さよなら愛してる | ナノ
※成人したリカちゃんが知らない誰かとの結婚を控えている話です、結婚相手は登場しませんが、このような設定が大丈夫な方のみどうぞ


婚前旅行だと冗談めかして笑う、飛行機内で見たリカの横顔はその奥に張り付いた窓の外に広がる青空みたいに澄み渡り輝いていた。キラキラして眩しくて、思わず目を細めた。
この笑顔よりも晴れやかな笑顔を、結婚式の時に見ることになるんだろうな、なんて無意識に浮かんでしまった考えに、チクリとわずかに胸の奥が痛んだのには気がつかないふりをして、あたしは呆れた顔をしてみせた。

「それさぁ意味ちがくない?」

「ええの!塔子はわたしの恋人みたいなもんやし」

ながーい付き合いやろ?とにっこりにんまりするリカの笑みは憎たらしくて愛らしい。
あっそ、と適当な返事をしながら、くそっと心の中で悪態をつく。ずるいんだ、こっちの気もしらないで。軽いノリで言われる“恋人”なんて悪ふざけは、いったいいつから始まったんだっけ。そう思ってももう思い出せなかった。
中学生の時にサッカーを通じて知り合って、性格も髪の色も服装もまるで違うあたしたちは、それなのに気が付けば他のどの女友達よりも互いのことをよく知る間柄になっていった。他の友達やパパなんかには言えない秘密や悩みを共有してきた。大学生の頃は上京してきたリカと都内でルームシェアもした。社会人になってからは就職先の位置関係で解消されたものの、毎日のように互いの仕事終わりに待ち合わせては、飲み歩いた。
互いに恋人がいたときもあったし、いないときもあった。だから恋人以上にべったりと側にいたあたしたちは共通の友人に「恋人以上に恋人らしくてどうすんの」とか「彼氏さん、嫉妬しないの」なんてからかわれたりもした。実際にあたしは、付き合ってた人との大事な約束よりリカの急な呼び出しを優先させるもんだから、それが原因で別れたこともある。
悪いことをした、とは思う。流石に。でも、天秤にかけて比べるまでもなくあたしにとってはどうしたってリカのほうが大事だった。時には仕事でへまをして、時には恋人と喧嘩をしてピーピーと泣く彼女のところに一番に駆けつけるのはいつだって自分でありたかったし、他の誰かに慰めさせたくなかった。自分がリカを守っていたかった。そういう役目を持って誰よりもリカに必要とされたかったし、リカの側にいたかった。誰の目から見ても、リカの隣にいるのは自分だと、写って欲しかった。
10代の頃はよく喧嘩もしたけど。似ているところを挙げるならば、どっちも言いたいことをはっきり言える正直さ、だろうか。壮絶な言い合いにはなるけど、長引いたりしない。それが良かったのかもしれない。20代にもなると、過ごした時間の長さで互いの言動で腹が立つ事自体減っていたし、お互いに遠慮や気配りすべきところを覚えたし、歳を取るにつれて喧嘩に使う体力もなくなっていったから、お陰様でもう随分長いこと喧嘩なんてした覚えがない。
仲良くなった理由やきかっけなんか、今更捜すのは無駄なことだ。気が付けばリカと出会う前の人生を、リカと出会ってから過ごした時間が追い越した。リカのいない思い出よりもリカと一緒にいる思い出のほうが多くなった。それくらい長いこと、ずっと友達でいた。それがこれからも続いていけばいいと思っていた。

