願い | ナノ
※フィディオとルシェの両親捏造
「あ・・・、そろそろ帰らなきゃ」
夕方の公園に、5時を告げるチャイムの音が鳴り響く。
その音を聞くとルシェは残念そうに眉を下げた。
見上げた空はまだまだ明るいけど、小さな子にとっては家に帰る合図だ。
「また明日も会える?お兄ちゃん」
「うん、また明日ここで会おう。
ルシェ、家まで送っていくよ」
「あ、ううん、大丈夫、ひとりで帰れるから」
今日こそはと意気込み言ったのにまた断られてしまって、がっくりと肩を落とす。
こうして会うたびに申し出てみるものの、いつも首を縦にふらずにひとり帰ってしまうルシェのことが、俺はずっと気掛かりだった。
最近知り合ったこの女の子は、目が見えない。
確かにいつも、待ち合わせにはきちんと来てくれる。
歩き慣れてる道だからなのか、その足取りも思いの外しっかりしたものだということも知っている。
俺が心配し過ぎなのかもしれない。
けど、小さい女の子をひとりで帰らせるなんて男としては見過ごして良いのだろうか、というのが俺の正直な心情だ。
今の世の中なにかと物騒だし、万が一事故が起きないとも言い切れない。
彼女がいつも断る理由が知りたかった。
「ルシェ、俺は心配なんだ。
帰る途中にもし事故にでもあったらどうしようかと思うと・・・
それに、夕方に女の子がひとりで歩くなんて、お父さんやお母さんも心配するだろ?」
そう優しく尋ねてみると、何故かルシェは俯いてしまった。
顔が前髪に隠れたせいで表情は読めないけど、なんだか様子がおかしい。
何か、不味いことを言ってしまっただろうかと内心焦る。
「ルシェ・・・?ごめん、俺なんか変なこと言ったかな?」
そうもう一度尋ねてみても、ルシェはしばらく何も言わなかった。
チャイムが鳴り終わった公園からは、少しずつひとが消えていく。
サッカーボールを抱えた小さな少年達が、今夜の晩ごはんの話をしながら、俺とルシェの横を擦れ違って行った。
ああ、帰ったら夕飯の準備をしなくてはとぼんやり思った。
ルシェは何を食べるのかな、なんてくだらないことも。
無言で対峙する時間がひどく長く感じて、でも俺はどうしたら良いか分からずに、ただ黙ってルシェを見つめた。
しばらくして、ルシェは再び顔をあげた。
「・・・わたし、パパもママも、いないから」
やっと吐き出された言葉に、思わず息をのんだ。
ルシェはそんな俺を気にせずに、淡々と言葉を続ける。
「交通事故で、いなくなっちゃったの。
それから今は、病院でお世話になってるんだ。
わたしの目の診察をしてくれてる病院だよ。
先生たちと看護婦さんも親切にしてくれてるの」
そこまで言われて初めて、俺のなかでずっと、何となくもやもやしていた感覚がすとん、と消えていく気がした。
こんな小さな盲目の少女がひとり出歩いている理由も。
今までたったの一度も、誰も彼女を迎えに来ることがなかった訳も。
初めて会ったときや時たま見せていた、どこか寂しげな表情の意味も。
「早く、言えば良かったよね。
ごめんね、お兄ちゃん。
自分のおうちじゃないところに帰るって、なんだか言えなかったの」
「・・・ルシェ」
「でも、もう言えたから・・・。
だから、今日は、送ってもらっちゃおうかな?」
まるでちっとも悲しくなんて無いみたいにルシェは笑った。
それが俺にはどうしようもなく悲しいことに思えて。
しゃがみこんで、それからルシェを抱き締めた。
壊れないように、傷付けないように、そっと。
「お兄ちゃん?どうしたの?」
「なんでもない」
いきなりの行動にルシェは少し体を強ばらせたけど気にせずにぎゅっと、抱き締める腕に力を込める。
そうするとルシェも、おずおずと俺の背に小さな手を伸ばしてくれた。
あんまり慣れてないんだと分かってしまって、それがまた余計に悲しかった。
温かな手のひらを背中に感じながら、落ちぶれていってしまった父と、それから出ていってしまった母のことをぼんやり思い出していた。
この女の子も俺とおんなじなんだと思った。
独りぼっち、だったんだ。
でも、俺にはサッカーがあった。
サッカーは俺に沢山のものを与えてくれた。
だから悲しいことも辛いことも乗り越えて来ることが出来た。
信頼できる仲間も、応援してくれるファンも、手強いライバルとも出会えて。
悲しい隙間を埋められるくらいに、沢山のものを手に入れることが出来たと思う。
世界には必ずしも美しいものなんかじゃないけど、でも、だから生きることは楽しいんだと教えてくれた。
でも彼女は、どうだろう。
彼女は何にそれを教えてもらえるんだろう。
誰が彼女を支えていくんだろう。
「・・・これからは、俺が絶対一緒に帰るから」
「フィディオお兄ちゃん?」
「それから迎えにも行くよ。
そしたらさ、そこがおうちみたいに思えるだろう?まずはそこから始めよう」
「・・・ありがとう、お兄ちゃん」
抱き締めているから彼女がどんな顔をしているのかは分からない。
だけど、ルシェの声は嬉しそうだったから安心した。
ルシェを、俺が守ることが出来たらと、支えになりたいと強く思いながら。
抱き締める両腕に、自然と力が入った。