帰路 | ナノ
※「はじまりのはなし」の続き
改札を潜り抜けて、吹雪ははあっと息をついた。
東京の駅は何時でも人に溢れているんだなと、改めて思う。
そう多くはないながら、何度もここには来ているはずなのに、一向に慣れない。
それでも、これからはここで暮らしていくんだから慣れなくてはと思いつつ、急ぐ人波に気圧されながらきょろきょろと辺りを見渡してみる。
見知った顔はどこかと探すが、なかなか見付けられずに気持ちが焦る。
急に肩を叩かれた。
「検討違いなほう探してんな」
笑いが含まれている聞き慣れた低音に振り向けば、探していた顔を見つけることが出来た。
吹雪は安心したように、駅に着いて二度目になる溜め息をついた。
「染岡くん、そっちにいたの…」
「久しぶりだな。お前また背のびたか?」
染岡は目を細めて吹雪を見る。
冬休みは受験間近でどちらも互いの家への旅行は自粛したから、夏ぶりに会ったことになる。
その時よりもふたりの身長差は縮まったように感じた。
「それでもまだ染岡くんのが高いよ」
「ったりめーだろ、俺だってまだ伸びてんだ。そう簡単に抜かれてたまるか」
「ちょっと、僕染岡くんより大きくなるのが目標なんだからやめてよ!」
吹雪がむくれて見せて、じっと二人は睨み合う。
それから二人揃って笑い出した。
会うのは本当に久しぶりだが、ずっと電話で声を聞いていたからか、こうして対面するとそれほど離れていた気はしなかった。
「引っ越し業者、3時だっけ?」
「うん、もう向かったほうが良いよね」
染岡の腕時計をふたりで覗きこんで、じゃあと歩き出す。
駅前の桜には、もう緑の葉が目立ち始めている。
商店街へ差し掛かったところであっと、染岡が声をあげて立ち止まった。
何事かと吹雪がそちらを見れば、ジーンズの後ろポケットに手を突っ込み、なにやら探しているようで。
見つかったらしいそれを、染岡は吹雪の目の前に差し出した。
吹雪はそれをぽかんと見つめる。
「鍵…」
「そう、アパートの」
必要だろ、と何故か少し照れた様子でぶっきらぼうに染岡は言った。
「アパートの…」
染岡の言葉を繰り返して、ゆっくりとそれを受け取る。
アツヤに報告した。
大学への入学手続きをした。
引っ越し業者と連絡を取った。
空っぽになった自室に別れを告げた。
お世話になっていた親戚はさみしがってくれたし、もちろん自分もさみしく感じた。
沢山の友人とも別れを惜しんできた。
最後のさいごにまたアツヤに会いに行った。
行ってくるねと告げてきた。
でもそれから飛行機に乗っても、電車に乗っても、染岡に会っても。
どこかリアルに考えられず、ただ旅行に来ただけのような感覚がぬけなかった。
でもこの鍵は、吹雪に現実なのだと告げていた。
「染岡くん、も」
「あ?」
「持ってるんだ、よね」
「…無くちゃ帰れないだろ」
ほら、と彼はまたポケットから鍵を取り出した。見せたものは全く同じかたちのそれ。
「ほら急ぐぞ。帰らないと」
くるりと向き直り、染岡は早足で歩き出した。
「あ、ごめん!待って染岡くん!」
吹雪も慌てて後を追う。
染岡の後ろ姿を追いながら、握りしめた右手に眠る鍵の重みを感じながら、同じ言葉を繰り返し思い出す。
(無くちゃ帰れないだろ…か)
さぁ追い付かなきゃと速めた吹雪のその足取りは、とても軽かった。