独身最後!と息巻いて旅行に誘ってきたのは、リカのほうだった。
30代目前、なんとか滑り込み20代で結婚という幸せを掴み取った彼女の挙式はこの旅行から1週間後に行われる。
式が近いから一泊だけやけど、もし良かったら、なんて。
もしもなんてないのに、あたしが断ることなんて万に一つもないのに。
分かっているくせに、わざとかしこまったように深刻そうな表情を作って言って、でもこっちの様子を伺ういたずらっ子のような目は隠せないリカが面白くて、あたしは笑い声をあげながら、二つ返事で承諾した。
そんな時期に無理に時間を作って、あたしを旅行に、しかもふたりきりの旅行に誘ってくれたことが、飛び上がるくらい嬉しかったし、今更だけど、改めて自分はリカにとって特別な友達になれていたんだと思えて心が震えた。
新卒以来、愚痴を吐きながらもなんやかんや辞めずにいた職場もめでたく寿退社が決まった。リカは専業主婦になる。住む場所も、結婚相手の職場に合わせて今より遠いところへ引っ越すことになる。今までのように気軽に会える距離ではなくなる。
結婚してふたりの生活が始まれば友達と外で遊ぶ機会も減るだろう。家事に家計に旦那さんのこと。彼女の生活の中心は大きく変わるのだ。結婚というものに疎いあたしでも、それくらいのことは分かる。
けれど、それならもっと大勢でわいわいした感じじゃなくていいの?とは、言ってあげなかった。
だって、リカを独り占め出来るのはこれが最後だ。まぁわざわざ自分から誘っておいて、そんな提案を言ったところで、リカの心変わりなんて無いとは思うけど。でも、うん、あたしの浅ましくて意地汚い、意地悪な感情。それくらい、許して欲しい。

二時間弱の空の旅を終えてやって来た南の島は、風から塩の香りがする。それになんともこそばゆい、懐かしい気持ちが湧き上がった。
初めてここへ来たのは忘れもしない中学2年生のとき。エイリアンだの地球の平和だのと言われてサッカーボールを夢中になって追いかけた少女時代。改めて振り返って見ると、随分物騒な青春時代を送っていたものだと思う。そんな物騒な出来事があたしとリカの出会いの始まりでもあった。怖いもの知らずで、何にでも立ち向かうことが出来た子供の頃。あのときに組んだチームで、選手としてはあたしとリカの女子ふたりぼっちだったから、必然的に一緒に行動することが多かったけど、その頃はまだ自分とは正反対で恋愛至上主義な彼女のことをばからしいとも思っていた。でも、気が付けばそれも、普通の女の子らしい、普遍的な願いを言っていただけなのだと分かるようになった。そんなリカを可愛いとも、羨ましいとも思うようになっていった。
リカも当時のことを思い出したのか「あの頃は大変やったなぁ、せっかくの初めての沖縄やったのに、ろくに観光も出来ひんかったし」としみじみと呟いた。

「でもあんた、一ノ瀬とそこらへんデートしてたじゃん」

「・・・そうやったっけ?」

とぼけやがった。


空港を出てから手配していたレンタカーを借りて、目的のホテルに向かう。
海沿いの国道を延々と走らせるうちに、到着時は青かった空は次第に橙色に染まりつつあった。
最初のうちこそ助手席で、途中コンビニで買ったファッション雑誌に真剣に目を通していたリカは、今は景色をぼんやりと眺めているのを横目で見る。
リラックスした空気をまとい、すぐにでも眠ってしまいそうな緩んだ顔。
オレンジの夕日、車内に差し込む白んだ逆光にふちどられた姿がなぜかひどく遠く感じて、あたしはすぐに視線を前に戻し運転に集中することにした。ここまでふたりで来たのに、さみしい気持ちになんてなりたくなかった。

出会った頃から耳にタコができるほど聞かされてきた「お嫁さんになりたい」というリカの夢。結婚という報告を、やっぱりあたしに真っ先にしてくれたリカに、夢が叶ったね、と言ったときのリカの表情をあたしは忘れない。
目に涙をためて、こらえて、噛み締めるように口から出た、ありがとうの言葉。
明け方まで愚痴を聞かされたときより、好きだったひとに振られたところを慰めたときより、歴代の彼氏たちとの仲裁に入って感謝されたときより、ずっと深い感謝の一言。
それからゆっくりとこぼれ落ちた、美しい宝石のような透明の雫。それは次第にぽろぽろと数を増して、溶けて、混ざって、一筋になって頬を伝った。
彼女のことを永遠に守るひとが出来たのだ。リカはようやく一生を共に出来ると信じられる人に巡り合えたのだ。
そのときのあたしは確かに、本当に澄んだ気持ちで、誰よりもリカに幸せになって欲しいと思った。きっと誰よりも彼女の幸せを願った。心から、思ったんだよ。
彼女のずっと欲しかったものが手に入ったことが自分のことのようにあたしは嬉しくて、幸せな彼女の表情に胸が満たされて、何度も良かったねと言った。そのときのあたしはとびっきりの笑顔だったはずだ。その日も結局明け方までふたりで飲んで笑って、別れる間際にリカはまた嬉し涙を流して、あたしはそれを茶化しながらハンカチで無理やり拭って、それぞれ違うホームに向かって始発に乗り込んだ。
それからひとり、閑散とした電車に揺られ、朝日に白む窓の外の小汚い街を見つめながら、少し泣いた。

