あなたと憧れとシャンプーと | ナノ
すれ違って会釈した瞬間にふわり、と香った。
うっすらと甘いその匂いに惹かれてほとんど無意識に名前を呼んでいた。
「木野先輩」
呼んだ相手はくるりとこっちを向いてどうしたのとニッコリ。
振り向いた瞬間にゆれた制服のスカートと肩にかかる髪にどきりとした。
表情もなんてことない仕草もこんなにやわらかいこの先輩は、なんて女の子らしいんだろうと関心する。
胸に抱えているのは理科の教科書みたいだ。移動教室の途中なんだろう。
「良い匂いがしたから、つい。何かつけてるんですか?香水とか」
急ぎじゃないかな、と少し気になったけど。
でも呼び止めてしまったのはわたしなんだし立ち止まってくれたんだから喋っていいんだよね、と胸のなかで自分に言い訳しつつ先輩とふたりきりで話を出来ることが嬉しくてずいと歩み寄った。
学年が違うからそもそも普通に過ごしていたら先輩とは会う機会がほとんどない。
折角接点のある部活の時間も何かと男子たちが先輩に頼るから、なかなかゆっくり話をするのも難しい。
耳元に顔を近付けてすん、と鼻を鳴らすとすれ違ったときよりもはっきりと香る。先輩はくすぐったそうにふふっと笑った。
「香水なんて持ってないよ」
「えぇ、じゃあなんの匂いでしょう?いつもと違うんですよね…
いえ、先輩はいつも良い香りするんですけど、なんか今日は特別なかんじ」
んんっとわたしが唸ると、先輩は少しうつむいて頬を赤らめた。そんな仕草も可愛らしい。「そういえば」と照れを隠すように彼女は声を出す。
「シャンプー、新しくしたの。
でもそんなに香る?自分じゃ分からないや」
「シャンプー?ああ、だから髪から香るんですね」
女の子らしくていいなぁと羨ましがると「そんなに?」と先輩はまた笑って「そんなにです!」とわたしも笑ってみせる。
そこでわたしの心に、同じものがほしいという欲が沸いた。
木野先輩と同じ香りに包まれたらすっごく幸せになれちゃいそうで。
でも、と思う。
嫌がられないだろうか。
流石にちょっと気持ち悪い?と考えてしまい、どこのメーカーですかと聞こうか躊躇っていたら近くのスピーカーから、始業を告げる音が鳴り始めた。
タイムリミットだ。もっと喋りたかったのに。なんて時間がたつのは早いんだろう。
名残惜しいけど、先輩から少し離れて引き留めてすいませんでしたと謝った。
また部活の時間にね、と先輩も残念そうな顔をしてくれたから嬉しくてきゅんとする。
教室に帰らなきゃと体の向きを先輩とは違うほうへ向き直して歩き出そうとしたら「春奈さん」と呼ばれてぐるりと体ごと振り返る。
同じ態勢に戻ってしまった。
なんだろうと思うと。
「シャンプーのなまえ、あとで教えてあげるね」
じゃあと先輩はそれだけ言って、廊下を駆けていった。
彼女が突き当たりで階段を下りて姿が見えなくなるところまで、わたしはぽかんと立ち尽くしたまま見送って。
音が鳴り止んで、やっと我に返って、慌てて走り出した。
走りながら口元に手をやる。
わたしいま、すっごいにやけてる。
早く放課後にならないかなと思いながら、教室に急いだ。