめに添えられていた。
そういえばもう何年も直接顔を会わせてない。
会えない距離でいることは、会える距離でいるよりずっと楽だと気が付いたのは幾つの時だったっけ。
「風丸くんはどうするの?」
気配でヒロトがこっちを見ているのが分かったけど、俺は目をつむったまま答えた。
「行かない」
咄嗟に出た単語は、行けないじゃなくて行かない。
なんとも正直な気持ち。
「えー、一緒に行こうよ。
俺、出席に丸つけて出しちゃった」
今朝投函してきたんだ、なんて。
笑いを含んだその声音に自嘲が混じっているのがよく分かる。
「かっこいいスーツでびしっと決めて
、豪華な花束なんか持っちゃって、ご祝儀も嫌味なくらい詰め込んでさ。
幸せになってね、なんてふたりで笑いに行こうよ」
これっぽちも幸せなんて望んじゃいないくせに、ヒロトは随分と楽しそうだ。
こいつはたまにこうして、自分で自分を追い込もうとする。
わざと辛い方に走って、傷ついて、傷ついた自分を可愛がる。
それはご本人の趣味嗜好。
残念ながら俺はそこまで付き合う気にはなれない。
「・・・今日は、燃えるゴミの日だったんだ」
「え?」
「燃えるゴミの日」
間違ってハガキ、袋に落ちちゃって。
気がつかないまま捨てちゃったみたいなんだ。
「だから無理」
自分で言っててもどうしようもないと思う言い訳を下手くそに並べて、俺はなんでもないふりをする。
「・・・ふーん、それは残念」
そしてヒロトは分かってるくせに、分からないふりをしてくれる。
そういうところは好きだ。
多分、それはヒロトも俺に思ってるところで必要なところ。
同じ相手に恋をして、だけど絶対に想いが叶わないと分かりきっていた同士の俺達はなんの皮肉か、お互いの寂しさとか虚しさを共有する関係になっていた。
それはどこまでも滑稽で意味のない営みで、でも、傷の舐め合いは確かに俺達の心を楽にしてきたんだと思う。
お互い邪魔者だったはずが、それを越えて生まれた謎の連帯感。
爛れた仲間意識だよね、と以前にヒロトは嘲笑った。
自虐しながら、叶わないって泣いて笑いながら、傷を埋めてと身体を重ねては、同じ痛みを抱き締めてきた。
言い合うあいつの悪口も、それでもどうしたって好きなんだよなで締め括られる俺達の気持ちも全部。
ハガキはほとんど無意識に引きちぎっていた。
手書きの文字部分を重点的に、そんなものはなかったと言い聞かせるように。
ふたりの名前は上手に傷つけられなかった。
だって、どっちも決して嫌いになんてなれるわけないじゃないか。
大好きなひとだ。
好きな人の愛した女性を、自分だって大事に出来たらどんなに良かったか。
それが出来たらどんなに楽だったか。
あいつが俺に思うように、俺もずっとあいつの幼馴染みでいれたら。
ふたりを心から祝えたんだろうか。
俺に彼女がいたら、もしかしたら家族ぐるみの付き合いだって出来たかもしれない。
ふたりの外側の一番近いところで、笑い合えてたはずだ。
その関係に満足出来れば良かったのかもしれない。
それが一番自然で幸せなことだったのかもしれない。
たくさんのもしもが浮かんで消えた。
でも、俺は。
寄り添うように並ぶふたつの名前はどこまでもお似合いで、誰にも付け入る隙なんてこれっぽっちもなかった。
ただ自分の想いが、本当にもう何処にもいくことが出来ないという現実が突きつけられていた。
はらはらと、手のひらからゴミ袋に向かって落ちていく紙切れを見ているときにヒロトから電話がかかってきた。
『ねぇ、明日の夜空いてる?』
久しぶりにそう誘ってきた声は、多分今まで聞いたなかで一番明るく弾んだ声だったんじゃないか。
事情を知らないひとが聞いたらどれだけ良いことがあったんだと錯覚しそうになるくらいの声に隠して、ヒロトはあの時どんな顔をしてたんだろう。
前に誘われた時は何があったんだっけ?
それともあのときは俺から電話したんだっけ?
ふと、壁にかかる鏡の中の自分と目が合った。
そこに写った自分は、ひどく無感情な目でヒロトに同意の返事をしていた。
「でもさ、風丸くん」
長い沈黙を、ヒロトが破った。
「円堂くんはさ、君に、一番来て欲しいんだと思うんだ」
だって君は彼の一番の友達だろ、と呟く声はとても優しかった。
その声に応えるように、ゆっくりと目を開く。
今でもそう思ってくれているのはあのハガキから充分伝わってきた。
それは嬉しくて、でもそれ以上に辛い。
鏡張りの天井に写る自分と目が合う。
それは昨日と同じ無感情な目で、俺を見下ろしていた。
でもさ。
心から嬉しそうなふたりの幸せを嘘でも祝う自信もなければ、円堂にあの真っ直ぐな笑顔を向けられてそれに笑い返す自信すらもうどこにもないんだよ。俺には。