ホテルに着く頃には、群青とオレンジがひとつの空を半分にしていた。まだ20代になりたてだった頃に、背伸びをしてふたりで入ったお高いバーで頼んだカクテルに似たその色合いに、早くお酒飲みたいね、と言いあいながらチェックインをした。
海が一望出来る大きな窓のある、白と茶のカラーリングで統一された部屋にとおされたあたしたちは歓声をあげ、さすが綱海!とここにはいない旧友を褒め称え、大いに感謝した。沖縄に来ることを相談したら、ここが穴場だと紹介してくれたのだ。
美味しいと聞いたルームサービスを山ほど頼んで、途中で買い込んだお酒をテーブルに並べて、思い思いに口を開けた。
開け放った窓から入り込む潮風と波の音が心地よかった。ふかふかの一人がけソファにそれぞれ身体を預けて料理に箸を伸ばす。普段食べることのない郷土の味が舌に染み込む。
日常から切り離された空間で、馴染みのない酒に料理に、でもあたしたちはいつもどおりのくだらない雑談を飽きもせず続ける。
いつだったか、豪炎寺だったと思う。「そんなにいつも一緒にいて、話すことがあるのか」と心底不思議そうに聞かれたことがあったけど、あれには驚いたっけ。そんなこと考えたこともなかったから。リカ以外のひととはこんなにいることもないから、比較のしようもないんだけど。あたしがその問いになんて答えたかは分からない。多分、あの豪炎寺が納得するような返事はしてあげられなかったんだろうなってことは察しがつくけど。
ふいに思い出したその出来事をリカに話すと、それ豪炎寺が無口なだけちゃうんかなんて言うから、お酒がいい感じに回ってふわふわした頭のあたしは、リカの言いようがおかしくって、お腹を抱えて笑った。
つられてリカも爆笑する。多分、リカもあたしも笑い上戸のけがある。リカと飲むお酒は基本いつだって美味しくて楽しい。悲しい出来事があっても、苛立つことがあっても、リカと飲んだら結局最後は笑い話にしてしまえる。それで、しょうがない、明日も頑張ろうって思えて。ふたりで意味わかんないことでいつまでもケラケラ笑えるなんて幸せだなって、あたしは、何度だって思ってきたんだ。ねぇ、リカもそうだったかな。

いつの間にか、酔い潰れていたらしい。
目を覚ましたあたしは、テーブルに突っ伏していた。アルコールで重い頭をゆっくり持ち上げて、部屋を見回す。身体を動かすと背中から何か滑り落ちるのを感じた。どうやら、リカが毛布か何かをかけてくれたらしい。
リカが消したのだろうか、部屋の照明は消されていて、真っ暗だ。それでもだんだんと闇に慣れてきた目がリカを見つけた。
ちゃんとベッドに移動して眠ったらしい。大の字になっていびきをかいている。色気もなにもあったもんじゃない寝姿に、はあっと溜め息が出た。多分、あたしが先に寝落ちしてしまったんだろう。
ふらつく足になんとか力を入れて、リカの眠るベッドに近寄った。
気持ちよさそうに眠っているリカを見下ろすと、だらしなくめくれたシャツが目に付いた。冷えてはいけないから、直してやろうと手を伸ばす。
むき出しになったお腹は、サッカーをやめたとはいえ、生活には気を使っているんだろう。細いくびれに、美しいたて線の筋肉がうっすらと入っている。女子力!と口癖のように言っては美容にオシャレに人一倍気を使っている彼女らしい素晴らしいボディラインと言える。
きれいだなぁ、なんて、ぼんやりと酔いの冷めない頭で思っているうちにシャツを掴むはずだった指先は、無意識のうちにそこへ触れようとしていた。
ほんの一瞬だけかすめて、背筋が凍った。慌てて手を引っ込める。
リカの顔を見ると、変わらずいびきを立てて、目をつむっていることを確認して、ひどく安心した。と同時に、なんて恐ろしいことをしてしまったんだろうと、嫌な汗が全身から吹き出る感覚がからだを駆け巡った。ひどく頭痛がする。それがお酒のせいなのか、それ以外のせいなのかは分からないけど。
あたしは震える両手をなんとか組んで、その場に崩れるように座り込んだ。
祈るように組んだ手をベッドの縁に投げて額にあて、歯を食いしばった。そうしないと泣き出しそうだった。

