痛み分け | ナノ
がぶり、とそんな効果音が聞こえそうなくらい思いきり噛みつかれた。
左肩に鈍い痛みが走る。
「っ」
染岡は目を覚ました。
幾人かの寝息がキャラバン内に響いているのを聞いて、まだ夜中なんだろうと察した。
がじがじと肩に歯を立て続ける白い髪の毛を視界の隅で確認すると、またかと思った。
(吹雪)
背中に腕を回されてこれでもかというほどぴったり引っ付かれているので身動きが取れない。
しょうがないので辛うじて自由な左腕を伸ばし、かじりつく吹雪の髪を小さな子供をあやすようにゆっくりと撫でた。
これで何度目かはもう分からない。ただ吹雪が満足するまで、好きなようにさせてやりたかった。
吹雪が試合中や練習中に好戦的な性格になることは周知の事実だが、サッカーをしてない…普通に生活をしているときにその性格が出ることは全くない。
それなのにこうして夜中に時々、試合中のときのような粗暴な態度になることがある。
まるで違う、吹雪士郎なのに吹雪士郎ではないような、でも確かに吹雪であるこいつに初めて噛みつかれたのはいつだったか。
最初にそうされた時は突き飛ばして、怒ったのだ。何しやがるんだ、と言った気がする。
そうしたら、好戦的になるときの象徴である橙のつり目が艶と濡れいてぎょっとした。
こちらを睨みつけるそれは泣いていた。
「俺は、こうしなきゃ何も残せない」
犬歯をむきだして、低く唸った。
そう振り絞られた声は震えていて、吹雪は怒っているのではなく、拒絶されたことを悲しんでいるのだと悟った。
偉そうで、強引で、勝手にフィールドを走り抜ける橙がまさかこんな弱気な姿を見せてくるとは思わず染岡はただただ驚いて。
気がつけば無意識に、一度は突き飛ばしたその身体を引っ張って抱き締めていた。
弱腰な姿を、見たくなかったのだ。負けたくないと強く思い、好敵手と認めた相手の泣き顔なんて。
どうしたら良いか分からずに染岡が口走った言葉は「好きにしろ」だった。
それを聞いた吹雪は強張らせていた身体から力を抜き、わりぃと呟いた。
全部、士郎のものなのにな
それの意味は染岡には分からなかったけど。
がじがじと、吹雪は飽きもせずかじり続けている。
朝には消えてしまうそれを、何度も何度も。
一度、練習中に肩を見せろと言われて見せたことがあった。
たった数時間前につけたはずの歯形など残ってないことを確認すると、安心したような落胆したような微妙な表情で「良かった」と笑っていた。
(あんな顔をするくらいなら、傷ひとつ残せば良いんだ)
撫でながらそう思う。
残せない、と言ったこいつは、こうしていても消えてしまう。何も残せてなんかいないのだ。
しかしそれを言葉には出来なかった。
言ったところでそうしないんだろうな、となんとなく思う。
結局なんににもなっていないのだ。
こうして撫でることしか出来ない腕も、かじらせることしか出来ない肩も無力でしかないと項垂れながら、染岡は静かに目を閉じた。