秋冬りく | ナノ
部室内は制汗剤がまかれたばかりの粉っぽい空気で包まれていた。
ドアを開けた途端に外へ流れ出ていく。
無香料で統一してくれたらいいのに、みんなてんでバラバラの香りを選んで使うものだから、まぜこぜになった匂いにむせてしまった。
男の子達は短い休憩を終えて、たったいまグラウンドへ駆け出して行った。
蒸し暑い、夏休みの午後。
すれ違い様に日射病、気を付けてね、と投げた言葉に何人かは笑ってみせて、何人かが間延びした返事をした。
表情と声で分かる、たぶん誰も、まともに気にしてなんかない。
もう、倒れたって知らないんだから。
頭の中でそう呆れつつ、ちゃんとドリンクを用意しておかなきゃ、とか、タオルを冷やしておこうかな、なんて考えてしまう自分はマネージャーらしいといえばそうなのだけど、でも円堂くんに間違えて言われた「お母さん」がいまだに引っ掛かる。
だって、わたし、まだ中学生なのに、お母さんなんて、なんだかそんなの変じゃない。

「秋さん、ここ、寄ってますよ?」
「え?」

先に部室に来て仕事をしていた冬花さんに声をかけられてはっとする。
冬花さんの手には畳み途中のタオルが握られていて、すぐ側に置かれた椅子にはもう畳み終わったらしいタオルが何枚もキレイに積まれていた。
言われた言葉がなんのことか分からずにぽかんとしていると、冬花さんはくすくす笑いをこらえながら、白い華奢な人差し指をやんわりと自身の眉間に当てて見せた。

「不機嫌な顔になっちゃってます」

その動作にわたしは、とっさに自分の眉間を手のひらで隠した。眉間にしわが寄っていたということらしい。
そんなに露骨に顔に出ていたのかと思うと、なんだか恥ずかしくなる。

「どうかしたんですか?」

何かありました?と可愛らしく首をかしげる冬花さんに、なんと答えようか、言葉が詰まる。
深刻なことなんかない。大した問題じゃない、ただわたしが気にしすぎなだけのこと。なんだけど、やっぱりもやもやする。
もしかしたら、冬花さんなら、否定してくれるだろうか。一緒に円堂くんの言葉を、それはないよねって言ってくれるだろうか。
ふいに、そんな期待が胸に芽生えた。

「うん、あのね、冬花さん…」
「はい」
「わたしって、お母さんみたい、なのかなぁ…」

わたしの問いかけに冬花さんはほとんど考える間もなくぽんと答えを出した。

「お母さんみたい、ですよね」
「…えー、冬花さんまで?」

そう言うの?とわたしは一気に脱力する。
がっくりとしたわたしに冬花さんはあわあわと近寄った。

「え?あの、秋さん?」
「わたし、女の子らしくないのかな…」

はあ…と溜め息をつく。
冬花さんは目を丸くした。

「どうしてそんなこと言うんですか?」
「だって、お母さんなんて、口うるさくて、お節介焼きじゃない」

自分のお母さんを思い浮かべながら、ぽつりとこぼす。

「しつこいくらい心配性で、なんか、そういうのって親だから良いけど、同級生なのにそんなふうなのって、鬱陶しいんじゃないのかなって、かわいくないなって思うんだ」

お母さんってなんというか、強さの象徴みたいなのだ。家族を守って、家を守って、テキパキ動いてわたしたちを育てて。
尊敬はしてるし、感謝だってしてる。でも似ているのはいや。なんか違う。少なくとも、可愛いっていうのは、違う。

(冬花さんみたいに、雰囲気が華奢で、動作も言葉もゆったりと女の子らしくて、こう、ふんわりした感じなら良いのに)

「わたしは、お母さんみたいって、とても素敵な女性って意味合いで言ったんです」

冬花さんの言葉に、わたしはまたぽかんとしてしまう。

「すてき?どうして?」
「お料理上手で気配りが出来て、みんなを心配するのはよくみんなのことを見ているからで、そんなふうに回りのことに尽くして動けるのって、なかなか出来ないことだから。
それを自然とやってのけてしまう秋さんはすごいなぁって、わたしいつも思ってるんです」

冬花さんはゆるりと笑う。

「だからみんな安心してめいいっぱいサッカーが出来るんです、秋さんが優しいから、みんな甘えちゃうんです」

さっきだって、と冬花さんは日射病のことを例に挙げた。

「あんなふうにみんなが笑うのって、何かあっても秋さんが助けてくれるんだろうなって、心のどこかで安心してるからかなって。
それってとっても素敵だし、女性らしいと思うんです、女の人だから持つ強さ…なのかな、うまく言えないんですけど」
「…そういうものなのかな」
「わたしは、そう思ってますよ、それに、秋さんはちゃんと可愛いですから」
「えっ」

不意打ちで言われた「可愛い」という単語に動揺してしまう。

「そんなことで悩んでる秋さんが、まず可愛いです」

えへへ、といたずらっぽく笑う冬花さんに、かぁっと顔が熱くなる。

「もう!冬花さんたら、からかうんだから!」
「そうやって赤くなる秋さんも可愛いです」
「うう、もう、いいから…!」

冬花さんはたまにこうして、不意打ちするから心臓に悪い。
冗談なのか本気なのか読み取りずらいところがあって、どうも落ち着かない。でも決して嫌なんかじゃない。
冬花さんとやいやい言っているうちに、もやもやしてたものはどこかへ行ってしまったみたい。
冬花さんの、こういうマイペースさも、ひとつの強さなのかもしれないなと思った。
わたしとは性質の違う強さ。

「…もう、なんだか悩んでたことどうでもよくなってきちゃった」
「それは良かった」

さぁ、タオル、片付けちゃいましょうと言いながら再び手を動かし始めた冬花さんは、すっかりマネージャー仕事が様になっている。
わたしも気を取り直して隣に並び、作業を手伝うことにした。

「…あぁ、秋さん、言い忘れてました」
「なぁに?」
「わたしは、お母さんみたいな秋さんが好きなんです」

だからそんなに悩まないでいやがらないで、そのままの秋さんでいてね

そう言って晴れやかに微笑む冬花さんの顔を、わたしはもう直視することなんか出来なかった。

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