なんでも言い合えるなんて言ったけど、それは出会ったばかりの幼い頃のはなしで、今は、本当は、どうなんだろうね。あたしは少なくとも、一緒にいる時間が長くなるにつれてリカにすら言うことの出来ない感情まで育ててしまった。そんなふうに、リカにもあたしに言えないことが、もしかしたらあったのだろうか。

「昨日あんなに晴れとったのに・・・」

なんやのこれ、と膨れて言うリカの目線の先には閉じた窓。ガラス一枚隔てた世界はしとしとと雨に濡れていた。絵に描いた偽物のように蒼かった海も、今日は灰色に濁っている。
天気ひとつでここまで変わる海の表情に、あたしはなんとも関心していた。
二日酔いで覚醒しきらない身体に、ふたり揃って無理やり朝食のトーストを詰め込む。

「まぁいいじゃん、この時期天気安定しないって綱海も言ってたし、昨日あんだけ晴れてたのがむしろラッキーだったんじゃない?」

幸いにも風はそう強くなさそうだ。

「傘をさしたら海岸沿い、歩けそうだよ」

どうする?とリカに尋ねる。しばらく不満げに眉を下げていたが、最終的にはあたしの提案に、これもまぁいいかと笑った。

フロントで2本、傘を借りてあたしたちは歩きだした。海岸に沿った細い歩道をいく。
雨は強く降っていないため、思ったよりも歩きやすい。
ぽたぽたと、ゆるく傘を叩く。
目的はない。目指す場所もない。思えば最初からなんの計画もなかったことに気がつく。決まっていたのは行き帰りの飛行機の時間とホテルくらいだ。何にもしばられず、こうしてゆっくりする時間が、場所が欲しかったのかもしれないと、今頃になってリカがこの旅行を提案した意味が分かったような気がした。
あたしの少し前をリカが歩く。あたしがリカの少し後ろをついていく。
いつもならこの位置でもリカの表情は見えるのだけど、今日は傘がそれを隠している。
いつだってこんなふうに、あたしたちが二人並んで歩けない道を歩くときはリカが先頭を行く。
あたしより好奇心旺盛でふらふらとあっちにこっちに気を取られて、どっかに行っちゃいそうなリカを、あたしはいつも後ろから追いかけて目を離さないようにしてきたんだ。その代わりにリカはいつも面白そうなものなんかをいち早く見つけてはあたしに教えてくれた。それはウィンドウショッピングの最中に見つけた華やかなパンプスであったり、出勤途中で見つけたこじんまりとしたひっそりと隠れたカフェであったり、実家の近くの小川で泳ぐ小さな魚であったり、ありとあらゆるもの。振り返って、笑って、あたしに見せてくれて。そうやってあたしたちは今まで小さな楽しみや喜びを共有してきた。こんな歩き方ひとつにも、膨大な思い出が詰まりすぎていて、ねえ、どうしようか。どうしたらいい?

「やっぱり一泊ってあっけないなぁ、もっと長くいたいって思ってしまうわ」

「そうだねー、めっちゃいいところだもんね。お酒もご飯も美味しくて、景色も空気も綺麗でさ、ぜんぶ、あたしたちの日常とは違うもん」

「ほんまやわ。ほんま、楽しかった。なんも考えずにああやってただしゃべって好きなだけ飲んで好きな時に眠って・・・、仕事してると、なかなか出来ひんもんね」

「ほんと、なんか、現実逃避って感じ」

自分で言ったそれに、思わず合点がいった。そうだ、これは、現実逃避なのだ。

「現実逃避かぁ・・・」

リカがそう言って、小さく笑う気配がした。どうやら彼女の中でもぴったりとはまった言葉だったらしい。

「・・・そうかもしれへんなぁ」

しみじみと言うリカの言葉の続きを、あたしはそっと息を殺して待った。
車も通らない、人通りもあたしたち以外にはない。前と背後に延々続く道路。
灰色の景色に、包み込むような雨。世界にふたりきりのような錯覚を覚えた。

「・・・塔子、あたしなぁ、結婚は本当に嬉しいし、あのひとと一緒になることに後悔はないねん。たまに頼りないけど、そのぶんめっちゃ優しいし。幸せになる自信はめちゃくちゃあるし、素敵な家庭築いたる!って思うてる。先のことにはなると思うけど、子供も欲しいとも思ってる」

リカの紡ぐ言葉には、どれひとつ嘘なんてないと、よく分かる。いろんな人と出会って別れて、出会って別れてを繰り返して、慎重に選んで、やっと巡りあったんだって、知っているから。信じてもいいなと、人生を捧げてもいいなと、思ったんだって。だから分かる。あたしが一番そばで見てきたのだから、分かる。

「でも、やっぱり、不安やったんと思う。怖かったんやと思う。考えないようにしとったけど、ダメやったのかも。きっと一緒に生活したら結婚前には見えんかったものも見えるようになるやろうし、良いとこも悪いとこも・・・でも、でもな?もしそれで、嫌なことばっかり目について、自分の選んだことがダメになるようなことがあったらどうしよって・・・だから、一度、離れたかったのかもしれん。結婚する前に、そういう逃避する時間が欲しかったのかもしれん。冷静になって、本当にこれでいいのかって・・あははっ・・・1週間目やのにね、結婚式まで。あたし、ひどいと思わん?あんなにいい人やのに、こんなこと考えて、申し訳ないねん」

そこまで言うとリカは黙った。あたしには分かる。ここでリカの欲しいものがなんなのか。どんな言葉が欲しいのか、何を言うべきなのか。あたしだから、分かる。
一番側にいた、一番見てきたから、聞いてきたから、自分だから言ってあげられること、リカが聞きたい言葉。言って欲しい言葉。そのためにここまで来たのかもしれない。それは出来ればあたしは言いたくなくて、でも、あたししか言ってあげられないこと。リカがあたしに言わせたいこと。言わなきゃいけないこと。リカの隣にいたあたしだから、ほかの人には渡したくなかった、守ってきた場所にいつづけた自分だから、やらねばいけないこと。

「・・・でも、あたしは、リカが選んだひとだから、大丈夫だって信じてるよ」

リカの背中を後押しすること。幸せになってよって、後押しすること。
リカがこちらを振り返った。
見開かれた目はやがて、優しく弧を描いていき、すべてに納得したように、受け入れたように、吹っ切れたように、満足そうに、泣き出しそうに、噛み締めるように、笑みをたたえた。
その笑顔に、あたしは、結婚の報告を聞いたときのことを思い出していた。あのときのように、心からなんて、今更思えないけど、けれども、あのときと変わらないとびっきりの笑顔をはりつけて言うことが出来る。
あのときから今日まで言わなかった言葉。言えなかった言葉。それ以外の言葉はいくらでも言えたのに、とうとう今まで口に出せなかった嘘。

「リカ、結婚、おめでとう」

リカの一番の幸せを、一番の親友のあたしが祝うこと。だれよりも心からおめでとうということ。

リカの目元が、雨粒の向こうで一層潤んだのを見た。

「やっと、塔子から、聞けたわ、おめでとうって」

どうしても塔子に言って欲しかった、聞きたかったんだ、と言うリカの声はひどく震えていた。それからあっという間に顔はくしゃりと歪んで、とめどなく溢れてきた涙でぐちゃぐちゃになって、あたしはそれを見てなんて綺麗なんだろうと思った。どんな晴れ渡った笑顔よりキレイに流す一筋の涙より、きっとこのありったけの感情が溢れ出た表情が世界で一番綺麗で尊くて、愛しいもので、これは、これだけはせめてあたしだけのものになればいいと思った。他のひとには見せることのない、あたしだけに向けられた感情。あの日からあたしに振り回されて、不安になって安心して流した涙。結婚式のときはもっと小綺麗に泣いてくれるでしょ?写真を意識してそんなにむきだしにはならないでしょ?
あたしの浅ましくて意地汚い、意地悪な感情。最後のわがままだと思って。それくらい、許してね。

えー?言わなかったっけ?なんて返事してみせたあたしは、上手くとぼけることが出来ただろうか。なんやねんそれって泣きながら肩を叩いてきたリカは、あたしがその一言を言えなかった本当の気持ちには気がつかないでくれただろうか。

第3回BLove小説・漫画コンテスト結果発表!
テーマ「人外ファンタジー」
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